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「ふぅ、サッパリした」


 朝からシャワーを浴びることは早々ないけど、思いの外気持ちの良いものだな。まあ昨日の夜の出来事もあってシャワーを浴びないといけなかったわけだが。俺はこうしてもう浴室から出たけど、柚希の方はもう少し掛かりそうで女の子ってそういうものなんだなと改めて思った。


「あら、サッパリしたみたいね」

「……………」


 そう言えばさっきのやつ、お楽しみでしたねって言葉はやっぱりそういうことなのかな。昨日は雰囲気に流されて俺も柚希も突っ走るままに行為をしてしまったわけだ。黙り込んでしまった俺を見て母さんは首を傾げたものの、察したように手を叩いた。


「さっきのはカマを掛けたつもりだったんだけど、まあ和人の反応もそうだし柚希ちゃんの様子を見れば一目瞭然ね」

「ぐぅ……!」


 母さんは揶揄うつもりではあってもあまり嘘を言う人ではない。色々と聞かれたのではと思っていたがそうではないようだ。ただ自身の母親にそのことについて遠まわしとはいえ聞かれるのは結構堪えるな……。


「ちゃんとゴムはしたんでしょうね?」

「もちろんだよ」

「ならよし。学生で子供が出来たら本当に大変よ? 当時の私のクラスでも居たから」

「そうなの?」


 学生ということでまだ収入も何もない時期だ。進んで子供を作ろうとする人は居ないだろうけど……まあ出来ちまったんだろうなぁ。母さんは当時を思い出すように話してくれた。


「その子は結構仲が良くて話をする子だったわ。同年代の男の子たちのことは相手にしなくて、働いている大人の人に魅力を感じる子だったのよ」

「へぇ……それでか」

「そう。結構長い間誤魔化していたんだろうけど、やっぱりお腹が大きくなってくると隠し通すことはできなくてね。そのまま学校にバレて退学処分だったわ」


 あり得ない話ではない。冷たい話のように感じてしまう人も居るかもしれないが、そんな問題児を学校側が抱えたいかと言われれば決してそんなことはないだろう。風紀の問題を表に出し、異物を徹底的に追い出そうとするはずだ。


「……冷たいと思ったかもしれないけど、世間の反応はそうなのよ。もしだけど、和人の立場からある日突然同級生に子供が出来たとしましょう。おめでとうって素直にお祝い出来る?」

「それは……祝うかどうかは別にしてちょっとうわって思うかも」

「そうでしょうね。悔しいけど私はそう思ってしまった側だった……あの子の友人だったのにね」


 ……どうしようもないというか、難しい問題だよなこういうのは。


「あの子とはそれっきり会ってないの。親御さんとも折り合いが悪かったらしいし……」

「……………」

「ふふ、ごめんなさい。こんな空気にするつもりじゃなかったんだけど、変な話をしてしまったわね」


 そんなことはない。ただ、戒めにはなったと思う。愛を確かめ合う行為とはいえ、今の俺たちの立場からすれば間違えてしまった場合のリスクはあまりにも大きい。だからこそ、ちゃんと守るべきことは守れと母さんは俺に伝えたかったんだと思う。


「俺だけじゃなくて、柚希も大変な思いをすることになる。大丈夫さ、しっかりとお互いに気を付けるよ」

「えぇ、それで大丈夫。うんうん、良い子に育ってくれてお母さんは嬉しいわ」


 普通の感性ならその辺りのことは気を付けると思うけれど。どうやらまだ柚希は戻ってこないか……俺はもう少しここに居ようかとソファに座り込んだ。母さんも対面に座りテレビを付け、二人でボーっと見ていると母さんがこんなことを聞いてきた。


「以前柚希ちゃんに和人と出会う切っ掛けのことを教えてもらったんだけど、最初から柚希ちゃんはあんな風に可愛い子だったの?」

「初めて出会った時から可愛い子だったよ」

「あぁそういう意味じゃなくて、あんな風に人懐っこいというか、和人と仲が良かったのかなって」

「そういうことね。初めて会った時は目すら合うことはなかったよ。お互いに知らない仲だからさ」

「まあそれもそうよね。でも、あの柚希ちゃんが和人に素っ気ない態度を取っていたって想像が付かないわね……」


 そう思われることは嬉しいけど、本当に出会った当初は名前すら呼ぶことはなかったし口にしたように目が合うこともなかった。だからこそ、苦手に思うこともあったんだ……それが今じゃこんな感じだけどね。


「母さんなら分かると思うけど、俺ってあまり派手目な人は苦手に思ってたんだよね。だから初めて柚希を見た時、ちょっとギャルっぽいなって思ってさ。できればあまり関わりたくないって思ってた」

