3.ディクライットの王子

1.再びの街

 前に訪れた時から九年。その月日はとても長く、そして何かを変えるには十分すぎる時間だ。

 久しぶりに踏んだディクライットの地は、結衣菜にとってはあまり知らない様相を呈していた。

 以前訪れたときにはもっと賑やかな様子であったが、少し人が減ったように感じる。

 店などは前と同じように開いているが、民家の扉は固く閉じられていて、当時の結衣菜たちと同じように城下町を駆け回る子供たちの姿はひとつも見つからない。

 以前来たときはお祭りの時期だったから、そういう催し事がないディクライットではこれが普通なのだろうか。

 少しだけ元の世界の防犯意識の高さを思わせるその風景を見て、結衣菜は少し気を落とす。ここは元の世界よりは人と人とのつながりが多いところだと思っていたのに。


 それでもそこが彼女の知るディクライットたらしめるのは、街の最奥にそびえ立つ城が以前と変わらぬ姿であり続けるからだ。

「お城! ほら! 悠見てる? お城! すごい綺麗!」

 一行の中で一番はしゃいでいるのは風だ。空色の瞳を輝かせて見知らぬ街をキョロキョロと見渡す。

 そんな双子の妹に冷たい視線を投げかける悠も口を開く。

「王国って言ってるんだから城ぐらいあるでしょ。……それにしてもほんとによくできてる……信じるしかないのかな」

「ほんっと悠って疑り深いよね。さっきの魔物に襲われたときだってすごい魔法見たじゃん、あれを見てまだ信じられないの? 結衣菜ちゃんもそう言ってるのに」

 疑り深いと言うよりかはこちらが普通の反応だろう。一般的な人間は急にここは異世界ですと言われて、それが事実であったとしても素直に受け入れられるものではない。

 そういえば、と結衣菜はアメリアへ疑問を投げかける。

「アメリアは、ティリスから私のことどう言うふうに聞いてる?」

「? 東のテーラ国に用があって目的地が一緒なものだから、その旅に同行したって聞いてるわ。そういえば帰りは一緒じゃなかったわね。私、テーラには行ったことないんだけど、その辺りが故郷なの?」

 どうやら、ティリスやエインはアメリアに結衣菜が昔、異世界に帰る方法を探していたことを知らせていないらしい。


『今あなたのことを知っている人たちの他には旅をしていること以外、言わない方がいい』


 結衣菜は過去自分を幾度となく助けてくれた女性の言葉を思い出す。当時はなぜ? と思ったあの言葉も今考えれば自分を守るために言ってくれていたのだ。その言葉の通り、ティリスは他の人間にもそのことを伝えていないのだろう。


 返答がないことを不思議そうに見つめるアメリアの視線に気づいて結衣菜は慌てて首を大きく振った。

「そ、そうだね、テーラが故郷っていうか親戚がそこらへんにいるというか……」

「テーラ? あたしそん…むぐ! 悠! 何すんのよ!」

 そんなところ知らないとでも言おうとしたのか、風は悠に口を塞がれて不服そうにしている。

「ばーか、風はやっぱ地理苦手だな。恥ずかしいから喋るな」

 解放された彼女がここぞとばかりに反論する。

「なんだって〜! バカっていう方がバカなんだよ〜! 悠のバカ!」

「はいブーメラン。自分で言ってるじゃん」

 そのまま口喧嘩を続ける風を諫めながら悠は結衣菜に目配せした。どうやら悠もやたらと事実を述べるべきではないと判断して、風の言葉を遮ってわざわざ喧嘩になるようなこと言ったのだろう。

「子供は元気ね〜うちの弟達みたい」

 そう言って微笑むアメリアにそのやりとりを訝しんだ様子はなかった。結衣菜はほっと胸を撫で下ろし、あとで三人だけになったらこれからのことをきちんと話そうと決める。アメリアが秘密事を漏らす雰囲気はないが、街の中には彼女だけではなく他の人間も沢山いるのだ。


 ふと、青いマフラーをつけた男が横切って、結衣菜は息をつまらせた。


 冷たい感触。

 痛み。

 鼓動の音。

 流れる血の熱。


「ユイナさん? 大丈夫ですか?」

 心配そうに覗き込むエインに結衣菜はハッと我に帰る。

 あれは初めてこの街に来た時の記憶。

 まだこの世界のことを何も知らなかった結衣菜は青いストールを巻いた盗賊集団に人質にされたことがあった。よく見れば横切った男はただの一般人だったが、エインはその結衣菜の視線に気付いて言葉を続けた。

「あの盗賊団、解体しましたよ。だから安心してください。この街では何かあっても、必ず僕らアウステイゲン騎士団が皆さんを守ります」

 そう言って微笑んだエインに手を引かれて結衣菜は再び歩き始めた。

 雪がちらつく。この世界がそんなに安全でないことを思い出した結衣菜は、何よりも自分がしっかりしなければと、前を歩くまだ幼い双子を眺めていた。




「……うそ」

 再び結衣菜が立ち止まったのは城に向かう坂道の中腹でのことだ。

「結衣菜ちゃんどうしたの?」

 不思議そうにこちらを見やる風になんでもないよと返してついていく。

「気のせいだったかな……」

 たしかに、太陽のように赤い髪の彼と、すれ違った気がしたのだ。

 気のせいなのだろう。さっきの青いマフラーと一緒だ。彼にもう一度会えるかもしれないという期待が見間違えさせたのだ。


 まず先に会うことができる人がいる。城はもう少しだ。

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