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 さきほど母さんが言った学校が始まったら大変かもしれないという言葉、俺はそれを今身を持って思い知っていた。


「……ねえカズ、なんか凄い見られてない?」


 ガン見されるわけでないが、そこそこに視線を柚希は感じているらしい。あれから家を出た俺たちは街の中を適当にブラブラしていた。学校終わりのデートだと時間が限られているためどこに向かうかを決めることも多いが、昨日に続いて今日も柚希はうちに泊まるため時間はたっぷりある。そんな余裕があるからこそ、こうして目的もなく二人でブラブラしているというわけだ。


「そうだな。んで俺は睨まれてるわけだけど」


 柚希に見惚れるような目をした後に俺を見て憎々し気に見つめてきやがる。別に何かされたわけでもないけど、俺が何もしてないのにそんな目を向けられるのは心外だ。正直なことを言えば眉唾物と思っていたのだが、よく体の繋がりを持った後に女性はいつもより綺麗に見えるとかそんな話を聞いたことがあるけど……俺自身もいつもより柚希から色気を感じるため、どうやらそれは本当だったのだと納得した。


「アタシはカズにだけ見られたらそれでいいんだけどな」

「……そっか。なあ柚希、ちょっとこっち来て」


 腕に抱き着く柚希を連れて俺は路地裏に入った。


「ね、ねえカズ。何をするの?」


 何やら期待をする瞳を向けられても申し訳ない、特に何もするつもりはないのだ。ただ少しだけ、あの視線について聞いてほしいことがあっただけだ。


「実は――」


 俺が考えうる限りのこと、そして母さんが言っていた言葉の意味を柚希に伝えた。すると柚希もそう言った話を聞いたことはあったらしく、なるほどねと納得してくれた。その上で、柚希はギュッと強く腕を抱きしめた。


「それってつまり、カズから見てもアタシは凄く魅力を感じるってことだよね?」

「……そうだな。今までもたくさん柚希に魅力を感じていたのに、これ以上感じさせてどうするんだって話だ」

「えへへ……他の人の視線は少し気になるけど、カズがそう思ってくれるのなら嬉しいかな」


 綺麗な笑顔で柚希はそう言った。その笑顔に釣られるように俺も口元が緩む。けれど、どうして俺はこんなにも不安を抱いているのかを明確に理解した。柚希がどんどん魅力的になっていく、そんな中で隣に立つ俺は果たして相応しいのかって……そんなことを考えてしまうのだ。

 ……っ、いかんいかん。こんなことを考えてネガティブになるのだけはダメだ。まあでも、こんな風に悩むのは空のことを言えないな。


「……………」


 小さく首を振って嫌な思考を頭から弾き出す。しかし俺は柚希が何も言わずに静かにしていることに今更ながら気が付いた。それどころか、彼女はその綺麗な瞳で真っ直ぐに俺を見つめていた。まるで心の内を見透かすような透き通ったその瞳はこちらが吸い込まれてしまいそうで、思わず見惚れてしまったが俺はどうしたのかと聞いてみる。すると彼女は小さく溜息を吐いた。


「ねえカズ、アタシが何も分からないって思ってる?」

「……え?」


 真剣な表情とその声音に俺は動きを止めた。柚希は両手を俺の頬へ伸ばし、包み込むようにして俺との距離を詰める。後少しで互いの顔が触れ合うようなそんな距離、花のような香りが鼻孔をくすぐる。


「何回も言ってると思うけど、アタシはカズのことで分からないことってそうそうないんだよ。心が読めるわけじゃない、でもね……アタシは何となくカズの考えていることが分かるの。カズ、今何かを不安に思ったでしょ?」

「……っ」


 ドンピシャだった。

 俺の様子から当たったみたいだねと柚希は笑った。相変わらず頬から手を離してくれず、俺を逃がしてくれる様子はない。たぶん、これは俺が何を思ったのかを話すまで解放してくれないとみた。


