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「……あ~」

「ふふ、気持ちよさそうだね……ってあれ、なんかデジャブ」


 確かに俺もそんな感じがした。

 風呂を出てサッパリした後、俺は自室のベッドの上で柚希に膝枕をされていた。もちろんそれだけではなく、柚希がしたいからと言ってくれたので耳掃除をしてもらっているのだ。


「どうですかお客様、気持ちいいですか?」

「最高です」

「ふふ♪」


 うん最高だ最高すぎる。

 やっぱり柚希は力加減が上手いのか全く痛いことはなく、むしろ本当に気持ちが良いほどだ。このまま気を抜いたら眠ってしまいそうになるくらいなのだから。


「……ふわぁ」

「あ、眠っちゃやだよ? この後エッチしたいんだから」


 っ……完全に気を抜いている時に不意な一撃だった。

 風呂で深めのキスをしたので流れ的にはそうなるのは不思議ではなく、俺と柚希もこの後それをすることは約束していた。とはいえ、こうやって気を抜いている時に改めて彼女からそのお誘いを受けるのはドキッとしてしまう。


「……………」


 まあ、そうは言った柚希だけど今は別に考え事があるみたいだ。

 チラチラとスマホを見ては目を逸らし、気になっては再び目を向けてを繰り返している。その様子に俺が気づくのも当然で、柚希は一言ごめんなさいと口にして教えてくれた。


「カズは気付いてたと思うけど、乃愛が洋介に想いを伝えるって言ってたから」

「……そっか」


 やっぱりあの時のやり取りはそのことだったみたいだ。

 俺にとって乃愛ちゃんと知り合った時間はそこまで長くはない。それでもあの子に伝えたけれど大切な妹のように思っている。乃愛ちゃんが洋介を好きになり、どれほどの長い時間その想いを積み重ねたのか俺には計り知れない。


「……上手く、行くといいな」


 それでも……いや、だからこそその想いが届けばいいなと願うのだ。柚希と知り合って出会った女の子、俺のことを兄のように慕ってくれるあの子の恋が叶うことを。


「ふふ、カズが乃愛のことを大切だと思ってくれるからあたしは嬉しいよ」

「当たり前のことだよ。俺にとってあの子は大切な妹みたいなものだから」


 柚希の目を見つめ返してそう伝えると、柚希は本当に嬉しそうに笑顔を浮かべた。一旦耳掃除を止め、そのまま顔を伏せるように俺へと被せる。チュっと小さくリップ音を響かせたキスだった。


「これって何なんだろうね。カズからもらう言葉の全てが嬉しくて嬉しくて……幸せが溢れて止まらなくなるの」


 俺の頬を撫でながら柚希はそう口にした。

 宝物を扱うように、愛おしい存在に優しく触れるように、少しだけ瞳を潤ませた柚希は更に言葉を続ける。


「あたしは本当に多くのことに恵まれてると思う。空たちもそうだし、乃愛みたいな可愛い妹もそう、あたしを愛してくれるお父さんとお母さんもそう、あたしは本当に恵まれてる」


 でもねと、柚希は最後にこう締めるのだった。


「カズと出会えたことがあたしにとって一番の幸せだよ。だからカズ、あたしを好きになってくれてありがとう。この広くて大きな世界の中で、あたしを……月島柚希を見つけてくれてありがとう!」


 ……………。

 っておい、彼女にここまで言われて見惚れるのはそこまでにしておけよ和人。

 俺は自分を自分にツッコミを入れるように心の中で呟いた。上体を起こし、改めて柚希に向き直ろうとした俺だったが、ドンっと音を立てるように柚希が胸に飛び込んできた。


「ごめんね。いつもはここまで恥ずかしくないのに、なんだか今は無性に恥ずかしくなっちゃって……それで、その……」


 俺の胸に顔を埋めたままの柚希、彼女の顔を見たいと思って肩に手を当てるといやいやと離れそうにない。そこまで見られたくないほどに顔が真っ赤なのかなと苦笑していると、ほらと柚希が顔を上げた。

 瞳が潤んでいるのは相変わらずで、耳まで真っ赤になっていた。再び顔を伏せようとした柚希の頬に手を当て、俺はそのまま至近距離で見つめ合う姿勢になった。


「別に隠すことないよ。見せてほしいんだけどな俺は」

「……うぅ、なんかおかしいの。今日はいつも以上に顔が熱くて」

「……まさか熱が……ないな」


 もしかしてと思ったがその線はないようだ。

 夏休みの終わり際に風邪を引いたし少し気にしてしまうんだよな。でも、大丈夫そうなら俺は遠慮なんてしない。


「俺の方こそ言わせてくれ。俺も柚希と出会えたことが本当に幸せだ。俺を好きになってくれてありがとう」

「……カズぅ」


 そのまま柚希を改めて抱きしめ、俺は背中からベッドに倒れるように横になった。お互いに何も言葉を発さず、時計の秒針の音だけが響くこの空間の中で、俺は改めて今までのことを思い返した。


 柚希と初めて出会い、彼女に苦手意識を持ったこと。


 先輩に逆上された場面に出くわし、柚希を庇ったこと。


 それから彼女との時間が始まり、苦手意識はいつしか好意へと変わったこと。


 ……本当に色んなことがあったものだ。

 当然のことだが、その記憶は全て柚希が居たからこそ存在している。どの記憶も全て柚希を起点として俺に繋がっているのだ。柚希と親しくなってから一年にも満たないこの時間、でもここまで濃密な時間は早々ないだろうさ。


