5.闇の魔物

 ここまでの経緯を彼らに説明するのにかなり骨を折ることになったガクは、やっと理解したような二人を見て重いため息をついた。

 ディナに助けられる前のことは省略したが、今のところ二人がそれを訝しんでいる様子はない。

「なるほどな、まぁ兄ちゃんなよなよしてるし無用心だし、よく考えればそんなことあるわけなさそうだったな!」

「顔はいいけど顔だけじゃねえ」

「初対面なのにひどい言われようじゃないか……?」

「ま、事実よ! で、私はアリス。ディナのか……まぁ腐れ縁ってやつね。改めてよろしく!」

 アリスの勢いに負けるガクを見てクィードがまた声を上げて笑う。

「あ、兄ちゃん。俺もクィードってのは情報屋をやる上での名前だが、お前もこの街ではクルトな」

 情報屋、と言う職業が一体どう言うものなのかガクは知らない、だが彼が気になったのは自らが違う名前で呼ばれた事だ。

「偽名? ディナのことも別で呼んでましたよね。アリスも?」

「んーん、私は本名。小さいころからここにいるから今更って感じ」

「へー。じゃあなんで俺?」

「お前目立つから。あの子もあのふわふわした感じでここにいると目立つから外ではハイダって呼んでる。お前さんもそうするこった。」

「はぁ……。物騒な街なんですね」

「ここはそう言う街だ。本名を知られることで身分を知られ、金目のものや身体そのものを狙われることだって少なくない。ここらへんで珍しい見た目や能力の人間はそれだけで奴隷商には高く売れるからな」

 奴隷という言葉にガクは押し黙り、クィードが目を細める。

「ま、何にせよ、お前みたいに目立つやつは気を付けるこったな。目立たないやつだって盗まれたり襲われたり物騒な街だ。みんな狭い世界で生きているからお前さんの種族のことを知っているやつは少ないが、知り合い以外は信用しないほうがいい、俺も含めてな」

「じゃあなんで俺にはそういうことを教えてくれるんですか、悪いやつかもしれないじゃないですか」

 ガクの疑問は真っ当だった。彼がディナを利用してこの二人に近づこうとしているなんてこともありえないわけではないのだ。

「あいにく俺は人を見る目にだけは自信があってな。お前さんがここまで一つも嘘をついていないことぐらいわかるさ。第一、悪い奴は自分のこと悪い奴かもしれないなんて言わねえぞ。言っときながらほんとに悪い奴だとしたらとんだ役者だ」

