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「……良い場所だなここは」
自然に囲まれた公園、旅館から少しばかり離れた場所のベンチに座って俺はそう呟いた。あれから乃愛ちゃんは母さんたちの元に向かい、俺は柚希と二人でここまでやってきた。
今彼女が傍に居ないのはトイレに行っているからである。
『ここから少し歩いた場所に湖があるのですが、そこもデートスポット兼観光名所として有名ですから行ってみてはどうですか?』
旅館の人にお勧めされたのでここにやってきたわけだけど大当たりだ本当に。中央に位置する湖、その水面に映る景色はとても幻想的だった。聞くところによると、夏休みの時期に有名な配信者の人が訪れたという話もあった。
俺は特に配信者について詳しくはなかったが、旅館で働く若い人の間で話が広がったらしい。
「……マシロって名前だっけ」
SNSで少し見てみたけど、なるほどこれは人気が出るって感じの人だった。
とにかくスタイルが良く顔も綺麗で、本当に美女といって差し支えなかった。まあ俺としては確かに魅力は感じたものの、傍にそれ以上の魅力を兼ね備えている愛おしい子がいるので特に興味は惹かれなかったが。
そうやってスマホを見ていると、二組の男女が近づいてきた。何か面白そうなものを見つけてこっちに近づいて来たのが良く分からなかったが、男性の方がスマホを手にしながら口を開く。
「すみません、写真を撮ってもらってもいいですか?」
「いいですよ」
なんだそんなことか。
俺は彼からスマホを受け取り二人を画面に映す。そんな中、二人がいきなりキスを始めた。
「おいおい、これから写真を撮るんだぞ?」
「いいじゃん。でもちょっと独り身の彼には刺激が強いかなぁ?」
「言ってやんなよ。もしかしたら彼女が居るかもしれねえじゃん」
「確かにねぇ!」
……ふ~ん? なるほどそういうことですか。
さっきも言ったけどここは観光名所でもありデートスポットでもある。だからこそ一人でここに居た俺を笑いに来たってわけか。
「……………」
見るからにチャラそうな男と尻の軽そうな女……こういうと失礼かもしれないがあまり関わり合いになりたくない二人だ。流石にそう言うと面倒なことになりそうなので適当に苦笑しておく。
だが、いい加減二人のキスシーンを眺めるのも……なんか気持ちが悪い。なので俺は文句を言われない程度に二人を写真に収めた。
「はい、撮れましたよ」
「あはは、もしかしてムスッとしてる?」
……この女嫌だわマジで。
「かわいそうだから馬鹿にするのはやめろって」
「はいはいごめんね~♪」
男にスマホを返し、俺は元居た場所に戻る。
その間、ずっと後ろからクスクスと笑い声が聞こえていた。でも正直なことを言えば面倒だと思っただけで悔しいとは思っていない。彼らを見て悔しいと思う材料が何一つとして存在しないからだ。
ベンチに戻ろうとしたところで、ちょうど柚希が戻ってきた。
「ただいまカズ」
「おかえり柚希」
可愛いお姫様のご帰還だ。
夏の季節は過ぎて少しだけ涼しくなったこともあり、柚希はガシっと俺の腕をその胸に抱いた。腕に伝わる柔らかさは毎回思うことだけど本当に幸せな感触である。
「あの人たちと何話してたの?」
どうやら戻ってくる時に見ていたらしい、ただ流石にどんなやり取りをしたかは分からないはずだ。チラッと彼らを見ると、男も女も唖然とするように俺たち二人を見ていた。
「この景色をバックにイチャイチャするから写真を撮ってくれって頼まれた」
「ふ~ん? ま、そういうことにしとこうかな。カズにはあたしっていう最高の彼女が居るんだから胸を張るのだ!!」
「……はは、そうだな」
前言撤回、もしかしたらある程度は察したのかもしれない。
悔しくはなかったが良い気分ではなかった。けれどそれも彼女が傍に戻ったことで完全に吹き飛んでしまった。
「最高の彼女が傍に居るって幸せだなぁ!」
「最高の彼氏が傍に居るって幸せだねぇ!」
ねえ! そう言ってふざけるように二人で笑い合った。
それからあまり遠くに行かないことを心掛けるように俺たちは二人で散歩した。湖の中にボートで行ける催しもいつもならあるとのことだが、運が悪いことに今週は営業していないとのことで残念だった。
夕飯に響かない程度に出店で食べ物を買ったりして楽しみ、ある程度満足したところで俺たちは旅館に戻った。
