10.疑念、再び

「魔物を使った訓練をしたい?」

 訝しげな表情を向けたのはティリスだ。もう二週間ディクライットでの生活を続けていた結衣菜は、マンネリ化してきた訓練に刺激が欲しい頃だなと思っていた。

 王子が実は魔法が使えるということが判明してからはそんなに苦労はしなかった。毎日きちんと訓練に来るのはもちろんのこと、彼はかつてやっていた座学の方は一つの抜けもないほどよく覚えていて、新しい魔法を教えるときは結衣菜が王立図書館から借りてきた騎士団養成学校の基礎魔法の本の箇所を指差すまでもなく、彼が答えてくれた。

 結衣菜の方が座学の知識が薄く、王子からはかつて傭兵か何かだったのかと結衣菜にとっては不名誉なイメージを着せられているほどだ。彼女はそんなイメージを払拭するため、仕事の合間に座学の教科書の予習をするのに忙しい。

 いまだに首を傾げているティリスが口を開く。

「それで、どう言った理由なの?」

「アルバート王子が……魔法を操れるようにはなってきたんだけど、やっぱり集中力が削がれると上手くいかないみたいなの。だから是が非でも集中力を保てる環境を作りたいなって」

「なるほど……魔物相手なら命の危険を感じてというわけね。わかったわ、手配しましょう。……それには私も同席して大丈夫?」

 ティリスが心配しているのは王子が怪我をしないかということだろう。しかし、その過保護さこそが王子をああしている理由の一つだろう。結衣菜はうーんと唸る。

「どうだろう。……もうちょっと待ってもらえないかな? あぶなかったら私が倒すから!」

 ティリスは尚も心配そうだったが結衣菜のその言葉にようやく首を縦に振る。そうして、結衣菜たちは魔物を使った訓練をすることとなったのだった。





「エーフビィ・メラフ!」

 城のバルコニーに王子の声が響く。燃え盛る炎。その熱でアルバートの深い湖のような色の髪が舞い上がる。

 彼と対峙するのは翼をはためかせた魔物。シュレーンゲと呼ばれるそれはコウモリのような翼を持ち、大人の腰に届くか届かないかほどの大きさをしている。王子の繰り出した炎の魔法を素早い動きで避けたそれは蛇の顔をした尻尾で彼に襲いかかった。

「……っ!」

 すんでのところで退けた彼は少しふらつく。結衣菜たちは魔結界の外で王子を見ているが、手助けをする様子は全くない。魔物と自分が対峙するなんて生まれて初めてだった。今までは必ず、騎士団の一員でも女官でも、周りの誰もが自分を守ってくれていたのだ。

「くっそ、あの女……!」

 彼がよそ見をしている間にも魔物の攻撃は続く。それが翼を羽ばたかせると空気を切るような風が王子の周りに生み出されていった。彼の端正な顔のすぐ横を風の刃が横切る。アルバートは再び魔法を繰り出すため、意識を集中させた。

「エーフビィ・メラフ!」

 渾身の一撃だった。先ほどよりも魔力を込められた炎は柱となって燃え盛る。しかし、それを燃え上がらせたのは彼の魔力だけではなかった。魔物はいまだ羽ばたいている。それが風を送り続けその火力を増し続けているのだ。燃え盛る炎の熱は彼を魔結界の端へと追い詰めていった。

「エーフビィ・ヴァッサー!」

 アルバートの手のひらから水が迸った。しかし彼の残りの魔力量では大した量の水は出ない。もうだめだ。そう思って天を仰いだ時、不意に魔結界が解かれた。

 結衣菜の詠唱。巨大な水の塊が空に舞った。アルバートの目の前に躍り出たそれは炎の柱へと向かっていき、それを相殺する。

 すさまじい煙に彼はマントで口を塞いだが、落ち着く暇もなく続けて雷鳴が轟いた。これもあの女か、と王子は悪態をついたがそれは彼女には聞こえない。焦げたような臭いがしたかと思えば一瞬ののちにそれは魔物が絶命した時の嫌な臭いへと変わっていた。

