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「……むにゃ」

「あ、お姉ちゃん寝ちゃった」


 トランプを広げて遊ぶ俺と乃愛ちゃんの視線の先で柚希が眠っていた。机に体を預ける形で眠っているその姿に、俺たちはそんな体勢で眠らなくてもと苦笑した。


「ねえねえお兄さん、来て来て」

「?」


 柚希に近づいた乃愛ちゃんに付いていく。

 乃愛ちゃんは悪戯を思い付いた子供のように柚希の頬を指でツンツンした。すると柚希はくすぐったかったのか拳を作った……え?


「……ふん」

「ぐふっ!?」


 決して女の子が出してはいけない声が乃愛ちゃんから出た。

 何をされたのか、柚希の拳が見事に乃愛ちゃんの腹に決まったのである。まあそこまでの威力はなかったみたいだが、潰された蛙みたいな声が出てしまうくらいにはクリーンヒットしてしまったらしい。


「おのれお姉ちゃんめ……まさか起きているな!?」

「……すぅ……すぅ」

「……寝てるよどうなってるの?」


 変にちょっかいを出すからいけないんじゃないかな。

 そう思っていると、乃愛ちゃんが俺を手招きするではないか。まさか、同じ目に遭えと君は言うのかい?


「ほらお兄さん、お兄さんもこの痛みを受けてこそ男だよ!」

「どういうことなの……」


 まあでも、俺もちょっと柚希にちょっかいを出してみようか。

 柚希に近づくと、とても気持ちよさそうに眠っているのが分かる。綺麗な寝顔、いつまでも見つめ続けられるような表情に俺は自然と頬が緩んだ。


「ほらほら」

「分かったよ」


 お腹に力を入れておこう。殴られても大丈夫なように。


「……ツンツン」

「っ……」


 柚希がくすぐったそうに顔を動かし、さっきと同じように拳を作った。これは来るかな、そう思ったけれど襲い掛かってくる痛みは何もなかった。


「えへ……ふへへぇ♪」


 拳が飛んでくることはなく、柚希は良い夢を見ているかのように可愛い寝言のような笑みを零した。俺はその反応を可愛いなと思ったが乃愛ちゃんは違ったらしく驚愕の表情を浮かべている。


「え? なんで? ……お兄さん、もう一回行くよ」

「お、おう……」


 乃愛ちゃんがもう一度人差し指を伸ばそうとした。

 だが、今度は乃愛ちゃんの指が触れるまでもなく柚希の拳が伸びた。


「ぎゃん!?」


 再びお腹に入り込む強烈な右ストレート……だが忘れてはならない、柚希はちゃんと眠っている。彼女に意識はなく、二度目になるがちゃんと眠っているのだ。


「ど、どうして私だけ……おねえ……ちゃ……がくっ」

「の、乃愛ちゃん!?」


 まるで宿敵に敗れ、腹のど真ん中に剣を突き立てられた騎士のように乃愛ちゃんは倒れてしまった。


「……柚希?」


 ……うん、完全に眠っている。

 いやいやまさか、そう思って俺は柚希の頬に再び指を当てた。


「……ぅん……カズぅ♪」


 明らかに俺と乃愛ちゃんで反応が違う。

 今のを見て乃愛ちゃんが俺を神様を見るような目をしてるし……こういう時にちょっと乃愛ちゃんではないが悪戯心が俺にも芽生えてしまった。


「……………」


 俺は再び人差し指を伸ばす……柚希の口元に。

 復活した乃愛ちゃんが俺の隣に並び、柚希の口に伸びる人差し指を見つめている。


「……………」

「……ごくり」


 もしかしたら思いっきり噛みつかれるかも、そんなことを思いながら俺は柚希の唇に指を当て……そしてヌルりと中に入り込むように指を入れた。


「……じゅる……あ~……ぺろ」


 まるでアイスをしゃぶるように舌も使いながら俺の指を柚希は舐め回していた。

 部屋に響くちゅぱ音、くぐもったような柚希の漏れ出す声……隣で乃愛ちゃんは完全に頬を真っ赤にしていた。だが決して柚希から目を逸らさず、遂には自分の人差し指を出して来た。


