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「夏休みもあと僅かなのにツイてなかったなぁ」

「あはは……面目ないです」


 場所は柚希の家、そして彼女の部屋である。俺の目の前には額に冷たいタオルを乗せた柚希がベッドで横になっていた。

 今日柚希が家に来る予定だったのだが、朝に乃愛ちゃんから柚希が熱を出してしまったと連絡を受けた。自分の彼女が風邪になってしまったのなら、お見舞いに来るのは当然である。


「でも……風邪移っちゃうかもしれないから良いのに」

「そう言うなよ。俺としては逆に良かったって思ってる。あの時のお返し、心置きなく出来そうだからさ」

「……ふふ、そっか」


 まあ、柚希の気持ちも分かるしこれで言われたように風邪が移ったら元も子もないから長居をするつもりはない。お返しが出来るとは言ったが、もうお粥を食べてお腹は膨れたらしいし……そうだな。


「ごめん柚希、お返しって言ってもそんなに出来ることないかも……」

「あはは、そんなことないよ。カズが……あなたがお見舞いに来てくれた、それだけでアタシは満足だよ♪」


 笑みを浮かべてくれたが、やっぱり少ししんどいのか強がっているようにも見えてしまう。俺はベッドの横に座るようにして腰を下ろし、布団から覗いている柚希の手に自身の手を重ねた。


「柚希が眠るまでここに居るからさ。安心して」

「カズ……うん。ありがと」


 言葉は少なかった。

 いつもは元気いっぱいの柚希でも、こうして風邪をひいて弱々しい彼女の姿はある意味新鮮だった。少しでも安心できるように、そんな意味も込めて俺は彼女の手を握ったのだ。


「……すぅ……すぅ」


 それから本当に数分で柚希は眠りに就いた。

 相変わらず頬は赤いけど、表情は少し楽になったのか穏やかになっていた。俺はそんな柚希の様子に笑みを浮かべつつ、少し熱を持ったタオルを水に浸け、改めて冷たくしてから額の上に乗せた。

 柚希の部屋から出てリビングに向かうと乃愛ちゃんがテレビを見ていた。


「あ、お兄さんお疲れ」

「あぁ、柚希は寝たよ」

「そっか」


 実を言うと、最初から来なかった方が柚希に気を遣わせなかった気もするけどそれは考えても仕方ないか。乃愛ちゃんが隣に座るようにトントンとソファを叩いたので俺はそこに腰を下ろした。


「お姉ちゃんがこうやって風邪をひくのって久しぶりなんだよね。それくらい毎日お兄さんとの日々にはしゃぎすぎたんじゃないかなぁ」

「そっか……嬉しいのかどうか、ちょっと複雑だな」


 確かに柚希は自身の体調管理も含めてしっかりしているからこそ、そんな柚希が俺とのことではしゃいで風邪をひいたのは申し訳ないのか嬉しいのか……良く分からない複雑な気分だ。


「すぐに体調良くなるはずだから大丈夫だよ。始業式には余裕で間に合うだろうからそんな顔しないで?」

「……不安そうな顔でもしてた?」

「うん。お姉ちゃんは幸せ者だね……こんなに想われてさ」


 まあないとは思うけど、風邪を拗らせると大変なことになる可能性もある。それを考えると少し怖いし不安かな……ま、あまり考え過ぎたら今度は俺が体調悪くしてしまいそうである。


「ふわぁ」

「眠たいの?」

「あぁ……まあ昼だからな」


 昼だから毎日昼寝するわけではないけど、今日はちょっと眠たくなってきた。乃愛ちゃんに少し眠ったらと言われたので、俺はその言葉に甘えるように目を閉じた。


「膝枕でもする?」

「遠慮するよ。というか乃愛ちゃんに悪い」

「う~ん、お兄さんにしてあげたかったんだけどなぁ……」


 ……凄く残念そうな声に、俺は思わずこう言ってしまった。


「じゃあお願いしていい?」

「うん!!」


 残念そうな表情から一転し、嬉しそうに笑顔を浮かべた乃愛ちゃんの膝に頭を乗せた。彼女の妹にこんなことをされるのは妙な気持ちだけど……柚希の妹だからなのか不思議と落ち着く感じがする。


