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「……待ちきれずに来てしまった」


 早朝、和人の家を前にして柚希はそう呟いた。昨日分かったことだが、二人が実はずっと昔に出会っていたという衝撃の事実が判明した。柚希も和人も全く覚えてはいなかったものの、まるで運命のようだと昨夜は語り合った。


 そんな次の日の朝で今になるわけだが、どうしても早く和人に会いたくて柚希はここまで来てしまったのだ。流石に朝かなり早いこともあり、和人もまだ寝ていると思うので失敗したなと柚希は苦笑する。


 このまま和人が起きるまで待っていようか、それとも……そうやって悩んでいた時玄関が開いた。出てきたのはこれから仕事に向かうのだろう雪菜の姿、彼女は柚希を見つけて驚くように声を上げた。


「柚希ちゃん? どうしたの……って、なるほど」


 驚いた様子を見せたがすぐに察したのは流石である。ニヤニヤと口元に手を当て、微笑ましそうに雪菜に見つめられてしまうと流石に柚希も恥ずかしさで下を向いてしまう。


「ふふ、昨日の今日だものね。分かってるわ」

「雪菜さんも傍に居たんですね」

「えぇ、ロマンチックな話じゃない」


 本当にその通りだと柚希は頷いた。雪菜はこれから仕事に向かうためここでお別れになるが、また遊びに来た時にたくさん話をしようと約束した。車に乗った雪菜を見送った柚希は改めて、和人の元に向かうために玄関から中へ入るのだった。


「おじゃまします」


 当然帰ってくる声はなく、柚希は靴を脱いで真っ直ぐに和人の部屋へと向かった。もしかしたら起きてるかもしれないと思い、コンコンと音を立ててノックをしたが返事はなかった。


「カズ? 入るよ?」


 ゆっくりと扉を開けて中に入り……柚希はクスッと噴き出した。


「もうカズったら」


 ベッドの上で寝ている和人は布団を蹴飛ばしてそれはもう凄い体勢で寝ていた。柚希が隣に居る時は寝相が良いのに、こうして一人で寝ている時はこんな感じにもなるのかなと、和人についての新しい一面を知れた気がした。

 六月も半ばになってくるとそろそろ夏が近づいてくる。風邪をひくことはそうそうないかもしれないけれど、どうかお腹を冷やして体調を悪くしないでと柚希は祈るのだった。


「時間はまだまだ大丈夫、カズが起きるまで見つめてよっかな」


 ベッドの傍まで近づいて柚希は和人の顔を見つめてみた。以前に乃愛が泊まった時と同じ構図だが、柚希はこうして和人の寝顔を見つめるのが好きだった。だらしのない姿も、あどけない寝顔も、全部が愛おしくて柚希は自然と笑顔になる。


「ねえカズ。アタシたちはどんな風に出会って、どんなことを話したんだろうね」


 覚えていられたらそれはそれで素敵なこと。でも昨日和人が言ったように、今更それを知った所で何かが変わるわけでもない。


「何となくだけど、また会おうって約束したんじゃないかな」


 こうして和人とのことを考えていると無性に柚希は和人に抱き着きたくなってしまった。昨日電話で早く抱き着きたい、抱きしめてほしいと口にしたがもう我慢が出来なかった。

 セットした髪が多少乱れるかもしれないがそんなことは知ったことではない。そう言わんばかりに柚希は躊躇することなく和人の隣で横になった。


「……ふふ」


 柚希の体重を受けてベッドが音を立てたものの和人はやっぱり目を覚まさない。柚希は悪戯をするように頬をツンツンと突くと、和人はくすぐったそうに柚希の手を払った。だがそこで和人は何かを感じたのだろう。隣に寝た柚希の方へ顔を向け、まるで抱き枕を抱きしめるように腕を伸ばした。


 柔らかな感触を、温かい体温を感じるように和人は柚希を抱きしめる。ちょうど和人の顔の位置は柚希の大きな胸の場所へ向かい、その弾力を味わうようにスリスリと頬を当てた。


「可愛いなぁ」


 そんな風に無意識に甘える和人を見て柚希は嬉しそうに頬を緩めた。自身の胸をこんな風にされる行為は普通なら恥ずかしいものだが、柚希からしたらこんなものは恥ずかしくも何ともない。仮に和人が目を覚ましていた場合、もっと甘えてほしいと困らせることだろう。


「……う~ん?」

「あ……」


 そろそろ時間も時間だ。ようやく、和人は目を覚ますのだった。





「……う~ん?」


 温かく柔らかい、そんな二つの感触に顔が挟まれているようだ。布団でもないし何だろうと思いながらも、俺はそんな柔らかくて温かなものを堪能するようにもっと顔を押し当てた。


