4.かたわれ

「……風」

 宿屋の一室の扉の前、悠は声をかける。返事はない。けれどきっと彼女はいるのだろう。ノックをしても無言が帰る扉に向かって、再び口を開いた。

「僕別に怒ってない。風が気づかなきゃあの男の子は助からなかった」

 まだ返事はない。木造の扉に寄りかかって悠は続ける。少し肌寒い朝の空気が廊下に広がっていた。

「風が言ってくれなきゃ僕は結衣菜ちゃんたちを呼びに戻ってた。あの時最善の選択をしたのは風だ」

 返事はなかった。寝てたりするのだろうか。そうだとしたらなんだか少し恥ずかしくなってきた。またあとでもいいかな。

 諦めて離れようとした時、ようやく返す言葉があった。

「……なんで」

「風」

「あたし、悠を傷つけた」

「……気にしてない」

「痛かったでしょ」

「痛かった。でも風のせいじゃない。やったのは魔物」

「でも、あたしのせい」

「風……」

 悠が言葉をつづけようととしたその時、部屋の扉がゆっくりと開いた。重い音が静かな廊下に響く。

 外から差し込む光が部屋を照らしていた。部屋の奥、開いた窓から風が入って、白いカーテンを揺らしている。扉が開かない様にしていたのか、どけられた棚が近くに置いてあった。そして、寝巻き姿の風が立っていた。

 いつもは綺麗に整えて結んでいる髪はボサボサで、何も気になっていない様子だった。その泣き腫らした顔を見て、悠は固まった。

「悠だ……」

「うん、悠だよ」

「生きてる……」

「死んでないし」

「お化けじゃないよね?」

「お化けだと思って喋ってたの!?」

 思わず突っ込んでしまった悠は声を上げて笑った。なんだ、いつもの風じゃないか。と、思って安心した瞬間、温かさが彼を包んだ。

「よかったぁ……。ごめんなさい。本当にごめんなさい」

 風は小さい頃からいじっぱりで、兄とは言っても双子、同じ日に生まれた妹に甘えられたことは悠が覚えている限りなかった。兄妹というよりは生まれた時からずっと一緒にいる腐れ縁の友人みたいなものだ。だから、いま自分がどういう状況なのか、よくわからなかった。

 だんだん自分の胸に広がっていく涙のシミを見て、悠は困った顔で俯く。感じるのは胸元のシミと、泣きじゃくる片割れの暖かさだけだ。

「ふ、風……?」

「あたしね、気づいたの。あたし一人じゃ何にもできないんだって。色んな人に迷惑かけて、誰かに助けてもらわなきゃ何にもできないの」

「……風は、それで良いんだよ」

「……え」

「風のいいところは馬鹿なところだ」

「……?」

「馬鹿で、どうしようもなく真っ直ぐなところだ」

「ねぇ」

「馬鹿で、どうしようもなく明るいところだ」

「……ねぇ」

「馬鹿で」

「ねぇったら! 馬鹿馬鹿馬鹿うるさいよ! 馬鹿っていう方が馬」

「それだよそれ! 風は元気な方が面白い、それにみんな助けられてる。……僕だってそう。風がどんなに周りに迷惑かけても、僕がどうにかするから。僕に全部任せて。これまでだってそうしてきた、これからも変わらない。だから、風はそのままでいいんだよ」

 ポカンとした彼女は何も言わない。悠は自分が言った言葉を反芻して恥ずかしそうに目を背けた。

 風は急に自分が兄に抱きついていることを思い出した様に彼を突き飛ばし、不意をつかれた彼は見事によろける。間一髪でバランスをとった悠を風は心底驚いた顔を見せる。

「……! 間違えた!」

「間違えたって! ねえ! 僕の今の感情返せよ!」

 いつものように突っ込んでくる悠に、風は普段とは違うはにゃらとした笑いを見せた。

「……あは。今の、誰にも言わないでよ?」

「い、言わないよ……」

「ほんとにほんと?」

「んー……まぁ、風が泣きじゃくってごめんなさい〜! って言ってたぐらいは」

「バカ悠!」

 急に表情を変えて今にも殴りかかりそうな彼女を見て、悠は笑いながら駆け出した。風もそれを追いかけて走り出す。

 いつのまにかそれまでのギクシャクがなかったかの様に二人は笑い合っていた。いつも通りの喧嘩、いつも通りの笑顔。

 それがとても尊いものだと、わかったのだ。だからこそそれを失うのは嫌だ。だからこそ風に心配はかけないぐらい、彼女を守れるぐらい強くなるのだ。悠はそう心に決めて、トーテの街をどこまでもかけていった。

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