2.魔物と魔法

「すごい! お城がある!」

 無邪気にはしゃぐ風を横目に悠は未だ不安そうに少し後ろを歩いている。

 興味津々な彼女はこの状況を楽しんですらいて、スキップしたりちょっと駆けては戻ってきてはあっちには何がある、こっちにはこんなのがあった、と喜んでいる。

「そういえば、結衣菜ちゃんの知り合いってどんな人なの? イケメン?」

「知り合いは……そうだね、イケメンというよりはすごい美女かな。ティリスって名前の騎士なの。とっても強いんだよ」

「ほんと? 早く会ってみたいな!」

 どんな人かなと流行の映画スターの名前を上げはじめた彼女の一人言を聞いて悠が深いため息をつく。

 そんなやり取りを繰り返しているとき、ふと風が顔を上げた。

「そういえば、この世界の人たちって、言葉通じるの? あたし外国語とかできないよ?」

「風は英語苦手だもんな。この前のテストも」

「あ、あーっ! 悠の馬鹿!」

「あはは、大丈夫だよ。私も外国語は苦手だけど言葉は通じるの。昔すごい魔導師さん達が言語を統一したっていう伝説が残ってるらしいよ。統一する前の言語は今でもたまに見つかるらしいけど」

「あーでも言葉は通じるんだ、よかった……」

 安堵する悠に、どうにかもっと安心してもらえる方法はないだろうかと考える。

「それで、そのティリスさんって人とはどうやって出会ったの?」

 風の言葉に返事をしようと思ったその時、悠の悲鳴が上がった。

「ゆ、結衣菜ちゃん! なにこれ!」

 後ずさる彼の前に居たのはジェル状の生き物だった。


 例えれば寒天のようなその生き物は骨がないのか、自由自在に形を変え悠の周りを跳ねている。

「それは……魔物かな、おとなしそうだけど」

 結衣菜の答えに安心したのか、興味津々な風が近づく。

「かわいいー! こっちおいで!」

 と、その魔物の形が急に変化し、収縮した。

 驚いた風がこっちを見た瞬間、魔物が彼女の背中めがけて体当たりした。

 衝撃で尻餅をついた彼女が声を上げる。

「いったー! やっぱり全然可愛くない!」

 また攻撃を仕掛けようと収縮するそれに、彼女はなにを思ったのか近くに落ちていた木の枝を手に取った。

「ふ、風! なにしてるの!」

 動揺する悠に構いもせず、彼女は言った。

「ぶつかってくるなら跳ね除けてあげる!」

 まっすぐ跳ねていったそれに、その木の枝が見事に命中する。

 すると、ジェル状のそれは跳ね除けられるばかりか、木の枝を中心として二つに分裂した。

 大きさこそ小さくなったが、数が二つになってしまった。色も先程までとは違い、それは元気に飛び跳ねている。

「なにやってんだよ風! 増えちゃったじゃないか!」

 近くに寄ってきた魔物に悠が後ずさる。

「ごめんごめん、まさか増えるなんて思わなくって」

 そう言ってへへっと笑った彼女はあんまり深刻ではなさそうだ。

「結衣菜ちゃん、どうしよう……このままじゃ僕たち、この変な生き物に食べられちゃうかも」

 風ではどうにもならないと判断した悠が結衣菜に助けを求める視線を向けた。

「ちょっと待っててね。二人とも、その魔物から離れて」

 結衣菜は立ちふさがると魔物に向かって手を突き出す。

「エーフビィ・メラフ!」

 ──魔法。

 人にはできないことを可能とする人智を超えた力。

 燃え盛る炎の熱が髪を巻き上げ、魔物を包みこむ。

「結衣菜ちゃん! すごい! なにそれ!」

 まさか再び使えるとは思っていなかった。これが失敗したら一目散にディクライットの町へと走ろうと思っていたのだ。

 集中が持たず結衣菜が魔法を止めると、双子が喜んで駆け寄り、炎で生まれた煙が風で消えていく。

 と、嫌な影が消えかけた煙の中から現れる。

 先ほどの二体よりもずんぐりと大きな体、ジェル状の大きい魔物が二体。

「ま、まさか……!」

『おっきくなった⁉︎』

 結衣菜の呟きに呼応するように同時に叫んだ双子は二人とも青い顔をしていた。

 こんな大きい体に体当たりなんてされたら尻餅では済まない。

「二人とも、走って!」

 固まる二人の手を掴んで結衣菜は走りだす。

 ディクライットの町まではどのくらいかかるだろうか、それまで体力が持つだろうか。

 あの魔物が追いかける方が早かったら?

