1.ツーランデレンヴェルト

 見知らぬ土地、見知らぬ景色、見知らぬ男たちに囲まれた少女。

 突如飛び込んできた真っ赤な髪の少年に手を取られ、少女は不安の中、一筋の光に導かれて走り出す。

 太陽のように明るい少年の笑顔。それがこの世界で少女がどうしても忘れることができなかったものの一つだった。


 昔の話だ。彼女は以前ここに来たことがあった。剣と魔法が飛び交う不思議な世界、ツーランデレンヴェルト。九年前、まだ少女だった斎藤結衣菜はこの不思議な世界に迷い込み、元の世界に戻る方法を探して仲間たちを旅をした。そして──。



 ──目を開けると、そこは見知った世界だった。


「……風!」

 悠が叫んだ声で、大人になった少女、結衣菜は我にかえった。

「いってて……転んじゃったぁ。あれ? ここどこ? あたし達まさか、死んじゃった?」

「そんなわけないでしょ。痛いって今言ってたじゃん。それにしても、僕らバスに乗ってたはずなのに……結衣菜ちゃん?」

 惚けた顔の結衣菜を双子は心配そうに見つめ、駆け寄る。

「二人まで……いったいどうして……」

「? 結衣菜ちゃん何か知ってるの? あたしたち、バス事故に遭ったよね。これはなぁに? 映画の撮影? あ、あたし達いつのまにか映画スターになっちゃった⁉︎」

「こんな時にふざけないでよ! 結衣菜ちゃん、何か知ってるなら教えて」

「私は……」

 正直、前回も結局原因はわからなかった。ましてや親戚の双子まで一緒など、混乱の種ばかりだ。

 だが、事実は事実だ。

「私は前にこの世界に来たことがあるの」

 驚嘆の声。

「前って……いつ⁉︎」

「今の二人と同じぐらいの年の頃。……って言っても二人はまだ五歳ぐらいだったから、私がいなくなってたのも知らないよね」

 双子は鏡合わせのような動きで顔を見合わせた。

「でも結衣菜ちゃん、それならこの世界からは帰れるってことだよね。だって……」

 悠は勘も鋭い。元の世界の学校で常に成績トップを維持していると評判の彼は、バスの中から手に持ったままだった本を鞄にしまう。

「うん、元の世界に戻る方法はある。でもね、その方法はもう二度と使えないの」

「どうして……」

 以前元の世界に戻った時はこの世界の未来を望んだ人達の犠牲が伴った方法を取っていた。無論誰かがその犠牲を強いたわけではない。しかし、結衣菜は自分がもう一度この世界から戻ろうとする際にその方法だけは使わないと心に決めていた。共に旅した彼らのことが過ぎって彼女が俯くと、悠は何かを悟ったように頷いた。

「……とにかく、別の方法を探さなきゃ。私は、そうするしかないと思う。二人とも、手伝ってくれる?」

「僕は……」

 表情を曇らせ、顔を逸らせて俯いた彼の言葉を切ったのは風だった。

「あたしは、結衣菜ちゃんと一緒に別の方法を探すよ! こんな世界なら、学校も勉強も関係ないでしょ。だから、こんないい機会滅多にないから、あたしは今あたしにできる精一杯のことをやりたいの!」

 輝くような笑顔でこちらを見つめるまだ幼い少女は純粋で、知らない世界への恐れを感じない。それは危うくて、同時に頼もしい。

「ありがとう、風。悠……大丈夫?」

 俯いたままだった彼が結衣菜の声かけに顔を上げる。

「僕は……風みたいに簡単には信じられない。大体こんな嘘みたいな世界、ほんとにあるわけないし、帰る方法を探すなんて、いったいどうやって? 僕たち服もこれしかないし、食料だって持ってないんだよ? 結衣菜ちゃんだってなんでそんなに落ち着いてられるの。僕は……」

「悠……」

 思えば、以前ここに来た時は、そんなに受け入れるのには時間がかからなかった。

 まだ幼かったからだろうか。いや、そのときの自分には手を取ってくれる少年がいた。あの弾けるような笑顔に、支えられていたから、不思議なこの世界に一人放り出されても、泣き喚いたりしなかった。

「私は前に来ているから。悠、大丈夫。私はこの世界から元の世界に戻った経験がある。そして、あなたには風もいる。それに、ここにいたって危ないかもしれないの。……ね?」

 諭すような結衣菜の声色に悠は叱られた子供のようにしばらく間を置いた後に顔を逸らしたが、風が後ろから肩を掴んで明るい声を出す。

「楽しもうよ! ネガティヴ悠は伝染するんだから〜っ! ね、結衣菜ちゃん、どうやって別の方法を探すの?」

 天真爛漫とは時によって最悪な状況も打開してくれるものだ。結衣菜は微笑んで遠くに見える懐かしい景色、高い壁に囲まれた街を指差した。

 雪がうっすらと積もった山々に接したその街も、少し白く見える。

「まずは私の知り合いがいるはずの国を目指しましょう。運がいいことに、私が前にここにきたときと近い場所に来れたみたいなの。ほら、あそこはディクライット王国という国。私の知り合いがあの国で暮らしているはず」

 その言葉に二人は頷き、結衣菜達一行は広い平野を歩き出したのだった。




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