53

 気持ちの良い朝の目覚めだ。

 昨日まで柚希が泊まりに来て、乃愛ちゃんも居たけど本当に楽しかった。そんな楽しみの後はこうやって学校が始まるわけだけど、いつになくワクワクしている。まあそれは学校に対してではなくて、柚希に会えるからというのが大きいけど。


「……よし! 起きるか」


 ベッドから勢いよく出てまずはリビングに向かう。母さんはやっぱりもう家から出ていて弁当箱が一つ置かれていた。俺はいつもするように母への感謝をしつつ、簡単に朝食を作って腹を満たした。

 顔を洗って歯を磨き、荷物を持って玄関を潜るのだった。


「行ってきます」


 そろそろ夏が近いということもあって、段々と空気が温かくなってきた。そう言えば乃愛ちゃんが発案して温泉旅行なるものが計画されたけど、温泉旅行って夏にはあまり行かないイメージがある。まあでも、またあの賑やかな時間を過ごせると思えば本当に楽しみだ。


「……あ」


 いつもと同じ待ち合わせ場所、そこに彼女はやっぱり居た。

 少し強く吹いた風に髪の毛が攫われ、庇うように手を当てていた。そんな光景すらも何か絵画のように思えてしまう辺り、俺ってどんだけ柚希のことが好きなんだよと苦笑した。


 柚希を見つけて近づく中、一人の青年が柚希に話しかけた。スーツを着ているんだから普通に会社に行けよ、なんてツッコミを内心でする前に早く柚希と合流しよう。急いで近づく中、話しかけてきた青年に柚希は全く興味がなさそうに手をひらひらとさせ、その最中に俺と目が合った。


「あ、カズ!」


 そのまま青年の脇を抜けるように彼女は俺の元へ駆けて来た。そのまま胸の中に飛び込んで来た柚希を抱きしめ、改めて彼女と見つめ合った。


「おはよう柚希」

「おはようカズ」


 ニコッと笑顔を浮かべてくれた柚希に俺も自然と笑みが零れた。チラっと視界の隅に映った青年だが、彼は柚希に何かを言いたそうだったが俺を見てそのまま背を向けて歩いて行った。


「柚希、何か言われた?」

「え? ……えっとぉ」


 柚希は気まずそうに頬を掻いた。その様子は何かを言われたというより……何だろうか、何かを隠すような仕草には見えない。


「その……何を言われたか覚えてないや。カズのことしか考えてなかったからどんな反応したかも覚えてないんだよね」

「そっか」


 それは……はは、嬉しいというべきかもう少し周りを見てほしいと思うべきか。柚希はさっきの青年のことは本当に頭に入ってないどころか、本当に覚えてないように俺の腕を抱いた。


「それじゃいこっか」

「あぁ」


 そうして俺たちは歩き出した。

 いつもと同じ光景、先週までと何も変わらないはずなのにどこか新鮮なもの感じるのは何だろう。いつもより傍に居る彼女が……柚希の存在がとても大きくて、そして凄く身近に感じる気がする。


「……………」

「どうしたの?」


 ジッと見つめていたらやっぱり気づかれた。どうしたのと、そう柚希は疑問を口にしたけど何故か嬉しそうにしていた。


「えへへ、カズに見つめられてたからね。あ、アタシに夢中になってる……って嬉しくなったの♪」


 なるほど、そういうことか。でもそれなら俺はいつも柚希に夢中みたいなところがあるからなぁ。でもこうやってこんな可愛い反応を返してくれるだけで心が温かくなる。ほんっと、これは重傷だな。


「いつもより柚希が身近に感じるっていうか……いや、いつも近くに居るんだけどさ。なんか今日に限っては特別に感じたように思えたんだ」

「……なるほどね。実を言うとアタシも同じだった。昨日とかとちょっと違う感覚……もしかしたらさ、アタシたち二人で同時に大人の階段を上ったことも関係あるのかなぁ」


 ……それを言われるとあの日の夜を思い出してしまう。

 綺麗で、可愛くて、いつも見ていた柚希が初めて見せてくれた姿……あの乱れた姿を思い出すとちょっと朝から困ったことになりそうだ。


「……ちょっと危ないねこれ。お股がムズムズしてきそう」

「……柚希、無心になろう。俺たちはこれから学校に行くんだ」

「りょ、了解しました!」


 ビシッと額の前に手を上げて敬礼した柚希と共に、俺たちは改めて通学路を歩き出した。学校に近づけば近づくほど、周りに他の学生が増えるのは当然だが、やはり俺の想像した通り柚希を見る目が増えている気がする。

 ……よし!