 二人だけでも逃がす方法はないだろうか、でもその後は?


 結衣菜が考えを巡らせながら走っていたその時、激しい雷鳴が轟いた。

 突然のことに驚いて転んだ彼女は、顔を上げたその先に音の主を目にする。

 桜色の髪に青い瞳、馬に似た動物から降りた青年が剣を抜いていた。

「危ないから離れてくださいね!」

 そう呼びかけた彼は剣に何かを囁き、魔物に向かって駆け出す。

 剣身は紫色の電光を帯びて青年は大きく振りかぶった。

 ──掛け声。

 その剣が振り下ろされた先には巨大化した魔物の片方がいた。

 彼よりもふた回りほど背の高いそれに、斬撃が繰り出される。

 当たったかと思った瞬間、また雷鳴が轟いた。

 甲高い叫び声。

 耳をつんざくようなその音に思わず耳を塞ぐ。

 剣を振り下ろした彼は黒い煙で見えなくなっている。

 この煙は魔物が絶命した時に出るものだ。前に来た時も見たことがある。

「よかった……」

 と、安心しかけたとき、煙の中から見慣れないものが飛び出した。

 悲鳴とともに投げ出されたのは先ほどの彼だった。

「ゆ、結衣菜ちゃん……」

 逃げようというのだろうか、恐怖に染まった目をした悠が結衣菜の服の裾を引っ張った。

「あの人を助けないと!」

 風が駆け寄ろうとしたが、結衣菜がその手を引っ張って止める。

「危ないから行っちゃダメ!」

「でも! 助けてくれたんだよ!」

 必死に駆け寄ろうとする風を止めるのに精一杯な結衣菜と悠は近寄ってくる馬の足音に気付いていなかった。

「もう! だから無茶だっていったのに!」

 それから飛び降りたのはオレンジ色の髪を上の方で二つ結びにした女性。先ほどの青年と同じ制服のようなものを纏った彼女はなにやら文句を言いながら倒れている彼に近づいて行く。

「危ない!」

 彼女に向かって行く魔物を見てそう叫んだ結衣菜に、その女性はこちらを振り向くとウインクをした。

 と、嫌な予感通りにそれが勢いを増して向かって行く。

 女性は一歩も引きもせずそれに相対すると、手を突き出して何かを呟いた。

 気のせいだろうか。一瞬、彼女の前になにか壁のようなものが光った気がして、結衣菜は首を傾げた。

 魔物があともう少しで彼女にたどり着いてしまう。

 もうだめだ、と結衣菜が目を瞑った時、衝撃音が響いた。

 先ほどの魔物が勢いよく女性に体当たりをしたかと思えば、それは何か見えないものにぶつかって跳ね返っている。

 不思議そうに体当たりを続ける魔物を無視して、女性は倒れている彼に何かをささやいて魔法をかけている。

「アメリア、来てくれたんですね!」

「なにが一人で大丈夫です、よ! 怪我!」

「へへへ、大丈夫かなぁ〜って思いまして。でもアメリアが治してくれたから大丈夫です! さてと!」

 アメリアと呼ばれた女性は少しうんざりしたような顔をしながらも彼を立ち上がらせ、魔物の方に向き直った。

「解いたらすぐに。外さないでよ?」

「任せてください! 行きますよー!」

 元気に立ち上がった彼がまたも剣を構える。

 失われていた電光が再び刀身に現れ、アメリアがなにかを呟くと彼が走り出した。

 再び気合の入った掛け声が響き渡る。

 雷鳴とともに繰り出された斬撃が魔物に降りかかった。

 すんでのところで攻撃を受けなかったそれがまた体当たりをしようと縮こまる。

「それを待ってたんですよ!」

 その隙に剣を魔物に向けた彼が、詠唱する。

「エーフビィ・ドナー!」

 地が揺れる音。

 まっすぐ向いた剣が誘導するように纏っていた雷光が魔物へと向かっていく。

 断末魔もなしに黒い煙へと変貌し、風によってそれが拡散されると、元から何もなかったかのように消え去ったのだった。


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