7.王子の逆鱗

 昼食も終え少し落ち着いた頃、結衣菜は双子を連れて騎士団の演練場へと来ていた。

 雪の降るディクライットは演練場も屋内にあるが、そこは高い天井を太い柱が支えており、石造りの床が広がっている。

 思ったよりも数多くの騎士や騎士を育てる養成学校に通う学生たちが様々な魔法を使って訓練しているのが見える。多少派手に魔法を使っても大丈夫なように、壁には魔力を吸収する魔法がかけられているという。

「ねえねえ、あたしも結衣菜ちゃんみたいにすごい魔法使えるようになるかな!」

「風はサボり魔だからなぁ。部活もしばらく行ってなかったじゃん」

「あれは先生がわるいの! ていうか帰宅部の悠には聞いてませーん!」

「僕は風と違って勉強してるの!」

 また喧嘩しそうになっている双子を諫めた結衣菜は他の人の邪魔にならないようにと少し端に寄った。

「ふぅ、この辺りなら邪魔にならなそうだね。殿下は……」

「俺はここだ」

「ひゃっ、びっくりしたー! ……ふぅ、これででもみんな揃いましたね」

 これで一番の懸念は消えた。正直素直にきてくれるとは思っていなかったが、昨日風が焚きつけたのが効いたのだろうか。周囲がチラチラとこちらを気にはすれど何も言ってこないこの雰囲気が少し気まずいが、何にせよこれで仕事が始められるならば良いことだ。胸を撫で下ろした結衣菜をみて、風が元気に手をあげる。

「はいはーい、せんせい! まず何すればいいー?」

「まず初めに……そうだね。ディクライットでどうやって魔法を教えているかはわからないから私流になっちゃうけど、さっそく一つ魔法の名前を教えるね」

「名前? 何で名前なんか。そんなもん本に書いているだろう」

 話を遮った王子を風が睨みつけると、また悠が青い顔をしたが結衣菜は冷静に先を続けた。彼女は魔導書どころか手ぶらできているのだ、見せるべき本や資料などは持ってきていない。

「何事も経験です。さて、じゃあ肝心の名前ね。あ、殿下は知っていてもどんな魔法か他の二人に話さないでくれると助かります。エーフビィ・アイジィ。覚えられる?」

「その魔法なら知っている。しかしこのちんちくりんに誰が教えるか。」

「はぁ? お子ちゃまになんて教えてもらわなくて結構でーす!」

 また喧嘩を始めようとしている二人を見て悠はもうどうとでもなれとでも思ったようだ。呆れ半分の引きつった笑い顔を見せる彼を結衣菜は心底気の毒に思う。

「……あ、はは……。エーフビィ・アイジィ。結衣菜ちゃん、これであってる?」

「うん、発音は大丈夫。風は大丈夫そ?」

「あ、うん。エーフビィ・アイジィね。だいじょぶ!」

「殿下は知ってるらしいので割愛するとして、そしたらみんな、地面の危なくなさそうな場所に手を向けて、今教えた魔法を唱えてみて」

王子は怪訝そうな顔をしていたが素直に地面へと手をかざした双子を見て、渋々それに倣っている。

各々の詠唱が終了した。


そしてーー。


ーー何も起きなかった。


静まり返る雰囲気の中、結衣菜がお腹を抱えて笑い出し、風が目をまんまるくして声を上げる。

「結衣菜ちゃん! 何にも起きないよ⁉︎」

「そう、それが正解! 魔法ってね、名前がわかるだけじゃ何も起きないの。その魔法で何が起きるかを知ることがもう一つの段階。……って事で、次はそれを覚えてもらうんだけど。じゃあ殿下、この魔法は何の魔法かわかりますね?」

 先程その魔法は知っていると言った彼に当たり前のように正解を求める結衣菜の言葉に王子は一瞬苛立つそぶりを見せたが少し黙り込むと口を開けた。

「……氷を生み出す魔法だ」

「そ、正解です。これでみんなこの魔法がどういうものなのかわかったよね。これが第二段階」

「でも、アルバート様はそのことを知ってたわけだよね。第二段階まで行っても魔法って発動しないものなの?」

「お、いい質問だね悠。そう、魔法を発動させるにはもう一つ段階があって、それは自分が使いたい魔法をよく想像する事。この三つが揃えば魔法が使える。でもそれが一番難しいの。これをみてて」