「……よしよし」


 相変わらずさっきのように胸元に顔を埋めたままの柚希の頭を撫でると、もぞもぞと体を動かして柚希は体の位置を変えた。横になった俺の体を這いあがるように、彼女の顔が俺の顔の位置に来るように。


「撫でるだけじゃ足りないもん。だから――」


 もっと深い繋がりを今日も求めるように、柚希がキスをしようとしてきたその時だった。柚希のスマホが震え、俺たちにメッセージが届いたことを知らせてくれた。


「乃愛!?」


 一瞬で姉の表情に戻った柚希はスマホに手を伸ばしササッと指を滑らせる。一体どうなったんだと気になる俺に、柚希はスマホの画面を見せて口を開いた。


「良かった……本当に良かったよぉ!!」

「おぉ……?」


 柚希の言葉を聞いてそうか良かったと安心を覚えたのも束の間、柚希の感動したような声とは裏腹にスマホの画面に写る写真に俺は首を傾げた。

 その写真に写っていたのは目を回して倒れる洋介と、その洋介に跨って幸せそうに微笑む乃愛ちゃんの姿だった……えっと……あれ? これを見て何が起きているのか理解できない俺はダメな子だろうか……えぇ?


『よう君と付き合うことになりました!』


 そんな文面を見ても俺には理解が……えっと、どういうことだってばよ。





 和人が盛大に疑問符を浮かべることになる少し前、洋介と乃愛が向き合っていた。


「……よう君が好き。私はよう君が好き!」

「っ……」


 乃愛が抱いていた想い、それをようやく言葉にして伝えることが出来た。驚いたように目を見張った洋介だが、彼は別にそこまで鈍感ではない。むしろ、乃愛のことに関してはここぞと言うときは本当に鋭かった。

 だからこそ、乃愛の言葉が嘘ではなく真実なのだとすぐに理解できた。


「……………」

「……ダメ……かな。やっぱり私じゃ――」


 洋介にとって恋愛のことはそこまで分からないし、自分に彼女が出来たとしても和人や蓮のようになれるとは思わなかった。

 興味がないわけではないが、本当に分からないのだ。こういう時どんな顔をすればいいのか、どんな言葉を返せばいいのか……分からないのだ。


「……違う」


 けれど、そんな洋介にも一つだけ確かな想いがあった。

 それは乃愛に対する気持ちだ。友人の妹だからこそ今まで多くの時間を共に過ごして来た。それはある意味腐れ縁のようなものだろうか、乃愛との仲は切っても切れない縁のようなもので繋がっていた。


「俺は……」


 乃愛のことは大切だし、乃愛のことになれば鋭いのも本当だ。だけどやっぱり恋愛というものは良く分からない。

 告白されてきた数はそれなりだが、洋介は自分が恋愛をする瞬間を全く想像が出来なかったのだ。だからこんな自分と付き合っても相手が楽しくないだろ、そんな気持ちが今この瞬間乃愛に対して生まれたのも必然だった。


「……………」


 だけど、目の前で泣きそうになっている乃愛を見て洋介の心は揺れた。この子の泣く顔は見たくない、そう心が叫んだのだ。

 分からないことは多い、それでもこの子が泣くところは見たくない。そんな気持ちに突き動かされるように洋介は乃愛を抱きしめた。


「……あ」


 不器用だ。とても不器用だ。

 どうして抱きしめたのか、そう問えばそうしないといけないと思ったからなんて言葉が返ってくるだろう。もう少し気の利いた言葉を言って欲しい、そう思う人は絶対に居るだろう。

 だが、乃愛はこれが洋介だと知っていた。


「……あはは、よう君はいつまでも変わんないね本当に」

「っ……分からねえよ。でも、乃愛には泣いてほしくないんだ」


 そんな洋介を好きになった乃愛だからこそ、気の利いた言葉がなくとも彼を理解し好きで居られるのだ。


「乃愛、俺は……いや、下手なことは言わない。俺が何か気を利かせたところで空回りするのは分かってるからな」

「……そこまで言わなくてもいいんじゃないかな」


 苦笑してそう答えると、いいやと洋介は首を振った。


「正直分からないことばかりだ。でも、乃愛を泣かせたくないこの気持ちに従ってみたいと思う……いや違うな。そうじゃなくて……ああくそ、なんでこういう時に限って言葉が纏まらないんだよ!」

「……ふふ……あはははは!」


 これは私が導かないとかなぁ、なんてことを乃愛は思うのだった。

 そして、こう口にするのだった。


「好きだって、そう言ってよ」

「……………」


 顔を真っ赤にして黙り込んだ洋介の様子に乃愛は苦笑した。

 想いは伝えたけど、今回はこれまでかな……そう思っていた時だった。


「……好きだ。俺は乃愛が……そうか。そうだったのか」

「よう君?」


 戸惑いの表情を消し、真剣な顔つきになった洋介は言葉を続けた。


「好きだ。俺は乃愛が好きだあああああああああ!!」

「うひゃああああああああっ!?」


 いきなり大きな声を出されたことにビックリした乃愛はつい癖で洋介の頬を思いっきり殴ってしまった。ぶへらと間抜けな声を出した洋介はそのまま目を回して倒れてしまった。おそらくだが、乃愛に殴られたのが原因ではなく既に気持ちの容量が限界に来ていたのだろう。


「あ……よう君!? よう君!!」


 やってしまった。しかし、想いが洋介に通じたのは確かだった。

 それを実感した乃愛は倒れた洋介と自身を写真に収めた。それが柚希と和人の場面に繋がるというわけである。


 結局、ある意味この二人はグダグダだった。

 だがそれは乃愛と洋介だからこそ落着した結末だとも言える。この二人の相性だからこそこんな形に落ち着いたのだ。

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