12.満月の下、秘密の話

「それで、大事な話ってなんだ」

 それは満月の浮かぶ夜だった。急に呼びつけられたアルバートはすこぶる機嫌が悪いが、風は何か思い詰めた顔をしていた。

「ちゃんときてくれたんだ」

 彼女は何を言おうとしているのか、さまざまな憶測が王子の頭を駆け巡った。彼女が言いたいことといえば大方また彼への叱責だろうと思うが、この鉄砲玉のような少女は一体どうすれば自分を放っておいてくれるのだろうか。

 いつものバルコニーには誰もいない。月明かりが積もった雪に反射して少し眩しいぐらいだ。その月を見上げていた。

「月、綺麗だよね」

「? そうだな」

「あはは、急に何言ってるんだって感じだよね。あたしが住んでたところでは月ってこんなに綺麗に見えなかったんだ。夜になってもずっと明かりがついてて、星だってもっと少なかった」

 アルバートには彼女が何を言おうとしているのかわからなかった。彼女が住んでたのはディクライットのはずれで、ここよりももっと田舎だ。そこは夜通し明かりを灯しているような特殊な風習があったのだろうか。

「何が言いたい?」

 訝しげに彼女を見やった王子はその少女がまっすぐこっちを見つめていることに気づいて固まってしまった。普段は二つに結んでいる髪を下ろしていると幾分か大人っぽく、あと少しでディクライットの成人年齢に届くというのも頷ける。

「アルバート。私に話してないことがあるでしょ? 最近ずっと結衣菜ちゃんは演練場に戻ろうって言ってくれてるのに絶対行かないっていうじゃない? あたし、結衣菜ちゃんの力になりたいんだ」

「なんだ、そういうことか。だから人の前では魔法が使えないんだって言ってるじゃないか。それは何度も説明したはずだ」

「でも、あたしたちの前では使えるようになったじゃん。結衣菜ちゃんだって王子はもう大丈夫だと思うって言ってる。それなのにどうして挑戦してみないの? それをあたしは知りたいの」

「それは……」

 風の言葉に王子は口籠る。風の指摘はもっともなことだ。結衣菜達の前でできたならきっと演練場に行っても訓練できるだろう。騎士団の訓練に混ざることができれば自分の成長につながる。それは必要なことだ、そう思う。

 けれど、怖かった。どうしようもなく怖かった。これまで横暴な態度で様々なことから目を背けてきた自分が急に真面目に演練場に現れたとして、また魔法が使えなかったら。

 なんて言おうか、どうしたら。思考が止まる。

 ぱぁんと、大きな音が響いて、王子は我に帰った。それは風が手を叩いた音だと気付いたのは、彼女が口を開いてからだった。

「というわけで、アルバートの秘密を聞く前に、あたしの秘密を発表しまーす!」

「はぁ!?」

「だって、アルバートが言いたくない事言うのに、あたしだけ黙って聞いてたら不公平でしょ? ただし、お互いの秘密は絶対他の人には言わない事! ね、それでいい?」

「それでいいって、おまえ、めちゃくちゃなこと言ってるの気付いてるか?」

「えっそうかなぁ? で、どうするの?」

 あっけらかんと答えた彼女は本当にそれが一番の提案だと思っているようだった。しかも選択権は王子に委ねている。半ば横暴にも思える提案だが、なぜかそれに乗りたいと思っている自分がいて、少し驚く。そして、彼は頷いた。

「わかった。まずはお前の秘密とやらを聞こう」

 王子の返答を聞いて、その少女はぱぁっと表情を明るくする。コロコロ変わる表情は彼女の魅力だ。秘密なんてなさそうな彼女にはどんな秘密があるのだろうか。王子が待たずとも、その口は開いた。

「あたし、別の世界から来たの」

「……は?」

 理解が追いつかなくて、王子は文字通り首を傾げていた。頭の中で"別の世界"という聞きなれない響きが繰り返される。

「はーい、じゃああたしの秘密は言ったから、次王子の番ね!」

「い、いやいやいやいや待て!」

「え? 何か問題あった?」

「問題ありありだ! というか問題しかない! ふざけるのも大概にしろ!」

「何もふざけてないよ。あたしほんとにこことは違う世界から来たんだもん」

 疑問符が思考を埋め尽くす。フウはほんとに何を言っているんだ?

「あたしね、水城みずしろふうっていうの。日本っていう国に住んでて、結衣菜ちゃんと悠と一緒に水族館に行って、帰ろうと思ってバスに乗ってたら事故にあって、そしたら急にこの世界に飛ばされちゃってたの」

「ニホン? スイゾクカン? バス?」

「あっははははは! 王子、大混乱じゃん! そりゃ信じてもらえないかもしれないけどね! 結衣菜ちゃんは前もこの世界にきたことがあって、その時ティリスさんにすごくお世話になったんだって。だから私たちもここで一時的にお世話になってる。ただそれだけ」

 自分の境遇を説明する少女の言葉は流暢で、嘘などついているようには見えなかった。そして王子はこれまで彼ら三人に感じていた違和感を思い出し、妙に納得した。

 ティリスは結衣菜を友人と称して城に置いているが、他国の人間でも知っているようなティリスの近況を結衣菜は知らなかった。あんなに魔法を操ることに長けている彼女が座学の基礎知識をほぼ全く知らなかったこともそうだ。

 悠が結衣菜や自分達を守るために遠い国の出身だと嘘をついたのも、風が自分に対して王子という概念を全く無視して接してくるのも、その全てがこの世界とは違う理の中で生きてきたからだ。