「指二本行けるかな?」

「流石にやめておこうか」


 いくら悪戯でもこれ以上はやめることにしよう。

 残念そうな乃愛ちゃんだったが、同じことを思っていたのか指を引っ込めた。改めて時間を見ると結構遅い時間だった。俺と乃愛ちゃんはトランプを回収して寝る準備を始めた。


「それじゃあお兄さん、おやすみなさい」

「おやすみ乃愛ちゃん」


 乃愛ちゃんを見送って俺は改めて柚希の元に向かった。

 相変わらず顔を伏せて眠っているけど、寝るならちゃんと布団に寝かせたいところだよな。


「柚希、柚希?」

「……………」


 よし、これは仕方ないか。

 柚希を抱き上げようとして彼女の体に腕を伸ばしたその瞬間だった。気づけば俺の視界は天井を向いていた。


「……え?」


 何事!?

 そう驚いたがなんてことはない。ただ柚希に押し倒されただけだ。


「えへへ、引っ掛かったねカズ!」

「……起きてたのか」

「うん。カズの指をちゅぱちゅぱ舐めてたら目が覚めたよ」


 ちゅぱちゅぱは危ないからやめようね柚希さん。

 それから二人で布団に入ったが、当然さっきまで寝ていたせいか起きたことで目は覚めてしまったらしい。


「ねえカズ、そっちに行ってもいい?」

「いいよ。おいで」

「うん♪」


 俺の返事を聞いてすぐに柚希はコロコロと転がるように布団に入ってきた。そのまま俺の体に抱き着くように引っ付いてきた。少しだけ暑いけれど、柚希の温もりを感じられるなら悪くはない。


「柚希は今回の旅行楽しかったか?」

「とっても楽しかったよ。カズは?」

「俺も楽しかった」


 本当に楽しかった、それ以外の感想が見つからないほどに。

 まあ惜しむらくは康生さんが居なかったことだけど、それはまた別の機会に康生さんも含めて楽しめばいいだろう。


「……………」

「……?」


 俺はじっくりと柚希を見つめてみた。

 純粋なほどに綺麗な瞳は俺を映し、絶対の信頼が見て取れた。何度思ったかは分からないが、こうして俺を好きになってくれた人がこんなにも素敵な人なのだと思うと本当に幸せな気持ちになれる。


「柚希ぃ!」

「わわっ……ふふ、もうカズったら♪」


 思いっきり愛おしい彼女を抱きしめてみた。

 驚かれはしたが嬉しそうに俺の抱擁を受け止めてくれた。時々あるのだ……こうして意味もなくただ柚希を抱きしめたい衝動に駆られる時が。彼女の温もりと柔らかさ、匂いに包まれたいと思う時がね。


「柚希はもう寝る?」

「え? う~ん、カズが何かしたいなら付き合うよ?」

「柚希を思いっきり愛したい」


 そして、どうしようもなく彼女を欲しいと思う時がある。

 俺の言葉を聞いて柚希はやっぱり目を丸くしたが、すぐに頬を染めながら嬉しそうに頷いてくれるのだった。


「うん。いっぱい愛してね?」


 こうして俺たちの温泉旅行は終わりを告げた。

 本当に幸せなことばかりが俺の日常を彩ってくれる。そこには必ず柚希が居て、彼女と一緒だからこそ俺は幸せで在れるのだ。


「ねえカズ、勝負しようよ。どっちが勝つか」

「え?」


 挑発的な笑みを浮かべた柚希が俺の顔の方へ腰を向けた。……どうやら、こうしたかったのは柚希も同じだったらしい。旅行最後の夜、やっぱり俺たちは俺たちだったみたいだ。

 

 

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