4.リタの魔道士

1.焼け落ちた村

 その日は天気が良くなかった。曇天は心を塞ぐような色を視界一面に広げている。今にも雨が降り出しそうな薄暗い世界の中、星屑のように煌めく姿をもつものがあった。

 長い髪の美しい青年の連れは同じく長い耳を垂らした生き物だ。スペディと呼ばれる種類のその生き物の背を撫でて、彼は端正な口を開く。

「この辺りのはずなんだけどな……」


 ガクはこの一ヶ月、大変な旅を続けていた。ジェダンの中心街を出発してからいくつかの町を経由したが、目的地のあるディクライット王国へと近づくにつれ、彼の種族への差別意識は強くなっていった。

 だから旅に必要なものを用意するときだけ町に寄り、なるべく野宿をするようにしていた。九年前ディクライットから山脈を超えた先の国まで長い旅をした彼はそれなりに旅慣れていて、魔物除けをしっかり張って寝ることができれば夜も安心だった。それでも危険な時は事前に精霊たちが教えてくれるのだ。

 それよりも苦労したのは国境越えだ。ジェダンの中心街から少し離れた所に砦を建設しているところを見た。それはディクライットの国境に面したもので、彼らの関係の悪さを助長していた。

 ジェダンは元々、独裁思想が強い国だ。狼に変身できるジェダン族のものしか住めないその国では一番上の元帥が絶対だ。その命令に従わないものはジェダンでまともな生活はできない。だから中心街にもクィードやアリスのようにその日暮らしのものは多かった。

 その元帥が言うには、ここ何年かで闇の魔物や普通の魔物が活発になったのは隣国ディクライットの企てだと言うのだ。村や小規模の町が襲われ、人がいなくなると言う事件も増えているらしく、それも同じ理由だと言うのが国としての判断だった。

 そうなれば、自然と国境の警備は厳しくなる。そもそもジェダン族ではないガクは正面から行っても検閲を通してもらえることはまずない。それどころか捕縛され、最悪処刑されてしまうのが関の山だろう。

 どこか警備の穴がある場所はないだろうかと国境を北上していた時のことだ。街で食料を買い込んでいた際にこんな話を聞いた。「元帥は国民を守る気はない。軍事力だけ高めようとしているが、生活に困窮し、国境を超えてディクライットに亡命するものが増えているらしい」と。

 亡命するような人間はまともな検閲を受けることはない。だからその人たちに紛れることにしたのだ。

 かくして、その方法は上手くいった。ハーゲンという街から少し南東へ向かった先に自然の国境となった山があった。そこはジェダンの国防軍の警備が手薄なところで、山を縫うようにして越えることができればディクライットに入ることができるのだ。

 代わりにディクライットの騎士団のものが亡命者を見つけては保護していたが、たまたま鉢合わせた彼らはガクの姿を見た瞬間「シェーンルグドの亡霊だ!」と、怯えて逃げていってしまった。そうして運良く、しかしようやく目的地に近い場所へと辿り着くことができたのだ。

 

 しかし、彼が探していた村の入り口はなかなか見つからなかった。アシッドと呼ばれるその村はディクライット領では珍しく冬でもあまり雪が降らない地域で、雪に閉ざされているからわからないということはない。森に続く道の中にひっそりと現れるそこは自然の宝庫で、とても美しい村なのだ。

 そんなわけで二日ぐらい森の外周を回ってしまった。九年、開けている間に地形が変わってしまうなどあり得るのだろうか、などと考えているとふと見覚えのある大きな木を見つけた。

 あそこに入り口があったはず。地形が変わっているわけじゃなかったと安心して、ガクはその村へと向かっていった。




「ガク兄! ガク兄こっち! はやくはやく!」

 黄色い髪の少年は森の中を駆けていく。さらにその前にはおさげの少女が走り、ガクの後ろにはおかっぱの少女が必死でついてきている。

「待ってアン。そんなに走ったら危ないよ」

「大丈夫、大丈ぶっぁ!」

 振り向いた瞬間少年の体は宙を舞う。勢いよく転んだ彼の膝からは血が滲んでいた。焦って駆け寄ったガクが傷を確認する。

「ほら言わんこっちゃない。大丈夫か?」

「アンはすぐに調子に乗るから」

「チャチャだって一番前走ってただろ!」

「二人ともいっつも待ってくれない……」

 しゃがみ込んだガクの後ろからチュンが顔を覗かせ、今にも泣きそうな顔で二人を見ている。ガクは彼女の頭を優しく撫でるとアンの傷を見直した。大した傷ではないが痛々しい。

「精霊さん。生命を見守る精霊さん。どうかこの子の傷を癒やし、痛みを取り除いてあげてください」

 ガクがかざした手のひらから暖かい色の光が漏れる。アンの傷は時を戻すように健康な皮膚へと戻っていき、やがてそれは跡形もなく消えてしまった。

「す、すごい、いたくない! ……ガク兄、これってまほう?」

「ガク兄、おめめ、どうしたの?」

 ガクが答えるより先に、涙目だった少女が指摘したのはガクの目の色だった。普段は宝石のように澄んだ琥珀色のその瞳は今は深い赤に染まっている。

「……力を使うとこうなっちゃうんだ」

「目の色が変わるの?」

「かっこいい!」

「すごい!」

 キラキラと輝く子供たちの瞳は純粋だった。自分には村に来る前の記憶がない。力を使うと奇怪で恐ろしいものを見るような目を向けられた。ひどい仕打ちも受けた。だから自分は差別されて当然なのだ、そう思っていた。なのに彼らは純粋で、そんな自分に対等に接してくれる。

「ガク兄、大丈夫?」

「……え?」

「なかないで、ガク兄」

「そうだ、ぎゅーしてあげる!」

「ぼくも!」

「わたしも!」

 小さな三人に抱きしめられたその時、ようやくガクは自分が涙を流していたことに気がついた。心の中に熱いものが湧いてきて、彼らをきつく抱きしめ返す。

 子供だからといえば当然のことでも、悪魔の末裔と呼ばれ差別される彼にとっては、この三人こそが確かな支えだった。この子たちのためならなんでもできる。そう本気で思っていた。

 生まれた時から世話をしてきた子供たち。彼らと離れたのは大陸の東に位置する遺跡に行けば自分の種族のことがわかる、とある人に言われた言葉がどうしても気になったからだった。

 その時に必ず、必ずこの村に戻ってくる。そう約束したのだ。その約束を果たすために、彼はこのアシッド村がある地へと戻ってきたのだった。










──かくして、その村はもう、そこには存在しなかった。






 たしかに、目印になる木の隣には村の入り口であった木製の柵が刺さっていた。しかしそれは焼けて煤だらけになっていて、ところどころ崩れている。

 彼が知っている美しい村ではなかった。入り口をくぐって奥に進んでも様相は変わらず、全ての建物に焼かれた跡が残っていて、ひどいところは瓦礫と煤しか残っていない。まだ焦げた匂いはしていて、つい最近焼かれたような感じだった。

「どうしてこんなことに……」

 彼が暮らしていた家は村のはずれにあった、はずだった。焼け落ちて煤の跡しか残っていないその前でガクは崩れ落ちた。連れていたスペディが心配そうに顔を寄せてくれたのに気づいて優しく撫でる。

 なにがあったのか分からなかった。道中アシッド村が無くなったなどという話は聞いてなかった。それならつい最近闇の魔物に襲われたのだろうか、しかし村人の遺体などはなにも残ってなかった。それはどういうことなのだろうか。約束をした子供たちは。


 焼け落ちた村の前で、銀髪の青年は空を見つめるばかりだった。

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