「……気持ちいい」


 何だろう、この顔を動かすと同時に形を変える素晴らしい弾力は。もっと味わいたい、もっと堪能したいと俺はこの腕の中にある温かい感触を抱きしめ……っと、そこで俺の脳は一気に覚醒した。

 まさかと思い、ゆっくり目を開ける。すると目の前に広がったのはカッターシャツの白色だ。思いっきり抱きしめてしまった影響か軽く皺が出来てしまっているが気になるほどではないだろう。


 少しボタンが外れてしまっているからこそ見える胸の谷間、そしてそれを包む黒の下着が微妙に見えて……はい、どうやれこれはそういうことらしいです。


「おはよう、カズ」

「……おはようございます」


 つい敬語になってしまった。

 頭の上から響いた優しい声に俺は少し体を離して見上げた。俺と同じようにベッドで横になり、こちらを見つめる柚希がそこに居た。色々と言いたいことはあるけど取り合えず言わせてほしい。


「……どうしたの?」

「ふふ、来ちゃった♪」


 来ちゃったって……可愛いなおい。って違う違うそうじゃない。でも、何となく予想は出来ているのだ。昨日あんな話をしたからだろうか、たぶん柚希は待てなかったんだと思う。だからこんなに朝早く家に来たんだろう。


「待ちきれなかった?」

「お恥ずかしいことにそうであります」


 恥ずかしそうにはしながらも、俺から目を離すことはせずに真っ直ぐ見つめながらそう口にした。俺はそっかと小さく呟き、それなら応えないわけにもいかないなと思って改めて柚希を思いっきり抱きしめた。


「えへへ、さっきも抱きしめられたけどね」


 そう言って柚希は俺の胸に顔を埋めた。基本的に柚希とこうすることは多いけど、なんか不思議だよな。こうする相手が自分にとっての大切な相手だからなのかもしれないけど本当に幸せなんだ。なんならずっとこうして居られる、そう思えるほどなのだから。


「なんかさ、ずっとこうして居たいよな」

「そうだね。ねえ、今日サボってイチャイチャする?」

「それもいい……って柚希さん!」

「ちぇっ」


 普通に頷きそうになったのに焦ってしまった。柚希は楽しそうにクスクスと笑い、そして俺の唇に顔を近づけた。


「ぅん……あむ」


 啄むような優しいキスだったけど、これ以上続けると歯止めが効かなくなると俺たちは思って名残惜しさを感じながらも離れた。


「さてと、ちゃちゃっと済ませて出るとしようか」

「うん!」


 まあ起きたばかりなのでやることはいっぱいだけどさ。起き上がって母さんが軽く用意していた朝食を喉に通し、歯を磨いて顔を洗い、身だしなみを整えて制服に着替える。その途中、カッターを着る時に柚希が正面に立った。


「アタシにボタン止めさせて?」

「? うん」


 柚希は俺の正面に立ち、一つ一つボタンを丁寧に留めてくれた。


「はい。出来たよ♪」

「おう!」


 なんか新婚さんみたいでいいなこれ……あはは、ちょっと恥ずかしいや。それから俺たちは揃って家を出ていつものように学校に向かう。


「ねえねえ、アタシの方にはカズくんって書いてあったの。そう呼んでたのかな?」

「かもなぁ……俺の方も書いてあったし」

「へぇ? なんて?」

「ゆーちゃんって」


 ま、何も覚えてないから合ってるかどうかも分からないけどね。柚希はしばらくゆーちゃんと繰り返していたけど、小さく頷いてこんなことを口にした。


「その呼び方も捨てがたいけど、アタシはやっぱり今のままがいいかなぁ。カズに柚希って呼ばれるの大好きだもん」

「そっか。俺の方も今さら君呼びされるのも違う気がするからな。和人でもいい気はするけど」


 カズでも和人でもどっちでもいい気はする。でも柚希は首を振った。


「ダメだよ。カズはアタシだけがそう呼んでるの、アタシだけの特別なの。だから……アタシはこれからもカズって呼びたい」


 ……そっか、でもよく考えたら確かに俺のことをカズって呼ぶのは柚希だけだもんな。なるほど、特別か……不思議な響きだよ本当に。


「それにしても、みんなに話すネタが増えたね。アタシとカズはみんなに出会う前から繋がってたんだって」

「驚かれそうだなぁ」

「だね。ふふ、今から凄く楽しみ♪」


 ちなみに、それを学校に着いてから柚希が嬉しそうに話した。青葉さんと朝比奈さんはロマンチックだと憧れたように口にしたが、空だけは違った。


「いや、お前らの仲の良さを見たら今更珍しくもないだろ」


 そんなだから空君は空君なんです、そう言って空は青葉さんに叩かれていた。

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