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「……………」

「……すぅ……すぅ……」


 ふと目が覚めた。近くにあるはずのスマホを探して手を動かすのだが中々見つけることが出来ない。眠たい……でも今何時かだけ確かめたい。そんな風に考えながら手を動かしていると、何か柔らかいものに手の平が触れた。


「……?」


 なんだこれはと、覚醒しきっていない頭で考える。柔らかい、指に力を込めればその柔らかさに沈んでいく。しかしふと指から力を抜けば押し返される弾力がある。モミモミ、効果音が付くならそんな感じだろうか。


「……ふぁ……あん」

「……おや?」


 そこで何やら悩まし気な声が聞こえたので手の動きを止めた。朝方ということもあって少しばかり気温は下がっている。だから昨日の夜に蹴っ飛ばしていたはずの毛布を体に掛けていたのだが……ふと捲ってみると、そこには隣に居ないはずの柚希が眠っていた。


「……あれ?」


 部屋はいくらかあるのだが、結局広間に全員で布団を敷いて寝ることになったのだが、男子は男子、女子は女子で固まって眠っていたはず……それなのに柚希が俺の布団の中に居るということはどういうことか。まさか寝相が悪くてここまで転がってきたわけでもあるまいし、たぶん俺が眠った後に布団に潜り込んで来たんだろう。


「本当に可愛い子だな君は」


 ツンツンと頬を突くと擽ったそうに手を払おうとしてくるが、どこか嬉しそうに口元を緩めているようにも見える。……起きてないよね? 一瞬疑ったけど本当に寝ているみたいだ。


「……あった」


 手に取ったスマホで時間を確認するとまだ五時半、そりゃみんな寝てるよねって話である。とはいえもう目が覚めてしまったので俺は起きることにしよう。柚希に毛布を全部掛けてあげると、俺はふと女子たちの方を見た。


「凛さんが居ない?」


 柚希の姿がそっちにないのは当たり前で、凛さんの姿が見当たらなかった。もしかしたらと思って俺の近くで寝ていた空に視線を向けると、空に向かい合うように凛さんが横になっていた。


「……なんか、昨日からずっと引っ付いてるよな」


 空は遠慮しがちな部分があったけど、凛さんはかなり積極的に空にボディタッチをしていた。たぶん今までずっと我慢していた反動が訪れたんだろう。空に告白された喜び、恋人になれた嬉しさを余すことなく発揮しているということか。


 もしもこれからこんな感じの凛さんの猛攻が続くのなら大変になるぞ空。俺はそんな空を激励というか、応援する意味も込めて寝ている空の顔を覗き込もうとしたんだけど……おかしい、二つの目が俺を見た。


「……………」

「……………」


 空と向かいようにして横になっていた凛さんが目を開けていたのだ。ジッと空の寝顔を見つめていたと思われる凛さん、そんな彼女の目がヌルリと動いて俺を見てきたことで割とマジで悲鳴が出そうになった。

