17.夢願の再会
長く続く一面の雪原の上澄みを風がなでて動かしていく。ディクラネカ平原と呼ばれるそこを、しばらく歩いていた。それぞれが目的とするトーテの街はジェダンとの国境と近いというのもあって、ディクライット城下町からはかなり遠い。
双子はといえば初めての長旅だというのに風はすこぶる元気そうだ。悠はたまに疲れていて、限界が来るとスペディに乗ったりしている。
今まさにスペディに乗って伸びている悠を見て、結衣菜は小さくつぶやく。
「そんなヘトヘトになるまで頑張らなくてもいいのに」
「悠はティリスさんの前でカッコ悪いとこ見せたくないんだよーっ」
隣にいた片割れの余計な一言に悠は顔を真っ赤にして反論する。
「はぁ! 風のバカ! そんなことないし!」
「そんなデロデロになっちゃう方がカッコ悪いのにねー!」
風が優勢の喧嘩を眺めてティリスは微笑み、結衣菜はいつものため息をつく。と、その時遠くから何かが駆けてきた。
金色の狼だ。チッタは勢いよくジャンプするとそのまま煙に包まれ、人間の姿に戻って着地するとにかっと笑った。
「あのちっさい丘を越えれば街が見える! トーテだ!」
街が見えた、とは言ってもそれから半日。魔物の妨害にあったりなどもしてようやく着いたのは夜だった。街門には火が灯されていて夜でも門の場所はわかりやすい。
「ようやく着いたー!」
一番乗りで街門をくぐろうとしたのは風だ。しかし、門の脇に立っていた男に止められる。
「こら、勝手に入っちゃダメだ。許可証は?」
「許可証はここに」
ティリスは一歩前に出ると書類を取り出す。彼女のマントを見て男は驚いて姿勢を正した。
「ティ、ティリス様! 大変失礼いたしました。連絡があったお連れ様……で。ぎ、銀髪……」
男は明らかに恐怖の色を浮かべていた。目があったガクが目を伏せる。
「彼も連れの一人。ガクもそこに名前が書いてあります」
「し、しかし……」
「彼が闇の魔物から街を守った話はこちらには伝わっていないのですか?」
「……伝わっております」
では、と促したティリスに男は一人ずつ名前を聞いて照らし合わせていく。少しののち確認が取れるとようやく一行は街の中に足を踏み入れることとなったのだった。
雪がちらついていた。
辺境にあると聞いていたトーテの街は意外にもディクライットに似た都会的な街だった。久しぶりの宿屋で早めに一泊した彼らは明け方、ようやく街の散策を始めようといったところだ。結衣菜は立ち並ぶ建物にかけられた看板を見て口を開く。
「辺境にあるから小さいのかなと思ってたけど、結構大きい街だね。看板が沢山あるけど、お店が多いの?」
「ええ。商業が盛んでね。ディクライットまで遠征しにくることも多いのよ。織物が有名」
「へぇ〜。織物ってことはお洋服たくさん売ってる?」
目をキラキラ輝かせた風にティリスは微笑む。どこにいても彼女の好奇心は留まることを知らない。
「そうね、そういう店も……え?」
「どうしたんですか、ティリスさん……あ」
エインがティリスの視線の先を見ると、黒い馬が見えた。民家の脇に繋がれたそれは顔だけ少し道に出している。
「嘘……デュラム……」
ティリスは考えるより前に足を踏み出していた。エインの静止は聞こえない。その馬はティリスを見つけると低くいなないた。
少し興奮した真っ黒な馬のたてがみは綺麗に編まれている。鼻先に手をやるとそれはゆっくりとティリスに顔を寄せた。
まるで前から親しかったかのようにティリスは落ちついた彼を撫でていく。この子は彼の馬だ。ならこの子の主人は……と、その時、民家の裏から物音が聞こえた。
ティリスがいる反対側から焦った顔を覗かせたのは若葉色の髪の青年だった。彼は彼女を見ると透き通った青い目を見開く。
「ティリス……」
呟いた彼の声に彼女は振り向く。そして彼の顔を確認すると、歓喜の表情を見せた。
「やっぱり、このたてがみの結び方……デュラムだと思ったの! ディラン、私、貴方は生きてるって信じてた。無事で、本当に、本当に良かった……!」
