21.薔薇の魔女アルベルティーネ
「あともう少し、あともう少しで完成だ」
地に着きそうなほど長い黒髪が垂れてくるのも気にせず、女は洞窟の中一人で作業をしている。
「いち、にい、さん……八つか。ひとつ足りないがそれはまた今度でいいだろう」
血のように赤い目をした女は魔宝石を数えると深いツボに入れ、その上から別のツボに入っていた赤黒い液体を流し込んだ。
その目は未来を見過ぎてもうあまり視力は残っていない。しかし彼女には父から授かった強力な魔法の力があった。
「我は指導者、闇の王の意志を告げるものなり。闇より出でし悪しきものよ、依代を芯とし、骨を作り肉をつけろ。闇の王の純粋な僕として我に従え。我は指導者、闇の王の意思を告げるものなり……」
詠唱は続き、それはゆっくりと形を成していく──。
薔薇の魔女。それはこの数十年の間の呼び名だ。
何の価値もない人間たちに呼ばれる名。けれど彼女はその呼び名が嫌いではなかった。
「お父様、ねえお父様。みて、これ、綺麗なお花!」
黒い髪を肩あたりで切り揃えた少女は赤い目を輝かせて背の高い男の服の裾を掴んだ。真っ赤な花弁を開かせた花を掌の上に出現させた少女を見て、彼の虹色の瞳が優しく細められる。
「アルベルティーネ。そんなに急いだら転んでしまうよ、気をつけなさい。どれ……美しい花だ。作ったのか?」
「うん。こういう形のはなかったから。すごく綺麗でしょ! ね、これ、増やしてもいい?」
「ああ、もちろんだ。君の未来が見える赤い瞳とそっくりでとても綺麗だ。名前は……そうだな、薔薇とでもしようか」
「薔薇! 素敵! じゃあそうする! どこに植えたら増えやすくしようかな〜!」
少女は広い世界をかけていく。まだこの世界は始まったばかりで、その構成物は少ない。父に褒められたそれをどうにかこの世界で一番綺麗なものにしたい、そう思ってある丘の高台に植えることにした。そして数日後、事件が起きる。
泣いている少女の背中をゆっくりと撫でたのは虹色の瞳の青年だった。彼は低い声で宥める様に彼女に語りかける。
「アルベルティーネ、そんなに悲しそうにして。どうしたんだ?」
「薔薇……薔薇がね。全部、取られちゃったの……」
「取られた?」
少女はこくりと頷く。
「人間に……手折られて、もう残ってないの」
「それはひどい。では、どうするか……」
青年はうーんと唸ると思いついた様に手を叩く。
「ではこうしてしまえばいい」
彼の掌の上に少女が作った薔薇が生み出された。そして、美しいその花を守る様にして棘の生えた茨の蔓がゆっくりと伸びていく。
「お父様、これ……」
「こうすれば人間も簡単には手折ることはできまい。美しい花を手に入れるためにはそれなりの対価が必要ということだ。どうだ」
「……そっか! ありがとうお父様!」
少女は再び広い世界をかけていく。その赤い瞳はまだ、血に濡れてなどいなかった。
アルベルティーネ。そんな名前をつけて生み出された。この世界を創り上げた始まりの精霊に作り出されたダンケルヘルトと言う男が彼女を作ったのだ。
光を司る兄、星屑の髪を持つクヴェレと闇を司る弟、漆黒の髪を持つダンケルヘルト。母である始まりの精霊は彼らを不平等に扱い、正反対の二人は分かりあうことなくやがては対立するようになった。
人間と精霊に絶望したダンケルヘルトはその寂しさを埋めるように、自分の姿に似せてリタの魔道士というものを作った。絶大な魔力を持たせて生み出された彼らは、ダンケルヘルトの平等な愛情を受けて幸せに育っていった。
しかし、幸福とはそう長くは続かないものだ。ある日突然、愛する父は封印されてしまった。いつのまにか増えていた人間たちと父の兄であるはずのクヴェレ、そして母であるはずの始まりの精霊の手によって。
だからこそ薔薇の魔女アルベルティーネは人間と精霊を許しはしない。父を復活させ、彼の思った通りの世界を作るための準備を、もう千年以上も続けてきた。その悲願が叶いそうなのだ。
「そのために、お前たちが必要なのだ。闇より出し悪しきものよ、あともう少しだ……」
もう、闇の魔物たちは立って歩くほどになっていた。その白濁した瞳を見て自分が属する闇の恐ろしさに目を背けたくなる。しかし、全ては愛する父のため。
「……来たか」
広場の入り口で物音がした。そのうち勝手に死ぬだろうと思って放置していた男だ。しかしそれは思ったよりしぶとく、数年前からは自分のことをずっとつけまわしている。
愛するただ一人の女のため。そんなくだらない理由のために何年も犠牲にしたその男と自分が少し重なって、嫌な気持ちになる。
「ああ、最悪だ。こんなことを考えるなんてな」
決着をつける時はきた。奴もいずれ父の復活の邪魔になる。だから今ここで、あの男を殺す。
広場に入ってきた男の姿を見とめて、薔薇の魔女アルベルティーネは、その真っ赤な薄い唇を開いた。
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