4.刀を持った男

「うわー血の匂い! なにここ!」

 シュピレゲイ緑地に現れた不思議な洞窟を、不穏な言葉を撒き散らしながらチッタは進んでいく。結衣菜とガクは不安な顔を見合わせる。

「えっと、松明の魔法あったよね。どうやるんだろ……」

「大丈夫、俺がつけとく」

 ガクが手をかざすと炎が生まれ、それは彼らを先導していく。チッタはある一点までくるとオオカミの姿に変身し、辺りの匂いを嗅いでいた。

「チッタ、どうしたの?」

「……人の匂いがする! こっち!」

 そういうと彼は急に走り出した。慌ててついていく二人はその先にあったものを見て目を疑った。

 彼らの間を分かつ檻。その柵の向こうには全身黒い姿をした悍ましい魔物が蠢いていた。結衣菜は冷や汗をかいて後ずさる。

「こ、これ……」

「闇の魔物だ……一体なんでこんな……」

 闇の魔物。ティリスが言っていたから名前だけは知っていたがこんなに恐ろしい姿をしているのか。何故だか動かないそれに結衣菜は安堵する。

「おい、そこに誰かいるのか?」

 不意に知らない者の声がかかり三人は振り向く。その檻に閉じ込められていたのは明るい茶髪の男だった。振り向いた姿を見て、声の主は驚嘆の声を上げる。

「お前……ガクか!」

「……! スピィエン……」

 どうやら二人は知り合いのようだった。しかしスピィエンと呼ばれた男はその目に憎しみを宿していた。一体彼とガクはどういう関係なのだろうか。結衣菜は見たことがないその顔に声をかける

「私たち、アシッドの村の人たちを探しにきたんです。あなたは……村の人ですか? 他の人たちは?」

「こいつも一緒にか? 信じられんな……」

「……本当です。今あなたと種族の話で争うつもりはありません。俺はチャチャとチュンを助けたい。ただそれだけです」

「……ふん。ここには俺一人うっ……」

 スピィエンは何かを言いかけたがそのうちに腹を押さえてうずくまった。それを見たチッタが扉を蹴り破り、轟音が洞窟内に響き渡る。

 ガクは中に入ってスピィエンを助け起こす。彼はガクの手を振り払ったが、その腹からは相当な量の出血をしていた。ガクは傷に手を当てると何か小さくつぶやく。みるみるうちにスピィエンの傷は小さくなり、そして、消えた。

「うっ……クワィアンチャーの悪魔に助けられるなん……」

「おっさん。助けられたらまずお礼を言うもんだぜ」

 助けられてなおまだ文句を言おうとした彼の前に、チッタが立ち塞がった。彼の顔は少し不快そうで、結衣菜は初めて見るチッタのそんな表情をただ見つめていた。

 スピィエンは舌打ちをするとガクとは目を合わせずに助かった、と呟いた。満足そうに微笑んだチッタを見て結衣菜は胸を撫で下ろす。ガクは表情を変えずに口を開いた。

「……傷はかなり深かった。一体なんのためにこんなことを……」

「血を取られたんだ。何かに使うらしい。……他の村人はこっちだ」

 洞窟の奥を指差したスピィエンは言葉を発さずに洞窟の中を進んでいく。ガクも口を聞かなくなって結衣菜はかける言葉を失った。チッタは匂いを嗅ぎながらついてきているが、この重苦しい沈黙を破ってくれることはなさそうだった。

 二つに分かれた道を右に進むと檻がいくつも並んでいた。人の話し声が聞こえて、ガクは思わず駆け出す。

「チャチャ! チュン! いるのか!」

「うそ……ガク兄なの?」

 スピィエンを追い越した彼はかけられた声で立ち止まる。青い瞳の少女が檻の中にいて、ガクに駆け寄る。彼女には結衣菜も見覚えがあった。アンの妹、チュンだ。

 檻の中にはチュンの他にもたくさんの村人たちがいた。皆一様に怪我をしていて、チュンも例に漏れず腕から血を流している。

「チュン! よかった……すぐ開けるからな」

 ガクが扉を錠ごと凍らせると、言葉を交わさずしてチッタが再び扉を破った。凍って脆くなった鍵はすぐに壊れ、開いた場所から村人たちが脱出する。

 混乱を予測した結衣菜は出口までの道標を放った。それは緑色の光となって村人たちを導いていく。スピィエンはみんなを誘導すると最後に自分も追いかけていった。

 皆が檻から出た頃、結衣菜は聞きなれない金属音を聞いた。音の方を振り向くとガクに振り下ろされた刃を狼姿のチッタが鋭い爪で受け止めているところだった。

「チッタ!」

 結衣菜が雷の魔法を撃つと、集中力が切れて道標の光が消える。ガクが松明の炎を大きくすると相手の姿が露わになった。

 結衣菜はその出立を知っていた。和服と呼ばれる雰囲気の衣を纏った男が振り下ろしていたのはティリスたちが使っているような西洋剣ではなく、美しい刀身を讃えた刀だった。そしてなんと、彼にはふさふさの耳と尻尾が生えていたのだ。

「つっ……お前、ジェダンの犬か! 邪魔だ!」

「お前何ー! オレらと同じか!」

 跳ね除けられたチッタは全く動じず、むしろ彼に興味津々だ。男は続けて刀を振り下ろすがその切っ先はチッタには当たらない。男の長い尻尾が怒気を含んで膨らんだ。

「恥晒しが! お前らのような膿と我等を同じにするな!」

 彼はそう言い捨てると白い煙に包まれた。チッタが狼に変身する時と同じだ。かくして、煙が消え去ったそこには大きな猫が毛を逆立てて威嚇していた。

 チッタが動く前に、彼は鋭い爪で彼を引き裂こうとする。しかしチッタの動きは素早く、その爪は空を切った。チッタが噛みつこうとすると、ガクが叫ぶ。

「チッタ待て! 彼は人間だ!」

「でもどうすんの!」

 すんでのところで攻撃を止めたチッタは男の攻撃をかわし続けている。しかし、いつまでもこのままとは行かないだろう。

「話がしたい! なぁ、君はなんでここにいるんだ? ここについて何か知っているなら教えて欲しいんだ」

「俺はここを調べにきた! だがお前らに話すことは何もない。失せろ!」

「協力しよう、その方が君の利益にもなるだろう?」

「このジェダンの犬っころの息が止まれば少しは可能性あるかもなぁ! エーフビィ・メラフ!」

 男は詠唱するとその爪に炎を纏った。初めてみたその様相にチッタは目を丸くする。そしてその爪が彼に振り下ろされる瞬間、結衣菜の水の魔法が彼の爪の炎を打ち消した。踏まれた猫のような声と共に彼の変身も解かれる。

「……くっそ……。おい女! 覚えとけよ! 今日はこのくらいにしといてやる!」

 捨て台詞を吐いて男は勢いよく出口へと向かっていく。追いかける間も無かった結衣菜とガクは首を傾げて顔を見合わせた。

「一体なんだったんだ……。ここに捕まってたわけじゃなさそうだったし」

「捕まえたのは魔女だってアンが言ってたもんね。変なの……」

「だな。とにかく外に出よう。村の人達が心配だ」




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