9.アンの作戦

 まだ残る夜の闇に紛れて結衣菜とアンは移動している。目指すのは村から少し離れた場所にある湖。そんな彼らを捕らえようとするのは森の中から聞こえる魔物たちの唸り声だった。

「ユイナさん!」

「エーフビィ・ヴァッサー!」

 彼の掛け声で結衣菜は音の方向に水の塊を飛ばす。命中したのは闇の魔物で、それはけたたましい鳴き声をあげた。

「あっちだ、逃すな!」

 遠くでバッシュの声が聞こえ、物音が増える。彼が指示したのだろう。あっという間に二人は魔物に囲まれてしまった。そのうちの一体を薙ぎ倒してアンが叫ぶ。

「作戦通りに!」

「うん! エーフビィ・ヴィント!」

 結衣菜は周りを取り囲む魔物たちを風の魔法で湖へと突き落とした。這い出そうとする彼らを封じるため、呪文を続ける。

「エーフビィ・アイジィ!」

 湖目掛けて氷の魔法を伝わせる。それは水にたどり着いた瞬間、一気にその範囲を広げ、湖に落ちた魔物たちは氷の塊となった。

 と、その時、村の方角で雷鳴が聞こえ、結衣菜は目印となる炎の魔法を空に打ち上げる。

「あっちも始まったみたいだね。戻ろう!」

「うん、ありがとうユイナさん!」

 出会ってからずっと苦しそうな顔をしていた少年はその時初めて微笑みを見せた。結衣菜は彼の手を取って微笑み返すと、また夜の森の中を駆け出していったのだった。




 雷光と爆炎。その二つは付かず離れず交差していく。半獣の姿をした男は先ほどとは別の刀を振っている。対するエインは彼の攻撃を交わしながら隙を見て雷の魔法を打ち続けている。

「ちっ……あっちに向かわせすぎた。村人相手に一体何をしてるんだ」

 バッシュが目視で確認できているのは二体の闇の魔物だ。それらもオリヴァーとチッタが邪魔をしていて、バッシュの手助けにはなっていない。

 集中力を欠いたバッシュの横腹にチッタの拳がぶつかった。よろけた男の姿が白い煙に包まれる。

「これは使いたくなかったのに……!」

 変身したバッシュの姿は猫そのものだ。しかし彼は首にかけていた魔宝石を砕くと一気に魔力を放出させる。それを吸い込んで彼は再び煙に包まれた。

 そして、次に姿を現したのは人の三倍ほどもある大きさの巨大な獣だった。

「やっぱり魔物じゃないか」

 オリヴァーのつぶやきにその獣は攻撃で返した。大きく鋭い爪が彼を引き裂こうとするが、あと少しのところで避けられると咆哮を上げる。

「チッタさん、オリヴァー! 同時に仕掛けます! いいですか!」

 二人が頷くとエインは獣の反対側に回る。そうして彼が三つ数え、三人が一度に攻撃を仕掛けた。

 轟く雷鳴を追いかけるのは紫色の電光だ。それを炎を纏った爪で弾き飛ばしたバッシュは足元に噛み付いたチッタを蹴り飛ばす。その隙に跳ね上がったオリヴァーが彼の鼻先を切り裂いた。

 鮮血。バッシュの叫び声がアシッド村の周りを囲む森にこだまする。その声は結衣菜たちにも届き、彼らの戻る足を早めた。

「エーフビィ・ヴァッサー!」

 エインは水の塊をバッシュの顔目掛けてぶつける。傷口に勢いのある水は痛いだろう。その隙に蹴り飛ばされたチッタを助け起こした。

「チッタさん、大丈夫ですか?」

「エイン! 大丈夫だ、ありがとな! くそー、もう怒ったぞ! エーフビィ・メラフ!!!」

「チッタさん、なにを……! それ!」

 チッタの狼姿の口からは炎が漏れ出ていた。牙がその光でテラテラと光り、ある種の美しさを讃えている。魔法を使っている本人は熱く無いのか、平気な顔で口を開いた。

「あいつがやってたからな! 行くぞエイン!」

「すご、宿魔法かな……あ、はい! エーフビィ・ドナー!」

 チッタは言い切る前に走り出していた。炎を纏った牙で巨大な獣の足に噛み付くと、続けてオリヴァーの援護に回る。

「なぁおまえ、台になれるか?」

「へ!?」

 素っ頓狂な声を出したオリヴァーにチッタははにかんで笑う。

「タイミング合わせろよ! 行くぞ!」

「嘘でしょ!!!」

 チッタは掛け声と共にオリヴァーに向かって駆けていく。チッタの意図を理解した彼は少し屈むとジャンプしたチッタを下から跳ね上げた。

 宙に舞う狼。その毛並みは月に照らされて金色に輝き、その牙は炎を纏っている。そしてそれはそのまま大きな口を開いて巨大な猫の耳へと噛み付いた。

 チッタの猛攻は止まらない。怯んだバッシュの首元へ向かうと破壊された魔宝石がついている首飾りの紐を食い千切った。それが地面に落ちる寸前、エインが雷の魔法でそれを完全に貫く。

 次の瞬間、巨大な獣は体勢を崩した。再び白い煙に包まれたそれが姿を見せた時には彼は人間の姿へと戻っていた。

「くそ……ジェダンの犬なんかに……この俺が……」

 地面を這いながらチッタを睨みつけたバッシュにはもう動く体力はほとんどないようだった。

「勝負ついたようですね。あなたは闇の魔物に関しての重要参考人として騎士団で拘束します。わかりましたか?」

 エインは手際よくバッシュを拘束していく。もう防壁の必要がないと判断したレリエがいつのまにかこちらに合流していて、チッタとオリヴァーに加勢をしていた。

 そのおかげで二体の闇の魔物は倒すことができたようだった。その後には血のような黒い塊が残って、悪臭を放っている。

 そうして少し落ち着いた彼らに声をかけるものがあった。

「チッタ! エインくん!」

「ユイナさん! よかった、うまく行ったようですね!」

「うん、アンの予想通り村人がみんな逃げちゃうと思って殆どの魔物が追いかけてきてた。湖を利用するなんてよく考えたよね。こっちも大丈夫みたいだね。よかった……」

「ええ。この方は皆さんと一緒にディクライットに連れて帰ります。それで大丈夫ですか?」

 エインのその問いにはアンが答え、そして深々と頭を下げた。

「うん、それでいい。こんな危険な場所にいつまでもみんなを置いてはおけないし。そいつには聞きたいことがたくさんある。本当にありがとうございます」

「わ、そんな、かしこまらないでください! アシッド村もディクライット領の一つ。領民を守るのが騎士団の仕事です。村が襲われたのは騎士団の警備が甘かったのも一因ですし、今回フウさんが呼びにきてくれなければ皆さんきっと命を落としていました。本来なら僕たちはむしろあなた達に謝らなければならないのですよ。全ては我がアウステイゲン騎士団の不得が致すところ。本当に申し訳ありませんでした。村の方々は僕らが責任を持って生活の保障をいたします」

 エインは酷く真面目な顔で、年齢よりも大人びた少年を見つめた。予想外の答えを返されてぽかんとしたアンをみて結衣菜は微笑む。

 そうして、長い夜の戦いは幕を閉じたのであった。

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