胸が熱くなるのを感じた。この何年かで、こんな気持ちになったことがあっただろうか。
ただ、嬉しかった。彼が生きていたのだ。夢なんかじゃない。こんなに切望した再会は他にない。
「ディラン?」
思わず彼の胸に飛び込んだティリスは抱きしめ返さなかった彼を見る。彼の視線は揺れていた。それは何に対する感情の揺れなのだろうか。
ティリスは溢れ出る嬉しさで紡ぐ言葉を続ける。それは流れ続ける川のようで止める方法は知らなかった。だって、ずっと会いたかったのだから。
「それでね、ディラン、私、騎士団長になったの。母さんを超えることもできて、剣聖の称号も得た。これでようやくあなたと対等になれた気がするの。だからね、私と一緒に帰りましょう? ディクライットに戻って、やり直すの、そして……」
「ごめん、ティリス」
次の言葉を止めたディランは、疑問の色に染まった彼女の顔を見た。何に謝られたのかわからなくて、ティリスは口を開く。
「どうして?」
「……家族がいるんだ」
彼の瞳はまだ揺れていた。けれどその言葉はティリスを遠ざけるには十分すぎる意味を孕んでいる。彼から一歩後ろに下がったティリスの目から一粒、また一粒と涙がこぼれていった。
「私……ごめんなさい」
そうだ、そうだった。そんな都合がいいこと、あるはずがない。ティリスはそのまま駆け出した。
彼は追ってこない。振り返る勇気もない。そうだろう。事情を知らず気持ちだけ伝えてしまったのは紛れもない自分だ。それがどう言った事情であれ、今彼の隣にいるのは自分ではない。自分は彼の隣にいるべき人間ではないのだ。その事実だけが重く胸にのしかかる。
あの場所からどれぐらい離れただろうか。ティリスは街を流れている小川のほとりまで来ると腰を下ろす。
ひどい顔だ。川面に映った自分の顔を、零れ落ちる水滴が揺らしていく。川の中を泳ぐ魚はその悲しみなど知らずに優雅に泳いでいく。青い色の尾鰭が美しかった。
「私もこのまま、魚になれればいいのに」
「ティリスはそのままの方がいいよ」
川面に映るティリスの顔にひょっこり並んだのは結衣菜の顔だ。結衣菜はティリスと目を合わせると眉を顰めて微笑んだ。
「ユイナ、私……馬鹿ね。なんでか、彼が生きていれば、会うことさえできれば、全てがうまくいく。そう思ってた」
結衣菜はなんて声をかけたらいいのか迷っていた。追いかけたはいいが、結衣菜は彼女のいなくなった婚約者の話を聞いていた。とても素敵な人なのだと、きっとまた会えると信じていると、そう言っていたのだ。
「彼ね。家族がいるんですって。ほんとうは、ほんとは……」
自分が家族になるはずだったのに。そんな言葉だろうか、しかしティリスの口からその続きは出てこなかった。彼女は水面を見つめているがきっと別のものを見ているのだろう。
「ティリス……ディランさんのその言葉が本当だったとしても、きっと何か理由があるんだよ。チッタが……ティリスがいなくなった後飛び出してって……そのあとどうなったかわからないけど、きっと理由を聞いてるはず」
「そう……ね。でも、まだ気持ちの整理がつかないの。彼が生きていてくれて嬉しい。顔が見れただけでも本当に幸せだわ。そう思うべきなのに、私」
「ティリス、どう思うべきということはないよ。ティリスがそう思いたいことも本当の気持ちだし、でも今傷ついていることも本当の気持ち。それをどちらか押し殺す必要はないよ」
「ユイナ……ありがとう。でもごめんなさい、少しだけ一人にしてもらってもいいかしら」
ティリスの涙はいつの間にか止まっていた。しかし彼女はまだ揺れる水面を見つめていた。
結衣菜は頷くと去っていく。さっき彼らがいた場所を探して歩いていった。どんな事実が待っていようと、今は私がティリスの支えになりたい。そんな気持ちを抱えながら。
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