 息が上がっていた。炎のせいで汗もかいている。アルバートは早く部屋に戻って着替えたかったが、三人が走り寄ってくるところで一目散に帰るわけにはいかない。

「すごーい! アルバート、ちゃんと戦えるんじゃん!」

「ほんと……僕はあんなできないよ……」

「ほんとに、普通に訓練した時より火力も上がっているし、何より集中できていると思います。自分ではどうですか?」

 結衣菜はこのような強行作戦に出たことでまた怒鳴られるのではないかと思っていたが、王子の反応は思っていないものだった。

「そう、だな。なんだか、コントロールがしやすかった気がする。今まで誰にも守られないということがなかったから、俺は……」

「あれ~もしかしてアルバート、反省してる~?」

「は? そんなわけないだろう。少し気付きを得ただけだ、お前俺の姉にでもなったつもりか? そんなことより、フウはどうなんだ。ユウは魔法が出せるようになったのに、お前はまだ全然出来てないじゃないか。双子なのに」

「はー、双子だからって一緒にしないでほしいんですー! 私と悠はね、得意なことも苦手なこともぜんっぜん似てないの! ほら、顔だって!」

「顔は似てるぞ」

『え!?』

 同時に叫び声を上げたのは双子だ。顔だけじゃなく、こういう挙動が彼らはよく似ている。

「アルバート様、やめてください。こんなバカと顔が似てるのは嫌です」

「とは言われてもなぁ……事実だし」

「ねえ悠今バカって言ったでしょ! バカっていう方がむぐ」

 反撃をしようとした風の口を塞いで喧嘩を制した結衣菜は兼ねてより思案していた考えを口にした。

「はいはい悠もほどほどにね。喧嘩はその辺りにして、今後の方針を立てよっか。悠は魔法が得意そうだからこのまま続けるとして、風はどうする?」

「んー、あたし体を動かす方が得意〜想像しろって言われてもよくわかんないんだよね。見てるのは面白いんだけど。あ、みんながこのまま魔法の練習するなら私は剣とかやってみたい! あ、剣ならティリスさんか! 行ってくる!」

 結衣菜が呼び止める前に弾丸のように走り出した風の姿はもう見えない。結衣菜よりも先に王子のため息がバルコニーに響いた。

「あいつ、剣聖の弟子にでもなるつもりか? ティリスは暇じゃないんだぞ」

 誰のせいで忙しいのか、と思った結衣菜は出かかった言葉を必死で飲み込んで、聞きなれない言葉を復唱する。

「剣聖? ティリスは騎士団長じゃ」

「剣聖であり団長だ。まぁそんな変な肩書きの団長は過去には一人も存在しないがな。ティリスは最年少で団長に就任してるし、特異中の特異だ」

「うわ……しばらく会わない間にとんでもなくすごい人になっちゃってるな……」

「お前ら仲が良さそうなのにほんとに連絡をとってないんだな。ディクライットのはずれに住んでたって言っても伝書が送れない距離ではないだろう」

「あ、はは……そうですね。色々あって……」

 誤魔化した結衣菜に向ける王子の視線は冷たく、明らかに彼女の出自を疑っている。この王子に異世界から来たなんて知られたらどうなるか分かったもんじゃない。結衣菜は口がこわばるのを感じたが、彼はさらに目を鋭くさせた。

「お前ほんとにディクライットの人間か? 顔立ちだってこっちの方じゃ見かけない」

「ゆ、結衣菜ちゃんはアンデルグとディクライットのハーフなんです。だから……」

 声を上げたのは悠だった。結衣菜の知らない国の名前を語った彼の手は少し震えていたが、しかし真っ直ぐと王子の目を見ていた。


 結衣菜が魔宝石に魔力を込める仕事をしている間、悠は毎日のように城の図書館に通っていた。やることがないというのもそうだが、この世界で必死に自分達の居場所を与えてくれる結衣菜の力に少しでもなれないか、と考えた時にまず真っ先に思い付いたのは知識の会得だった。