「何となく分かるわ。私も……ほら、和人が風邪をひいた時に柚希ちゃんが来たでしょ。あの時本当に驚いたんだもの」


 懐かしい……ことはないけどそんなこともあったな。


「だけどさ、今じゃ柚希のことは本当に好きなんだよ。彼女が居ないことが考えられないくらい、それくらいに俺は柚希のことが大好きなんだ」


 この宣言も何度目になるか分からないが……けど昔の俺に出会えるような何かがあったなら自信を持って言いたい。お前が関わりたくないと思ってる子が、お前がこれから先世界で一番大切だと思う子になるんだぞって。


「息子のそういう姿を立派に思うのと同時に少し寂しくも思うわね。もうすぐ自立して、私の手を離れて生きていくんだなって寂しくなるわ」

「……それは」


 母さんは立ち上がって俺の隣に座った。両の手で俺の手を包み込み、ゆっくりと、優しく語り掛けるように言葉を続けた。


「ねえ和人。私はね、本当に幸せなのよ。あの人が居なくなって悲しみに暮れていたけど、そんな私を救ってくれたのは間違いなくあなたの存在だった。だからね、私はもう幸せでいっぱいなの。あなたがあの人の分まで私の傍に居ようとする必要はないの」

「……………」

「あ、傍に居ないでって言っているわけじゃないのよ? ただ、出来るだけ夜は私が寂しくないようにって友達との外食もずっと断っていたじゃない? そこまで私を優先しなくていいの、私はそんなに弱い女じゃないわ」

「……言ったつもりはないけど、分かってたんだ」


 友達とのこともそうだけど、以前に柚希に晩御飯を誘われた時に返事に詰まったのはこれが原因と言っても良かった。母さんが強がっているわけでも、ましてや寂しさに涙を流しているわけでもないのに、俺はずっと母さんを一人にしたくなくてそんな些細な誘いも断っていた。


「……もしかしてさ、俺って気にしすぎ?」

「うん」

「……さよですか」


 力強く頷かれてしまった。でも同時にクスッと笑いが零れてしまう。そうだよな、俺の母親はそんな弱い人じゃなかった。絶対に寂しくないわけではないだろうけど、俺が気にしすぎることこそが母さんにとっての気苦労になるのかもしれない。


「分かった。母さんの強さを信じるよ」

「えぇ信じなさい。もうお墓を前にして涙を流すようなか弱い女の時間はとうに過ぎたんだから!」

「はは、そっか」

「そうよ……ふふ」


 何だろうな、少しだけ胸のつっかえが取れたような気分だ。母さんの笑顔にこれなら大丈夫かなと、そう思った時ちょうど向こうのドアの陰から長い髪がひょこっと見えていた。俺の視線を追うように母さんもそっちに目を向けクスッと肩を揺らした。


「柚希ちゃん、そんな所に居ないでこっちにいらっしゃい」

「ひゃぃ!?」


 気まずそうに顔を見せた柚希に俺も手招きした。近づいて来た柚希の腕を母さんが引っ張り、ちょうど俺たちの間に座るように抱き寄せた。


「ごめんなさいね、ちょっと話し込んでしまったわ」

「い、いえいえ! 隠れて聞いてしまってごめんなさい!」

「謝る必要なんてないわ。ふふ、さっきのね。和人のことだけじゃない、柚希ちゃんも居てくれるから幸せも二倍なのよ」

「ふぇ!?」


 ギュッと柚希を抱きしめた母さんは嬉しそうに輝くような笑みを浮かべた。最初は困惑していた柚希だったが、母さんの嬉しそうな姿に釣られ自然を笑みを零していた。それから柚希を交えて温かな団欒が始まる。


「ねえ柚希ちゃん。和人と出会った当初は目も合わせなかったって本当なの?」

「そ、その言い方だとまるで私がカズを嫌っていたように聞こえるじゃないですか! ちょっと語弊があります!!」

「口も利かなかったとか」

「うわああああああああ!! 違うんです!! あの時はカズのことを知らなかったから……って雪菜さん分かって言ってますよね!?」

「モチのロンよ!」

「もうっ!!」


 朝から騒がしいな……でも、凄く好きな雰囲気だ。

 ポカポカと優しく胸を叩いてくる柚希の頭を撫でながら、母さんがふと呟く。


「……ふむ、柚希ちゃん。学校行ったら大変そうね」

「え?」

「何だかこう……フェロモンというか、色気が隠しきれてないのよね」

「何ですかそれ……もしかして変な臭いでもします?」

「そういうことじゃないんだけど……ふふ、まあ何かあっても和人が居るから大丈夫かしら」

「?? はい! カズが傍に居ますし私も傍に居ますから大丈夫ですよ!」


 母さんの言いたいことは何となく分かる……まあ、流石に何も起きないとは思うけど。


「ねえカズ、どういうことなの?」

「柚希が綺麗で可愛くて俺が困るってことだよ」

「も、もうカズったら!!」

「ふふ、本当に仲が良いわねあなたたちは」


 母さんは呆れつつも幸せそうに、じゃれつく俺たちを見つめているのだった。

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