2.残された少年
どのくらい時間が経っただろうか。打ちひしがれた銀髪の青年はその場で空を仰いだままだった。ディクライット城下町とアシッド村、その目的の場の片方を失って、すぐ城下町に向かおうなどと言うことは考えられなかった。
どうして、村が襲われなければいけなかったのか。クワィアンチャーへの差別意識が強いとはいえど、それ以外はごくごく普通の平和で、美しい村だった。それが理不尽に滅ぼされるなど、あってもいいはずがない。
自分がその輪の中に入ることはなかった。けれど昨日のことのように思い出されるのだ。
村を流れる川は小さいけれどとても美しい。小魚が泳ぎ虫がその近くを飛び回る。草は嬉しそうに日光を浴びて鳥はその美しい声を自慢して囀っている。火を焚くために薪を割る男、狩に出た夫の帰りを待ちながら料理を作る女、作物の管理をする老人、村を走っていく三人の子供たち──。
それが全てなくなってしまったのだ。彼が知っているアシッドの村はもうなかった。
小川は壊れた家の瓦礫でところどころ堰き止められ、焦げた匂いが充満している。家の周りの木も焼け落ち、もちろんそこに生き物は存在しない。
不意に彼の背後から生き物の動く物音がした。魔物かと思って振り向いた彼の目に、懐かしい姿が飛び込んでくる。
「ガク兄……」
黄色い髪に青い瞳。まだ成人したばかりだろうその少年は手に持っていた薪を全て落として、ガクの胸に飛び込んできた。彼の目からぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちる。抱き止めたガクはかつて約束をしたその少年の名を呼んだ。
「アン! 無事だったのか、よかった……。チュンとチャチャは? ほかのみんなは、村は……」
「ガク兄、ほんとにガク兄だ……。二日前の夜、村が襲われて……俺、俺だけ、これのおかげで気づかれなくて、それで」
アンはかけていた首飾りを外して見せた。それは黒曜石が繋がれた鎖に少し大きめの魔宝石がついているものだった。どうやら魔物除けがついているらしく、そのおかげでアンだけ難を逃れることとなったようだ。
「とにかく、アンだけでも無事でよかったよ。どこかまだ使えそうな場所はある? そこにいって話をしよう」
少年は頷くと歩いていく。そうして彼らは元々村長の家であった場所へと、身を落ち着けることとなったのだった。
「それなら、みんなは一応無事ってことだよな?」
アンの話としてはこうだ。彼らがいつも通り寝静まった後、急に辺りが騒がしくなったかと思えば魔物の強襲が始まったと。魔物が集団で村を襲うことは何年か前にも一度あったらしいが、その時はたまたま居合わせた旅人が助けてくれたらしい。今回はそういう運もなく、村は焼け落ちるほど荒らされて村人は全員連れ去られたという。
「たぶん……。でも、どこにいるのか……。そうだ! ガク兄、ディランさんに会ったの? だから戻ってきてくれたの?」
「えっと……誰だっけ」
どこかで聞いたことがあるような名前だった。しかし記憶は朧げだ。九年前までの記憶はどこか靄がかかったようで鮮明に思い出せることの方が少ない。
「そっか、会ってないんだ。何年か前、村が襲われたのを助けてくれて、この魔物除けをくれた人なんだ。その人に俺、お願いしたんだよ。ガク兄にどこかで会えたら、俺らはここで待ってるから、必ずまた会いにきてって伝えてって。でも、そんなの必要なかったね」
「アン……。遅くなってごめん」
「ううん。俺、一人になってどうしたらいいかわかんなかったんだ。とにかく生きなきゃって気持ちしかなくて……」
「……よく頑張ったな」
ガクがアンの頭を撫でると彼はまた泣き出した。限界だったのだろう。アンはひとしきり泣くとそのまま寝てしまった。銀髪の青年はこれからのことや攫われてしまった村人たちのことを考えて頭を抱える。
ひとまずアンの安全を確保しないと。強力な魔物除けがついてるならスペディを貸せばディクライットまではどうにか……でもディクライットだって安全だという保証はない。
九年という月日は大きかった。とにかく情報がない。街に居座れないのが一番大きいが、それにしても魔物は以前より攻撃的だし、ましてや集団で村を襲い、人を攫うなど聞いたことがなかった。そこまでの知能がある魔物ならまず人間に近づこうなどとは思わないのだ。
どうしてこうなってしまったのか。帰るべき村は焼かれ、世界には不穏な空気が漂っている。自分はこの九年を犠牲にして、世界の均衡を守ったはずじゃなかったのだろうか。
そんなことを考えて外を見ていると、不意に窓の近くで何かの影が動いた。魔物が戻ってきたのだろうか、ガクは家の玄関に立てかけてあった銛を手に取ると様子を伺う。外を見ようかと扉に手をかけた時、それは勢いよく開いた。
飛び込んできたのは赤い髪の男だ。彼はガクを確認すると後ろを向いて口を開く。
「ほら言っただろ! 人だって!」
「なっ……! ……え、チッタ?」
「?」
「ガク!」
男が振り向く前に、もう一人、淡い栗色の髪の女性が玄関に入ってくる。後ろには同じ顔をした少年と少女が不安そうにこちらをのぞいていた。
「ゆ、ユイナ? 嘘だろ、そんなこと……」
「ガクじゃん! おじいさんになる前に帰ってこれたんだ!」
「あ、はは……再会して一言がそれか……お前らでよかったよ」
ガクが邂逅したのはかつての仲間たちのうち二人だった。しかし、彼は自分の知っている事実とは違うことに気づく。
「ユイナ、元の世界に帰ったんじゃなかったのか?」
「あー、それがね……うん、説明するよ」
結衣菜はそう言って苦々しげに笑った。
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