「あら、おかえり二人とも」
「デートは楽しめたかしら?」
母さんたちも既に戻っており、その問いかけに俺たちは頷くのだった。
既に夕方ということもあって温泉が解放されており、乃愛ちゃんは小学生かと思ってしまうくらいにはしゃいだ様子で母さんたちと共に温泉に向かった。
「もう少し落ち着きなさいよ乃愛……」
「あはは……まあいいんじゃないかせっかくの旅行だし」
俺だって傍に柚希が居るからどこでもはしゃいでるようなもんだ。
荷物を手に俺たちも温泉に向かった。混浴は予約制で貸し切り状態にすることが出来るらしく、それもあって俺たちは来たようなものだ。
一旦柚希と離れて服を脱ぎ、腰にタオルを巻いて俺はいざ温泉へと足を踏み入れるのだった。
「……おぉ」
露天風呂、相変わらずの自然の良い香りが漂ってくるようだ。湯気が空に昇る光景はある意味幻想的でしばらくは眺めていられる。こんなにも広い場所に俺と柚希の二人だけというのは本当に贅沢だ。
ガラッとドアが開く音が聞こえ、柚希も体にタオルを巻いて出てきた。
「お待たせ……ってうわぁ!」
うん、そういうリアクションになるよこれを見てしまったら。
しばらく景色を眺めていた俺と柚希だったが、流石にこのままだと風邪を引いてしまうからと体を洗ってしまうことにした。
場所が変わっただけで俺たち二人がこの場に居る時点で、まあそうなるよなって構図が出来上がった。
「はい、ここに座ってね」
「あいよ」
柚希が背中を流してくれることに。
石鹸を使って泡立てる音が聞こえてくる。すると、背中を優しく洗うようにタオルを押し当ててきた。
「気持ちいい?」
「うん」
やっぱりこう……何と言うのかな、自分でやるのとは違い柚希に体を流してもらっているという事実だけが嬉しいのだ。気分的な問題とは思うんだけど、今のこの状況が幸せなものに違いはなかった。
「ふっふっふ、やっぱりこれはしないとね!」
そして、ふにょんと背中に柔らかな感触が襲い掛かってきた。
背中から柚希が俺に抱き着くように体を押し付けてくる。されると恥ずかしいが同時に至高の感触を感じることが出来るというある意味柚希にしか出来ないことだ。
「やっぱり恥ずかしいけどさ……恥ずかしいけど!」
「気持ちいいでしょう?」
「……うん」
「えへへ♪」
こんなの気持ちいい以外の感想があるわけないじゃないか。
流石に全てをこうやって洗うわけではないので、残りは自分で洗うことになるのだが今日はまだ柚希は止まってくれなかった。
「それじゃあ前に移動しま~す♪」
「え?」
目の前に回った柚希、彼女は俺が動く前に正面から抱き着いてきた。そしてそのままさっき背中からしたことと同じことをする。
「……ぅん……ふぁ……っ!」
悩まし気な吐息を零すのは反則だからやめてくれ!
そんな目を向けると柚希は潤んだ瞳を向けてきて目を閉じる……まあこうなることは分かっていたよ。
それから少しして、俺と柚希はお湯に浸かっていた。
「……あぁ~気持ちいいねぇ」
「あぁ。最高の湯加減だ」
どこもそうだけど温泉って本当に気持ちがいい。やっぱりその場の雰囲気が一番大きいとは思うけど、いつもより長風呂したり友人たちと来たりすると話が弾んだりする経験が誰にでもあるはずだ。
「……ぴとっとくっ付きます♪」
「ドンと来い!」
「いえ~い!」
……何をやってんだろうな俺たちは。
お互いに身に着けているモノは何もなく、生まれたままの状態でお湯に浸かっているわけだ。隣を見れば真っ白な肌を晒す柚希、髪の毛も当然濡れておりとても色っぽく見えて変にドキドキしてしまう。
「……もっと見つめてもいいんだよ?」
片目でウインクをしてくる彼女に苦笑し、俺は空を見上げた。
素晴らしい景色を見ながら露天風呂を柚希と一緒に入っているこの幸福な時間、何にも代えがたい時間なのは言うまでもない。
「……温泉旅行の提案は乃愛ちゃんだったよね」
「そうだね」
「お礼……言っておかないとな」
「ふふ、喜ぶよきっと」
そう言いながら肩の位置に頬を擦りつけてくる彼女を本当に可愛い子だなと思いつつ、このスキンシップに逆上せることがないように気を付けるのだった。
出来ることなら長く、この幸せな時間を続いてほしいから。
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