 咄嗟に口元を抑えて悲鳴を出さなかった俺を褒めてほしい。

 俺はサッと視線を逸らし、何も見なかったことにして立ち上がった。


「……怖いってマジで」


 水を手に掬って顔を洗っていると、トンと肩に手を置かれた。ビクッと震える俺の体、そんな俺にその人物は声を掛けてきた。


「おはようございます和人君」

「……おはよう凛さん」


 やっぱり凛さんだった。

 ニコッと笑っている彼女に邪気は感じられない……まあ当たり前だけど。彼女も俺と同じように顔を洗い、スッキリした様子で口を開いた。


「ビックリさせましたか?」

「うん。まるで深淵を垣間見たような気がしたよ」

「深淵って……あぁでも、なんかこう言う言葉ありますよね。深淵を覗く時、また深淵もこちらを見ているのだって言葉」

「あぁなんだっけそれ」


 ネットで色々見ていると時々目にしたことがある言葉だ。凛さんは空経由で知っていたみたいだが、詳しくは知らないらしい。


「その……別に昨日の夜からずっと空君の顔を見つめ続けたわけじゃないんです」

「だろうね」


 だとしたら怖いって。


「昨日男子のみんなは割とすぐに寝たじゃないですか。それで雅と乃愛ちゃんが寝た後に、柚希と二人で移動したんですよ」

「あぁそうだったんだ」


 二人で示し合わせたのか。凛さんは頬を緩めながら言葉を続けた。本当に嬉しそうに、幸せそうに笑みを浮かべて。


「空君と恋人になる、ずっと望んでいました。それが実際に現実になると凄く幸せなことですね。月並みの言葉なんですが、本当に嬉しいんです」

「……そっか」


 きっと他のみんなも同じように嬉しいと思うよ。もちろん俺だってそう思ってるし心から祝福しているんだ。後はまあ、これから空と凛さんの新しい一面が見れるんだろうなって期待している。


「昨日ずっと空に引っ付いてたもんな」

「そうなんですよおおおお!!」


 っと、そう言うと凛さんは大きな声を上げて俺に迫る。俺は思わず尻もちを付いてしまいそうになるくらい下がってしまったが、それでもなお凛さんは興奮した様子で話を続けた。


「ああやって手を握ったり肩が触れ合うだけで凄いんですから! 心臓バクバクしてどうしようもないくらい空君への愛が溢れるんですよ! 空君も空君で照れながらも私に応えてくれるんです! 俺も……凛に触れたいなんて言ってくれちゃってきゃあああああああ!! 空君可愛すぎるんですけど! 恋人って最高ですね! というかこれはもう結婚まで秒読みですよラストスパートですよ! あぁでも子供とかは流石に学生の身ではまだ早いのでどうしましょう……でもセックスは恥ずかしいですけど興味はあるんですよね凄く。これでも空君とのことを想定して雅と一緒にAVをいくつか見たことはあったんですから! 和人君はどう思いますか付き合って大体どれくらいで体の関係に行くのでしょうかああでも恥ずかしい! でもこの恥ずかしさに悶える瞬間も最高にエモいってやつなんですけども! 何も焦ることはない、そう思っても求めてしまうこの瞬間がたまりません! 空君大好きですよ本当に一生大好きなので絶対に私をもらってください愛しています!!」


 ……ちなみに、ここまで彼女はこれを全て一呼吸で言い切りましたよっと。


「? どうしたんです? 何か幽霊でも見ましたか?」


 幽霊よりももっと怖いものを見た気がしたわ。


「凛さん、空を凄く好きな気持ちは分かるけど自分たちのペースがあると思うからゆっくりでいいと思う」

「……そうなんでしょうか」

「うん。今はまだ初々しい恋人関係を楽しむのもいいんじゃないかな。空も次第に慣れてくると思うし」


 凛さんをナンパから守ったり、今日みたいに告白を決意できる勇気を持っているのが空だ。だから……ちょっと想像出来ないけど、そういうことを空から誘う日もその内来るんじゃないかな。どっちかっていうと凛さんが我慢できずに襲い掛かる方に俺は五千円くらい懸けてもいい。


「そうですね……こういうことに関しては先輩の和人君の意見を聞きましょう。正直柚希に聞いても当てにならないので」

「なんで?」

「和人君との間にあったことを話してくるんです。正直に言いますと、あなたたち二人は普通よりイチャイチャ度が濃すぎるんです。柚希がああいう性格なので仕方ないですけど、あそこまで相手に対して自分の好意を素直に出せる女の子ってそうそう居ないと思いますよ? なので、柚希の話を聞いても参考にならないんです」

「……そうなんだ」


 柚希、どうやら俺たちは異端的な扱いを受けているのかもしれん。


「ちなみに和人君」

「うん?」

「……ディープなキスは別にしても大丈夫ですよね」

「もう自分に従って良いと思うよ」

「本当ですか!? ラブチューベロチューしていいんですか!?」


 別にいいんじゃないかなラブチューベロチューしても。

 ごめん凛さん、俺は今少し疲れているよ。たぶん今になってさっきの君の呪文で何らかの状態異常が発動したみたいだ。


「空君……空君! 空く~ん……空君ぅん……」


 既にシミュレーションを始めている凛さんだった。


「……凛さんって空のことになるとほんとポンコツだよね」

「ポンコツって失礼ですね……ちょっと知能指数が低下しただけじゃないですか」


 取り合えず、空はよ起きろ。

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