2.星が目覚めしとき

1.星が目覚めしとき

 ──寒い。

 青年が目を開ける。そこは見渡す限りの水晶で作られた場所だ。その向こうには夜空が透けて見えていて、月明かりだけが建物内部を照らしている。

 今はいつだろうか。

 彼が起き上がろうと手をつくと変な感触がする。

 髪……?

 みると、髪は自分の知るそれよりもかなり伸びているようで、横たわっていた台座からはみ出る程だった。立ったら地についてしまうかもしれない。

 星屑色の忌まわしいそれを引っ張らないようにしながら、青年はゆっくりと体を起こして地面に足をつけた。

 なんとなく、服の裾が短い。背も伸びたのか?

 幸い足の大きさはそんなに変わっていないようで、歩くのには問題なさそうだ。

「誰か……」

 呟いて辺りを見回すが、そこはしんと静まり返り、中には人一人見当たらない。

 彼が横たわっていたところにはかつてこの場所にきた時に着ていたマントが敷かれていた。

 マントを羽織ると、幾分か寒さは和らぐ。

 今はいつだ。仲間たちはどこに。

 俺はどこに向かえば……。

 お腹が空いた、ここに留まっていればいずれは空腹で死んでしまう。

 ひとまず、外の様子を伺ってから考えよう。


 遺跡の構造は単純だった。記憶を辿りながら先へ進むと、外に出るための扉が見えてきた。

 久しぶりに吸う外の空気はどんなだろう。

 大きな扉を思い切り押し開ける。

 扉の中と外の空気が入れ替わる音。

 一歩、外へと足を踏み出す。

 すると、思ってもみない変化が彼を襲った。

 漆黒に染まったなにかがその首をもたげ、こちらをみていた。いや、正確には白濁した目のような何かが彼の方を向いていた。

「なん……だ、魔物……?」

 青年が後ずさる間もなくそれはすごい勢いで近づいてくる。

 ──その白い瞳と、目があった。

 瞬間、腹に鋭い痛みが走る。

 痛い。

 ああそんな、戻ったばかりだっていうのに……。

 黒い獣の瞳はもう見えない、世界は暗闇に沈んでいた。

 意識が、飛んだ。




 再び目を開けると、見慣れない天井が広がっていた。

「ここは……」

 起き上がろうとすると、激痛が走る。

 痛みの元を見ると、腹だった。そこは清潔な布で巻かれていて、傷口は見えない。

 他にも全身が痛むが、寝かされていたということは誰かが助けてくれたのだろうか、だとしたら一体誰が。遺跡にいた時はあんなに長かった髪の毛は綺麗に結えられている。

 銀髪の青年は少しばかり思案していたが、遺跡から外に出た後のことはどうしても思い出せずに小さなため息を付いた。

 物音はせず、部屋の中には誰もいないようだ。

 痛まないようにゆっくり起き上がると、大方整頓された部屋が見えた。普通の民家にしては物は少ないが、掃除が行き届いているように見える。

 他にも部屋があるのだろう。誰かいないか確認しにいこうと体を動かしかけたとき、美しい音色が聞こえた。

 歌だ。誰かが歌を歌っている。

 どこか懐かしくて包み込むような女性の声。いつか人魚の国で聞いた魔力を帯びた歌声とはまた違った暖かさがあった。

 声は外の方からだった。

 青年は結われているとはいえ長い髪を踏みつけないように注意しながらベッドの上で体を動かし、窓を開ける。

 柔らかい風が部屋に入ってきた。それと同時に芳しい花の香り。

 歌はまだ続いている。声の主を探すと、その人と目が合った。

 プラチナブロンドの柔らかく舞う髪に、小鹿のようにつぶらな瞳。

 彼女は驚いた顔をすると歌は途切れた。

「待っててください、今行きますから」

 そんな彼女の声は、歌そのもののようだった。


 しばらく経って、青年がいる部屋にノックの音が響いた。

 返事をすると先ほどの女性が入ってきて、手にはなにやら布を持っていた。

 歳は青年よりも幾分か若そうで、庭で歌を歌っていた時の印象よりもよっぽど彼女の背は低かった。

「素敵な歌だね」

 彼の口から出たのは素直な褒め言葉、それに彼女は目を丸くする。

「あなた、私が誰かとかは気にならないんですかぁ?」

「あ、えっと……いや、あまりに綺麗だったから……」

 口籠る青年に彼女は笑った。

「面白い人ですねぇ、ありがとうございます〜。私はディアナ。ディアナ・ベンチャーと言います〜。ディナって呼んでください〜」

「ディアナ……どこかで聞いたことあるような。でも思い出せないや。俺はガク。よろしくね」

 不自然なことを口走ったガクに、ディナは首を傾げた。

「似てる名前の人でもいるんですかねぇ。ところで、体の調子はいかがですか? ガクさん、三日も眠ったまんまだったんですよ〜。眠り姫かと思っちゃいましたぁ」

 彼女は語尾を伸ばす癖があるようだった。ずっと柔らかい笑みを浮かべていたが、自分で言った冗談で弾けるような笑顔を見せる。

「はは。姫って、そんな」

 自分を愛してくれる人に見つけてもらうために自ら途方もない眠りについた美しい姫の御伽噺は、大陸中の至る所に形を変えて残っている。彼は自分が知っているその物語を思い出して笑顔を見せたが、青年の容姿は、それが冗談にならない位整っている。長い睫毛に琥珀色の透き通った瞳。常人離れしている長く伸びた髪も、彼の神秘性を際立たせる一つになっていた。

「それにしても、三日も寝てたのか。君が助けてくれたの?」

「あっ……ええ、はい。覚えてないですか?」

 ディナは手に持っていた布を手際よく畳んでいく。

 ガクはしばらく思案していたが、首を傾げる。

「うん。遺跡で目が覚めたことは覚えてるんだけど。外に出て、それで……」

「遺跡?」

「カル・パルディア遺跡だよ。ぺぺ砂漠の」

 彼女はその名前に首を傾げた。まんまるの瞳が疑問に揺れる。

「それ、山脈の向こうですよねぇ。そんな遠くからの記憶がないんですか〜?」

「山脈って、じゃあここはディクライット?」

 青年はかつて自分が住んでいた国の名を挙げる。しかし返ってきたのはまた別の国の名だった。

「ここはジェダンです〜。私は山脈のこっち側しか知らないですが、ディクライットに行くのだってかなり遠いですよぉ」

「じぇ、ジェダン……?」

 ジェダンはディクライットの隣国ではあるが、その主要な街は砂漠と平野に隔てられておりかなり距離としては遠い。驚きで目を見開いた青年は一体なにから考えたら良いものかと肩を落とす。

「何かを思い出すまではここにいるといいですよ〜。それ、かえますね〜」

 彼女は微笑んで青年の腹に巻かれた布を指さした。

 消えた記憶、覚えのない傷。

 不穏な空気を身に感じながらも、彼はありがとうと答えると、しばらくはそこに身を置くことにしたのだった。

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