「何かあったら起こしてくれていいから」

「分かった。それじゃあお兄さん、おやすみなさい」

「おやすみ」


 眠気に抗えず、俺はすぐに眠りに就くのだった。





「……早いなお兄さん」


 早々に眠ってしまった和人に乃愛は苦笑した。

 柚希ではないから落ち着かないかなとも思ったけれど、思いの外リラックスしたように眠る和人を見て乃愛は安心した。


「本当にお姉ちゃんが風邪をひくのは久しぶりだよね」


 顔を赤くした柚希が降りてきた時はビックリした。柚希自身も自覚があったのか体温計で熱を測ると案の定微熱を通り越していた。すぐに横になってもらい、和人に連絡を取ったというわけである。

 和人が傍に居たとして風邪が治るわけではないが、それでも伝えた方がいいと乃愛は思ったのだ。


「お姉ちゃんをそんなに想ってくれて、ありがとうお兄さん」


 和人の頭を撫でながら乃愛はそう呟く。

 既に和人がどれだけ柚希のことを想っているかはよく知ってるし、その逆も然りで嫌というほど知っている。それでも、こうして恋人であり自身の姉を心配してくれる和人の姿は乃愛にとって本当にかっこいいものだった。

 こうした姿を見れば柚希は嫉妬するかもしれないが、それでも乃愛は笑みを浮かべるだけだろう。和人のことは確かに素敵な男性だと思っているが、向けている感情は恋ではなく親愛だ。


「まあ漫画の世界とかに妹に甘える兄ってのも珍しくないしさ。こういう時くらいこの乃愛ちゃんに甘えてよ」


 そうしていると、乃愛も和人のように眠くなってきた。少ししたら和人を起こそうと思ったけれど、どうやらそれは無理そうだなと乃愛も眠りに就くのだった。

 そして、次に乃愛が目を覚ましたのは一時間後だった。

 相変わらず和人は眠ったままで起きてはいない。そんな様子に苦笑していると、リビングの扉が開いて柚希が現れた。


「あ、お姉ちゃん」

「乃愛……それにカズ? 帰ってなかったんだ」


 喉が渇きでもしたのかもしれない。まだ顔は赤いが表情は悪くない、そんな柚希の様子に乃愛は安心した。


「お兄さん眠たそうだったからさ、膝枕してしまいました」

「あはは、いいじゃん兄妹みたいで。ちょっと悔しいけど似合ってるわ」

「……そっか」


 似合ってる、単純だが嬉しかった。

 冷蔵庫を開けて柚希は麦茶をコップに注ぎ、喉を潤すようにゆっくりと味わいながら飲んでいく。そうして使い終わったコップを置いて乃愛の元に歩いて来た。


「可愛い寝顔ね本当に」

「うん、お姉ちゃんはいつも見てたんだよねぇ」

「そうね。でもね、こんな可愛い表情だけど凄くかっこいいんだから」

「知ってるよそんなこと……うん、お姉ちゃんの次に知ってるよ」


 柚希に寄り添うその姿は優しさで溢れているけれど、同時に絶対に守るんだという強さのようなものも感じるのだ。

 乃愛の言葉にクスッと笑った柚希はそのまま扉へと向かう。


「結構楽になったけど、もう少し寝るわね。カズが起きたらよろしく言ってちょうだい。アタシは大丈夫だからって」

「分かった」


 本当ならもっと一緒に居たいだろうに……柚希はヒラヒラと手を振って部屋に戻った。

 既に眠気が飛んでしまった乃愛だったので、適当にスマホでも見て時間を潰す。そこからしばらくして和人は目を覚ました。思いの外深く眠っていたことに驚きつつ、乃愛への感謝の言葉と共に体を起こした。


「ありがとう乃愛ちゃん」

「ううん、どういたしまして」


 少し話をしてから和人は帰ることになった。

 柚希のことを伝えると分かりやすく和人は安心した様子を見せるのだった。そうして柚希のことは頼んだ、そう言って家を出て行く和人を見送り乃愛は再び一人になるのだった。


「なんか……てぇてぇってやつだね」


 何を今更、そんなことを考えながらもそう言わずにはいられなかった。

 これで和人が風邪をひいてしまったら本末転倒だが、どうかそうならずに一日でも早く和人と柚希のラブラブを見せてくほしいと乃愛は祈る。

 乃愛にとってはやっぱり風邪で寝込む姉の姿よりも、好きな人と一緒に居て楽しそうな姉の姿の方が大好きだから。

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