5.暗雲
刀を持った妙な男と交戦した後、結衣菜たちは来た道を引き返すことにした。
「結局、あの男の人はなにしてたんだろう? 奥になにもないのに」
「本当だよな。敵なら敵でみんなを逃し始めたら焦ってすぐくるはずだし」
「でも調査してるって言ってたじゃん? オレたちと同じだったんじゃね?」
「そうかもしれないけど……うーん、なんか引っかかるなぁ。チッタへの当たりも強かったし。なんか変なこと言ってたしね」
「あ、そうだよあいつ! オレに似た種族のくせにオレたちのこと馬鹿にしてた! 意味わかんねえ!」
チッタは思い出したように憤慨しながら出口に向かっていく。途中はぐれたものがいないか隈なく探してから外に出ると村人達はもうひとまとまりになっていた。幸い周りに魔物はいなかったようで、皆落ち着いた様子だ。先ほどの男がいた様子もない。
ガクにスピィエンと呼ばれた男は村人の中ではリーダーのような存在のようだった。その中に以前結衣菜が訪れた際の村長は見当たらない。
しかし、助けた結衣菜達に礼を言うものは居なかった。それはひとえに彼らが銀髪の種族と行動を共にしていることが理由なのだろうと結衣菜は思う。
昔、彼らがガクに浴びせていた罵詈雑言を思い出す。ガクは優しい人なのに、こうも分かり合えないのだろうか。
そのガクの長い髪が緑地の風に吹かれて揺れる。彼は洞窟の穴を見ていた。
「村の人たちが助かったのは良かった。……でも、一つ問題があるよね」
結衣菜は先ほど洞窟の中で見た悍ましい姿の魔物たちを思い出す。なぜ彼らはあんな場所に閉じ込められていたのだろうか。
「闇の魔物……だよね」
「ああ、さっきは襲ってこなかったから良かったけど、あそこに置いたままじゃ村は危険なままだ。どうするか……」
「なぁ、これ壊せばいいんじゃね!」
話を聞いていたチッタが指差したのは洞窟を開く方法が書いてあった石だ。確かに洞窟自体が開かれないようにしてしまえば中の魔物達も出てこれないだろう。しかしそれをみてガクは首を横に振る。
「クワィアンチャーの作ったものなんて壊せるわけない。そんなのできるの、同じクワィアンチャー族ぐらいじゃないか?」
「え? ガク……」
「あ、俺がいたか……なるほど、やってみよう。……できるかな」
変なことを言いながら半ば自信なさげに目を閉じたガクを、結衣菜は不安そうに、チッタは期待の眼差しで見つめた。村人たちは何かを相談しているようで、こちらの様子には気づいていないようだった。
「雷よ、その稲妻を持って我が同胞の遺物を破壊せよ。我はクワィアンチャーの末裔なり、精霊と運命を共にするものなり」
ガクの詠唱はいつも誰かに語りかけるようだ。彼がいい終わるのと同時に、どこからか暗雲が立ち込めた。あたりはあっという間に暗くなり、村人達が騒ぎ始める。
「あっ、やば……エーフビィ・ベシュツェン!」
慌てて守りの魔法をかけた結衣菜は二人を連れて村人達の方に駆け出した。そして彼らが合流するその瞬間、轟音と共に凄まじい雷が落ちた。文字が書いてあった石が割れると、追従するように他のものも割れていった。
再びの轟音。呼応するように洞窟の入り口は閉じていく。それがおさまった後には石が割れた瓦礫しか残らないのであった。
「すげー! これで一安心だな!」
瓦礫の山を見て喜ぶチッタとは裏腹に、村の人たちは反応は別だった。皆驚いたような恐怖したような顔で固まっている。
その中から二人、少女が飛び出してきた。そして二人はガクに抱きつき、ガクは彼らが幼い頃そうしたように、抱きしめ返した。
「チュン、チャチャ……こんなに大きくなったんだな」
「ガク兄、どうして? わたしたちあんなに……」
「ガク兄、ガク兄ー! 戻ってきてくれたんだね……私……アンもずっと待ってて……そうだ、アンは? アンだけ連れて行かれなくて、一人で……」
そこまで言って急に思い出したのか、チュンはブワッと泣き出した。ガクは泣きじゃくる彼女の頭を優しく撫でる。
「アンは大丈夫だよ。村で待ってる。さあ、戻ろう。じきに日も暮れる」
そうして顔を上げた彼の表情は、どこか九年前のまだあどけない青年の顔を思い出させるかのように穏やかで、斜陽は彼の銀色の髪を月のような金色に染め上げる。
陽が落ちていく丘の上で、住人達と彼らはようやく、アシッド村へと歩を進め始めたのだった。
「何故逃した」
視界の悪い部屋の中、ゾッとするほど冷たく赤い瞳が鋭く睨みつける。大きなとがった耳をピンと張った男は、眉をぴくりとも動かさずに飄々と答えた。
「あれ、あいつらまだ必要だっけ?」
「……言ったはずだ。あの方への贄は足りてないと」
赤い目の女は地に着くほど長い黒髪を邪魔そうに避けた。彼女の頭は真っ赤な薔薇で飾られている。明らかに怒気を含んだその声色に男は怯える風でもなく、うんざりと言った顔をした。
「はいはい、取り戻しますよ〜。じゃあちょっくら行ってくるわ〜」
男は白い煙に包まれ、大きな猫に変身する。そして薔薇がひしめくその部屋から、飛び出して行ったのだった。
女は部屋の窓から外を見つめる。もう男の姿は見えない。日が落ちた空を支配する月は彼女を照らすがそれは彼女の目に光を宿さない。
「あと少し……あと少しだ。あやつらを始末すれば儀式の邪魔は入らない。あとは精霊の末裔が手に入れば……あの方は……お父様……」
彼女の呟きは誰に宛てたものではない。だが確実に近づいているその目標を前に、薔薇の魔女と呼ばれるその女は、静かに微笑んだ。
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