「なるほど……じゃああなたも悪い人ではないですね」

 ガクのその返しに驚いた彼は一瞬固まったのちに大声で笑う。

「こりゃ一本取られたな! 兄ちゃん面白いぜ! よし、そしたら早いとこハイダを探しに行こう。あの子危なっかしいからな」

「そういえば、街門に向かう方向であの子の声を聞いた気がするわ。そっちに行きましょ」

 歩いていく二人に慌ててガクもついて行き、再び彼らは雑踏の中へ消えて行ったのだった。




 街門付近はひどい混雑だった。

「これ、なんの人だかりですか?」

「わからん。どうせ誰かが喧嘩でもしてんだろ。ハイダが巻き込まれてないといいが」

 クィードが髭をいじりながら辺りを見渡すと、突然後方から悲鳴が上がった。

 人混みが何かを避けるように開いていく。そしてその中心に何か横たわるものが見えた。

 人だ。人が倒れている。

「喧嘩ってレベルじゃないわよ。ちょっと私みてくる!」

 飛び出して行ったアリスはとても常人とは思えないほどのジャンプ力で軽々と人々の間を抜けていく。

「あいつな、そういう種族なんだよ。生まれつき身体能力がすごいの。いいよなぁ」

 ガクは彼女の瞳がこの国ジェダンの人達のものとは違うことを思い出していた。

 この世界には種族と言って人の見た目や能力が遺伝で決まってくるものがある。

 ガクが精霊と話せるのもその一つで、アリスのそれは特異な身体能力なのだろう。

 のんきに話すクィードとは対称的に、戻ってきたアリスは顔面蒼白だった。

「喧嘩じゃなかった! あいつが……」

「あいつ?」

 彼女が指差した方向を見るとそこには黒い獣が人々を襲っている光景が広がっていた。

 街に入ってくるとき門に見張りがいなかったのはこれのせいだったのだろうか。

「闇の魔物よ! 逃げないと!」

 そう叫んだアリスの声がガクには遠く聞こえる。

 彼はあれを覚えていた。

 白濁した瞳、闇に溶ける姿、耐えがたい痛み──。

「っ……!」

 腹を押さえて膝をつきそうになったガクの肩をクィードが咄嗟に支える。

「大丈夫か、どうした?」

「もたもたしている場合じゃないわ、行くわよ!」

 アリスが強引にガクの手を引いて走り出す。その後ろで爆発音が聞こえ、三人とも立ち止まった。

 立ち上る煙と炎、闇の魔物と呼ばれるそれを追い払おうと誰かが火をつけたのだろう。

 その明かりに照らされて数匹の狼が見えた。

 この街の人が変身して応戦しているのだ。しかしきっと皆戦いなれているわけではないのだろう。倒れるものの数は勢いを落とさない。

 その中から子供の泣き声が聞こえる。混乱の中、連れとはぐれてしまったのだ。

「……!」

 それに気づいたアリスが騒ぎの中に再び飛び込んでいった。

「アリス、待て!」

 クィードの声は届かず、アリスがその子供を抱えたのが見えた時、再びの爆発音が轟いた。

 先ほどよりも激しい煙に視界が悪いが、風に煽られてだんだんと様子が窺えるようになってくる。

 威嚇するように立ち塞がる闇の魔物。

 彼らは三匹いて、その中の一匹はひと回り大きく、それが他の二匹よりも素早い動きで周りのオオカミ達を薙ぎ倒していく。

 いつのまにか子供を安全な場所まで連れ出していたアリスは、腰から銃のようなものを取り出した。

 鮮やかな緑色の何かをそれに込め、闇の魔物に向けて発砲する。ディナが使う風魔法のような旋風が彼らに向かっていき、魔物の中の一匹が吹き飛ばされた。

 すかさず狼たちがとどめを刺すと、そこには赤黒くドロドロした血のようなものだけが残った。

 それに気づいた他の二体が勢いよくアリスの方向へと向かっていく。軽々と避ける彼女に魔物たちは翻弄されていく。と、その時、突然凄まじい咆哮が上がった。

 地から湧き立つようなおぞましい響き。

 その場にいた全員が耳を塞ぐ。

 その隙を狙って大きい方の個体がアリス向かって走り出す。

 大きく口を開けたそれが彼女の体を──。

 もう間に合わないと皆が思ったその時、突然の雷が空中で魔物を撃ち抜いた。

 それはいつの間に現れたのか、曇天から落ちた物で、魔物はアリスの目の前に赤黒い液体となって落下したのだった。


 一方、クィードは丸腰なのかその場から全く動こうとしなかった。戦えない者はこのような時には邪魔なだけだから早く逃げたほうがいいのはわかっているが、それでも知り合いが戦っているとなると気が気ではない。

 遠くからその一部始終を見ていた彼は肩を貸していたガクの様子がおかしいことに気づく。頭を抑えて痛みに耐えているように彼は俯いている。

「おい兄ちゃん大丈夫か。お前さっきからずっと具合悪そうだぞ」

「大丈夫、です……。それより、アリスは」

 苦しそうに顔を上げた彼の目は、普段の美しい琥珀色ではなく、血のような紅に染まっていた。

「兄ちゃん、まさかさっきの雷、お前が……?」

 その問いにガクは答えなかった。しかしその目はしっかり闇の魔物を捉えている。

 アリスは最後になった魔物を仕留めようと狼たちと協力して奮闘している。しかしそれは群れの中でも一番大きかった個体だ。先ほど使った銃にはもう弾がなく、決定打が見つからない。

「っ……! このままじゃ……」

 狼たちの中の一人が倒れ、煙に包まれたかと思うと人間の姿へと戻る。

 一人、また一人と負傷者は増えていく。かといってここで皆が逃げるわけにもいかない。この魔物が街に入るのを食い止めなければどのみち不幸な道をたどるのだ。

 じりじりと消耗していく戦況を変えたのは一筋の氷のつぶてだった。

 皆が一斉にそれが飛んできた先に目を向ける。

 そこに立っていたのは長い銀髪の男だった。

 奇跡のように美しいその人は黒き魔物に向かって手の平を向けると、つぶやいた。

「やりすぎないでね、デジル」

 誰かに囁くようなその声を聞いていたのは彼の隣に立っていたクィードだけで、神妙な顔で彼のやることを見つめていた。

 彼のかざした手の平からすさまじい量の氷のつぶてが迸る。

 近くにいなくても冷気を感じるほどのそれが魔物を飲み込んでいく。

 そしてそれが氷漬けとなった後、燃え盛る炎がその氷を溶かしていき、そして消えた。

 後には水分を失って地面にこびり付いた赤黒い物体が残るのみだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る