 元々勉強は得意だ。昔から本を読むのが好きで、愛読書は百科事典だった。知っている知識と新しい知識が繋がるとワクワクして、さらにその先のことを知りたくなる。そうやって得た知識を使って問題を解いたりするのもパズルみたいで好きなのだ。

 この世界でもそれは一緒だった。ディクライットの王立図書館は城の中にある。それは騎士団員や養成学校の学生の利用がほとんどだ。結衣菜達はティリスの客人ということで城内では学生と同じ範囲での施設の利用が許されていて、それには王立図書館も含まれていた。

 足繁くそこに通ううちに会話を交わす学生も何人かいた。その中の一人が口にした国が気になって、悠はメモをとっていたペンを止める。

「アンデルグ?」

「知らないの? 大陸の端よりもっと向こうにある島国だよ。ほら、ここ」

 悠と同じくらいの歳ほどの少年が指差した場所はディクライットが位置する大陸の中心とは程遠い場所だった。大陸の端から海を渡ったその島国の形にどこか既視感を覚えて、彼は首を傾げる。

「……なんか日本に似てるなぁ」

「ニホン?」

 自分の失言に気づいた悠は慌てて口を押さえたが、少年はそこまで気にしていないようですでに自分の調べ物に戻っていた。ホッと息をつきながら悠は再び地図を見る。

 アンデルグと言われたその国は全てが陸でつながっているがやはり悠の故郷の国に形が似ていた。ちょうど手にしていた歴史資料を開いてアンデルグの項を開く。この世界で文字が読めて本当に良かったと思いながらその国の概要を頭に詰めたのだ。

 そうして今、結衣菜を助けるため、悠は口を開いていた。


「アンデルグは単一国家です。動物に変身できる彼らは常に耳と尻尾を動物の姿にして生活してます。けど結衣菜ちゃんはディクライット族として生まれてきちゃったからアンデルグにはいられなくて。それで僕ら双子の家族と暮らすようになったんです。ディクライットに来たのは結衣菜ちゃんのお父さんを探すためで、ティリスさんを訪ねてきたのはその関係です」

 王子は黙って悠の話を聞いていた。アンデルグの言い訳を思いついたのは王子と同じようにディクライットには日本のような顔立ちのものがほとんどいないということに気づいたからだ。この国では城の中での常識を知らない風よりも、異国の風貌をした結衣菜のほうが目立つ。そう思った悠はこうやって怪しまれたときのための策を練っていたのだ。

 この世界には種族というものがあって、動物に変身できたり、未来を見ることができたり、そういう特徴をまとめて殊魔法しゅまほうと呼んでいてそれぞれの種族を表すものとしている。ディクライットの人間にはそういうものはなく、代わりに魔法の研究などで文化が発達したと本には記載されていた。

 種族は遺伝によって決まるが、親の種族のどちらが現れるかなどという詳しいことは今のところわかっていないのだ。だからこそ単一種族国家のアンデルグは他国のものとの交流をえらく嫌っていたという。そこから追い出されたことにすれば都合がいい。

「それで。……なにがいいたい?」

「僕らはここにいていい人間ということです」

 王子は悠の答えを聞いてふーっと細いため息をつくと真っ直ぐ彼を見返した。バルコニーに吹いた風が彼の長い巻き毛を揺らす。

「言い訳はもう少し簡潔にするもんだ。安心しろ。俺はお前らをどうこうしようという気はない」

「……え?」

「ティリスの客人に傷なんてつけられないからな」

 予想外の反応に悠は目を丸くしていた。異国人のハーフということで顔立ちの説明はできても、もっと突っ込まれるかと思っていたのだ。王子は横暴でも僕達に敵意があるわけじゃないのだ。やはりティリスの後ろ盾というのは大きいのだろうか。それともただの気まぐれか。

「はー。で? 俺たちは続けるだろ。対魔物のコツを教えろ」

 そうして、再びバルコニーにはシュレーンゲが放たれることとなったのだった。

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