「柚希、肩を抱いて良いか?」

「ふぇ? う、うん!」


 驚いていたけどすぐに柚希は俺から組んでいた腕を外した。そして俺が柚希の肩を抱くようにすると、柚希も俺の腰に腕を回すようにして身を寄せる。その瞬間、一気に視線が更に増えた気もするけど俺は堂々としていた。


「不思議だよな。好きな人を守る、この子は俺の大切な子なんだって思うとこんなにも強くなれるんだな男って」

「……………」

「柚希?」

「……はっ!? ごめん、見惚れてた」

「……そ、そっか」

「うん。かっこいい、大好き。ねえカズ、今日学校サボってイチャイチャしよ?」

「……柚希さん、それはダメだろ流石に」

「ちぇっ」


 一瞬それもいいかなと思った俺はヤバいかもしれない。ただ今の提案は柚希自身本気でしたものではないらしく、舌を出してやっぱり無理だったかと笑っていた。そのまま俺たちはいつの間にか周りの目を気にすることなく、自然と雑談をするように校舎内に入り教室へと向かった。


「おはようさ~ん」

「おっはよう!」


 二人で挨拶をして教室に入ると、少しだけ静かになった後騒がしくなった。チラチラと柚希を見てくるクラスメイトも居るが、ほとんどの人がそこまで気にしてる様子はなさそうで安心する。


「おっす和人、柚希」


 先に登校してきていた洋介が話しかけて来た。洋介は柚希をジッと見て何かを考えるように顎に手を当て、そしてこう言い放った。


「いつもより綺麗になったか?」


 いつもより、というのは少し気になるけどやっぱり洋介も感じるのか。洋介相手にそう言われたのが意外というか、ちょっとだけ気持ち悪いと思ったのか柚希は何こいつみたいな顔を洋介に向けた。


「いきなり何よ。アンタね、アタシに言うくらいなら乃愛に――」

「なんかこう……野性味が薄くなったというか」

「アタシは猿か!!」


 ペシンと鈍い一発が洋介の肩に炸裂した。もう一発お見舞いしようと一歩を踏み出した柚希から距離を取るように、洋介はそんなつもりはないと弁解するように続いてこんなことを口にするのだった。


「猿なんて思ってない! ゴリラとは思った……あ」

「……いい度胸ね脳筋、そこに直りなさい」


 教科書を丸めた柚希の目が真紅に光っている気がする。とはいえ洋介よ、流石に女子に向かってゴリラはないんじゃないかな。咄嗟に謝るつもりか、慌てたのか……まあどっちもだろうけど、洋介ってそういう状態になるとほんと天然が爆発するよな。


「た、助けてくれ和人!」

「柚希、おいで」

「うん!」


 丸めていた教科書を綺麗に置き、椅子を持ってピタッと俺の隣に座った。腕を抱いて肩に頭を置くという家で良くしていた姿勢をここで披露した柚希だったが、やはり周りの目は入ってないのか目を閉じて幸せそうに鼻歌を歌っていた。


「助かったぜ和人……」

「いいよ別に。でもさ、女性にゴリラはないぞ流石に」

「……咄嗟に余計な一言が出ちゃうんだよな。乃愛にも気を付けろって言われてるんだけど」

「もしかして乃愛ちゃんにも似たようなこと言ったんじゃ」

「あぁ」


 ……何だろう、乃愛ちゃんの苦労が目に浮かぶ気がする。


「俺のことだから良く分かってる、そういう所もいいんじゃないって言われるんだが……どういうことなんだ?」


 首を傾げる洋介に苦笑してしまいそうになったが、俺は今の洋介の言葉に乃愛ちゃんはやっぱり柚希の妹なんだなと理解した。その人の欠点、弱点のようなものを逆にその人の持ち味のように受け入れる。確かにずっと続いて来た繋がりはあるんだろうけど、それだけ乃愛ちゃんは洋介のことが好きなんだ。


「洋介、一度でいいから乃愛に可愛いって言ってあげて。あの子、それだけで凄く喜ぶんだから」

「……恥ずかしいだろそれ。というか乃愛が可愛いなんざ当たり前のことを言っても仕方なくないか」

「アンタも照れるのね……って、アタシはアンタがそう思っていたことに驚きだわ。洋介、アンタもちゃんと人の子なのね」

「失礼だなおい!」

「ぷふっ!」


 思わず笑ってしまった。

 おそらくさっきのゴリラ発言の仕返しみたいなものだろうけど……やっぱり少しだけ羨ましい気もしてる。こうやって遠慮なくお互いに物が言えるのも長い時間を幼馴染として過ごした特権みたいなものだろうしな。


「おはようございます」

「おはよう三人とも」


 そうこうしてると空と青葉さんが登校してきた。空は洋介に何か用があったのか話し込み始め、それを見つめていた青葉さんが俺と柚希を見た……?


「二人とも」

「なに?」

「どうした?」


 何だろう、ちょっと青葉さんの笑顔が怖い。青葉さんがグッと俺たち二人に顔を近づけ、そしてこう口にするのだった。


「覗き見、盗み聞きはどうかと思いますよ~?」

「……………」

「あ、あはは……」


 やっぱり青葉さんにはバレていたようだ。

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