 腑に落ちたところで無意識のうちに長い溜息が出ていた。異世界から来たこの少女の境遇に比べたら、自分の悩みなんてちっぽけなものだ。なにが失望されるのが怖いだ。家族と引き離され、頼れるのは事情を知っている何人かしかいないその少女は気丈にいつも笑っている。そんな彼女の前にいるのが急に恥ずかしくなってしまった。自分は、ずっと比べてきただけなのだ。会ったこともない男と自分を。

「……なんで」

「ん、なに?」

「なんで、そうやって笑ってられるんだ」

「うーん、なんでだろ。深く考えてても仕方ないから? 悠なんかはすぐ後ろ向きになっちゃうから、あたしは前向きでいなくちゃって思えるの。だって、来ちゃったなら仕方ないし、帰りたいなら方法を探すしかないじゃん? でもここで長い時間過ごすなら、どうせなら楽しい方がいいし、その方がなんでも上手くいくと思うの! ね、そう思わない?」

 王子の手を取った少女はまた笑っていた。彼女のその言葉は考えることを放棄したようにも聞こえるが、なんだかその楽観的な想像が本当になってしまいそうな力強さを感じた。取られた手を離すように下ろした王子は、自分にそんな話をしてくれた彼女に、何が返せるのか考えた。

 今自分がすぐに表せるもの。それは、誠意だ。

「……フウ。俺が現王クラウディウスの本当の息子でないことは、知っているか?」

「え、そうなの? 全然知らなかった」

「だよな、知ってた。最初から話すぞ」

 王子は半ば呆れた顔をして話し始めた。この少女が自分のことをどう認識しているのかを彼はよくわかっているのだ。彼女は目の前の彼そのものしか見ていない。王子の出自がどうだろうが、彼女には関係ないのだ。

「まず、今の陛下には子供はいない。王妃様を亡くしてから側室を取ることもなかった。だけど一国の王には世継ぎがいるだろ?」

「ソクシツってなにかよくわかんないけど、要するに次の王様がいないと困るってこと?」

「そうだ。だから陛下は養子を取ることにした。そして王家と血縁のある者を候補に出したんだ」

「へぇ〜。それでアルバートが選ばれたんだ!」

「いや、俺は選ばれるはずじゃなかった」

「え? どゆこと」

「陛下には他に養子に取りたい奴がいたんだ」

「でもそれならなんでアルバートが?」

「……その男は王の勅命で出た任務先で命を落とした」

 重い言葉だった。風はもともと丸い目をさらにまんまるくして彼を見ていた。王子は続ける。

「その男は、優秀な魔法剣士だった、らしい。陛下から直々に魔法の手解きを受けていた彼は養成学校に入る前から魔法が使えた。それも主席で卒業しているし、魔法剣は剣も魔法も秀でた者にしか扱えない。騎士団に入ってからもその活躍は城にいない俺の元にも聞こえてくるほどだった」

 風は聞きながらうんうんと頷く。そして腕を組むとそれで? と続きを促した。

「……その男、ティリスの婚約者だったんだ」

「え!? ティリスさん、未亡人!?」

「いや、婚姻の儀を終える前だから違……似たようなものか」

「なるほど、そういうことね」

「なにがわかったんだ」

「アルバート、その人、なんて名前?」

「名前なんて聞いてどうするんだ」

「いいから」

「ディラン・スターリンって男だ」

「やっぱり! 私その人の名前聞いたことない!」

「はぁ?」

「この城ではディランさんのこと話してるのなんて、聞いたことないってこと」

「だから何なんだよ、それとこれとは話が違」

「違わないんだよ! その人よりアルバートの話の方がよく聞くもん。その人がどんなにすごい人でも、今この城の王子は、アルバートしかいないんだよ」

「っ……お前……!」

「まぁ、大半が王子のこと心配してる話だけどね〜っちゃんと訓練しないんだから当然か」

「あのなぁ!」

「へへーんだ、それにさ、アルバートはその人に会ったことあるの?」

「いや、ないけど……本当に遠い親戚なだけだ」

「じゃあその人すごい不細工かもしれないじゃん!」

「はぁ!? 本当になに言ってんだ!?」

「いやでもティリスさんの婚約者だったなら不細工は許されないな……せめて普通、いや上の中……」

「何でティリスの婚約者になるのに顔の良し悪しで許しが必要なんだよ。ティリスはそういうの気にしない女だろ」

「それもそうか! じゃなくて、アルバートは顔はいいからその人よりかっこいいかもしれないじゃん? ようするに、会ったことないならその人が本当はどんな人かわからないってこと! もしかしたら知らない欠点があるかもしれないし、アルバートが勝手にすごい人なんだって思い込んでるだけかもじゃん!」

 言い切った風を見て今度はアルバートが目を丸くしていた。なんだかおかしくなってきて笑いが漏れる。風が文句を言う中、ひとしきり笑い終えた彼はふぅーっとため息をつくと口を開いた。

「俺の秘密はそれだけだ。会ったこともない男と自分を比較して、そいつよりうまくできないと失望されてしまうと恐怖を感じてた。して、お前の言いたいことはよくわかった。……ありがとな」

「え、今なんて?」

「うるさい、二度も言わない」

「あれ〜、アルバート、もしかしてあたしのこと好きになっちゃって愛の告白でもした〜?」

「何でそうなるんだよ、俺にそういう趣味はない! ……まぁ、そのうちいい女にはなるかもな」

 小声でぼそっと吐き捨てた彼の言葉に少女の顔は林檎のように赤く染まる。その顔を見ずにバルコニーを出て行った王子に取り残された風は一人、焦った……と呟いてへたり込んだ。

 月はまだ、彼女を照らして輝いていた。

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