 結衣菜はおもむろに地面に向かって手をかざすと、目を閉じて氷の塊が生み出される様を想像する。

 地面から輝く冷気が生まれ、そこから立ち上るように氷本体が形成されていく。そして大きめの鞄ほどの大きさになったところで完成する。

「エーフビィ・アイジィ」

 結衣菜の詠唱は想像の上に積み重なるように紡がれ、その手をかざした先には先程思い描いたものと同じように氷が生み出された。

「す、すごい結衣菜ちゃん! ほんとだー! 頭の中で想像することが大事なんだね」

「そう、そしてそれって、目で見てこういうものなんだって感じるのが一番手っ取り早いの。だから今見せた氷が生み出されていく様子を想像して、やってみて。今日はこの練習。さ、はじめましょ!」

「よーし、やってみよ……ってあれー? おこちゃま王子どうしたのー?」

 どう言う理由かそそくさと帰ろうとするアルバートの前に風が躍り出る。

 手を腰に当ててわざとらしく体を大きく見せる仕草は子供が自分より幼い者を諭すときの姿によく似ている。

「なんなんだ、そこを退け」

「なんで? まだ訓練は終わってないよ。またサボり?」

「ちが……お前、いい加減にしろよ、俺のことを一体なんだと思っているんだ! 俺はこの国の王子だぞ!」

 王子の発した怒声。演練場が静まり返るほどの大きさで叫んだ彼と対峙した風に一斉に注目が集まる。しかし彼女は一歩も引きもせず、そればかりか怒りを帯びた表情で口を開いた。

「その王子がなんで真面目に訓練を受けないわけ? あたし政治とかそう言うのはわかんないけどさ、あんたいつかはこの国の王様になるんでしょ。そんな人が練習から逃げ出してどうすんの? 周り見てみなよ。みんな頑張ってる。ここにいる人たちはみんな、あんたの国の人たちなんだよ。その人たちが国を守るために、あんたの国の力になるために必死で訓練してる。それなのにどうしてあんたがここから逃げ出すの? あたしはそんな奴、王子なんて認めない! ただの意気地なしだよ!」

 あまりの剣幕に悠ですらその怒りの言葉を遮ることはできず、言い切った彼女の言葉の次に王子がなんと返すかを皆固唾を飲んで見守っていた。

 睨み続ける彼女に王子は口を開きかけたが、感情を咀嚼するように目を瞑り、深く息を吐いたかと思うと何も言わずに彼女の肩を押して道を無理やり開ける。ふらついた彼女を抱きとめたのは様子を見にきたティリスだった。

 王子はティリスを一瞥すると出口の方へと歩いていく。周りのものは皆焦ったように道を開け、そうして王子の姿は演練場から消えた。

「フウ、怪我はない?」

「あ……うん、ありがとうティリスさん。強く押されたわけじゃないから大丈夫。沢山言い返されるかと思ってたからびっくりしてよろけちゃった。ちょっと拍子抜け」

「ごめんなさいね。怖い思いをしたでしょう」

「全然大丈夫! っていうか今回はあたしの方がいいすぎちゃったかも……結衣菜ちゃんのお仕事の邪魔しちゃったし……」

「ほんと? あ、そうよ私、あなたたちの様子を見にきたの。珍しく王子が演練場に現れたって聞いたからもしかしてって。でもこの調子じゃ今日は……」

「そうだね。ごめんティリス。初日から大失敗だよ」

「あまり気にしないで、無理に頼んだのは私だし。ひとまず今日はこれでおしまいにしてもらっていいから、また明日以降、頼めるかしら……? 殿下も何か考えるところがあると思うの」

「うん、わかった。うまくいかなくてごめん……」

 謝る結衣菜を見て、風は落ち込んだ様子で急に駆け出した。止める声に彼女は答える。

「私ちょっと行ってくる! 悠たちは魔法の練習でもしてて!」

 そうして、猪どころか鉄砲玉のような勢いの彼女は演練場の出口へと走り去っていったのだった。

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