8.風の誘い

「たっくもー、あの意気地なし、一体どこにいったの……。わりと探したけど見つからない……」

 息が上がる。風の濃いブロンドの髪は汗に濡れ、外には雪が降っているというのに一人だけ夏の様相だ。

 あの時は少し気が立っていた。結衣菜がどうやったら王子のためになるか考えながら魔法を教えてくれてるのに、王子は相変わらずの態度のまま。そればかりか訓練を放棄しようとした。

 どんな相手だろうと人が何かをしてくれたことに感謝をしない奴は嫌いだ。でもかっとなってあんなことを言って、かえって周りを困らせてしまったのは自分だということも、風はわかっていた。

 だから後先考えず追いかけたのだ。しかし彼の姿は見えなかった。

「城の中じゃなかったら外かな〜。でも城の外には出るなって言われてるしな……あ、そうだ!」

 風は再び城の中を駆け出す。走ると危ないという心配の声が聞こえた気がしたが、そんなのは気にしない。今はとにかく、王子を見つけることが大事だ。

 彼女は唯一まだ確認していない城の最上階に上がれそうな階段を見つけるとそこを駆け上がっていく。

「たぶんここから見れば城下町にいても場所がわかるはっず!」

 勢いよく扉を開けた風の髪が風に靡いて顔にかかる。彼女は悪い視界の中、バルコニーに佇む人影を見つけた。

 ここにいるとは思わなかったが、探していた彼だった。よくみるとバルコニーの塀の淵に座っている彼を見て、それまで走り回ったせいで紅潮していた彼女の顔がみるみる青くなる。

「わわわ! 飛び降りるのはダメー!」

 勢いよく王子に抱きついて塀から引きずり下ろした風は、そのまま王子と共にバルコニーの床に転がる。

 立ち上がろうとする王子を風は必死に引き留め、訳がわからないと言った顔の彼が口を開いた。

「お前いきなりなにすんだ! 危ないだろ!」

「いくら傷ついたからって飛び降りることないでしょ! 命は大事にしなきゃダメなんだよ!」

「何言って……俺はただ街を見てただけだ! 離せ!」

「やだ! 絶対はなさ……え?」

 自失した風の腕からすり抜けてようやく立ち上がったアルバートの瞳には明らかに冷ややかな感情が宿っている。それを見た瞬間、風は全てを理解した。

「ごめん! あたし、かんっぜんに勘違いしてた!」

 立ち上がった風は先ほど転がっていた床につくような勢いで頭を下げる。

「あたし、いいすぎたと思って追いかけてきたらあんなとこに座ってるからてっきり」

「お前……俺が後ろに体重かけなかったらお前ごと落ちてたんだが。ほんっと頭の中身空っぽなのな」

「あっはは……なにも言い返せないや」

風は少し俯くと服の裾を握る。嫌味を言ってもなにも返ってこなかったばかりか少し震えている彼女の手を見て、王子は眉をひそめた。

「その傷、今転がったからか?」

「え? あっ、ほんとだ……大丈夫大丈夫! こんなのすぐなお……ちょっと!?」

 勢いよく腕を掴んだ王子は風の手の平を確認する。傷はそこまで深くはなかったが、擦れて少し血が滲んでいた。王子は彼女の傷に手をかざすと、目を瞑る。

「……ハイレグト」

 小さな声だった。しかし確実にそう唱えた声に呼応するかのように、彼のかざした掌からは暖かい色の光が溢れ出てくる。

「えっ、これって……」

「少し黙ってろ」

 魔法をつい二日前に初めて見た風でもわかる、これは魔法だ。王子は魔法が使えないとティリスさんから聞いていたのに、なんで。

 王子はみるみる治っていく傷が綺麗になったのを見て、手を離す。

「……ふぅ。これでいいだろ」

「あ、ありがと……でもなんで? 魔法、使えるなら訓練受ければいいじゃん」

「使えるって言っただろ。……人の前で使えたのはお前が初めてだがな」

「え、ええ、そういうこと? それならそうと早くいえばいいのに! 王子、緊張しいなんだ!」

「ちが! お前なぁ!」

 顔を真っ赤にした王子に風が追い討ちをかける。

「じゃあ何! 恥ずかしがり屋⁉︎」

「あんまりかわんねえだろ! 人前だと想像するときに色々邪魔が入ってうまくいかねえんだよ!」

「邪魔? どういうこと?」

「……これを失敗したらどうなるかとかまた失望されるんだろうなってのが想像の中に入って来るんだ」

「なるほどぉ……」

「分かったような顔をするな」

 そっぽを向いた王子の横顔は何か思いつめているようだった。しかし少しだけ王子の本音に触れたような気がした風は彼の手を取って続ける。

「それじゃあ、明日の訓練はここでやろうよ! ここならあんまり人が来ないし、結衣菜ちゃんと悠が増えたくらいならそんなに緊張しないでしょ!」

「いや、でも……」

「でもじゃない! 決まりね! じゃあまた明日待ってるから〜!」

 言いたいことだけ言って風は去っていく。彼女の元気な笑顔だけが頭に残って、塀に手をついた王子は複雑な面持ちでディクライットの城下を見る。

 うっすら雪が積もったディクライットは美しい。ここが自分の国、自分が守る国だと言われたのを思い出した。他国の人間のくせに、まるで自分のことのように怒っていた気の強い少女。

「あいつ、本当になんなんだ……」

 王子の大きなため息が、ディクライットの寒空に消えた。

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