「……………」


 ……本当に柚希には勝てない。この子はいつだって俺の心の内を見透かしてくる。見透かすとは言っても嫌ではない、そうやって想ってくれるのは凄く嬉しいことだと思っているからだ。でも同時に、彼女の瞳は不安に揺れていた……たぶん、こうして俺から聞き出そうとしている行為が俺に対して不快感を与えるとでも思ったのかもしれない。せっかくのデートで空気が悪くなるのはお互いに嫌なはず、それでも彼女は俺から不安を取り除こうとこうして我慢強く俺の言葉を待っている……あぁ本当に、この子はどうしてこんなに素敵な女性なんだろうか。


「……柚希を魅力的に思えば思うほど、その隣に立つ俺は相応しいのかってそんなことを思っちゃったんだ」


 だからこそ、全てを包んでくれるような慈愛を感じるからこそ俺は口を開いた。たぶんだけど、これは今までも無意識に俺は何度も自分に自問自答したはずだ。それでもこうして柚希に伝えたのは初めてかもしれない。

 柚希は小さく目を閉じて、そして俺に触れるだけのキスをした。一瞬だったけど少し長く感じるようなそんなキスだった。


「アタシはあまりこれっていう答えを持ってないけど……それって必要なことなのかな」


 必要……ではないと思う。その劣等感のようなものは言ってしまえばただの自己満足に過ぎない。誰かの傍に居たいと思うことに理由なんていらないし資格なんてものも必要ないのだから。でも、気にしてしまう人は少なからず居るのだろう……今の俺のように。


「アタシはカズが好きだから傍に居たいって思う。カズもアタシのことが好きだから傍に居てくれるんだよね?」

「それは……そうだよな」


 柚希のことが好き、それは間違いのない事実だ。


「資格とか相応しさとか、それを求めちゃう気持ちも分からないわけじゃないの。でも、恋人になるって資格があるからそうなるわけじゃないじゃん。ただ単純に、シンプルに相手のことを好きになったから付き合うんでしょう? 誰に何を言われたわけでもない、自分の心がその人を求めるから傍に居たいって思うんだろうし」

「そう……だな」

「悩む気持ちを否定するつもりじゃないの。ただアタシは嫌なだけ、相応しさとかそんなものでこの関係が揺らぐなんて許さない。アタシとカズの繋がりはそんなものじゃ絶対に断ち切れない、そんなに弱いモノだって思いたくないから」


 あぁ……そうだな。俺たちの関係は俺たちだけのものだ。そこに資格なんてものはいらないし、相応しいかそうでないかなんてものも必要ない。ただ傍に居たいから、好きだから傍にいるんじゃないか。ったく、こんなことで悩んでいたのが馬鹿みたいだ。


「……ふふ、笑ってくれたね。アタシが好きなカズの笑顔だ」

「あ~……その、ごめんな。変なことに時間を取らせて」

「ううん、全然いいよ。アタシとカズはこれからずっと一緒なんだから、それなら今のうちに悩みは一つずつやっつけておかないとね!」


 それは暗に……いや、つまりそういうことなんだろうな。

 さきほどまでのネガティブな感情から解放された俺はクスクスと笑みが零れた。それは俺の悩みなんてちっぽけだったんだなって気持ちと、隠そうとしても柚希の前ではすぐに丸裸にされてしまう分かりやすい内心を笑ったのだ。


「はぁ~やばいなぁ。ねえ柚希、俺本当に柚希のこと大好きだ。片時も離れたくない、君が傍に居ないと落ち着かないくらい好きだ」


 少し前の柚希ならたぶん照れてくれたと思うんだけど、たぶんもうそうはならないんだろう。そんな俺の考えを裏付けるように、柚希は大きく頷いた。


「もっちろん! えへへ、アタシもカズが大好きだもんね! でもこんなもんじゃないよ。もっともっと好きにさせてみせるから! それこそさっきの悩みなんて考える暇もないくらい、カズの頭の中をアタシでいっぱいにしてやるんだから!!」


 もういっぱいだよ……とは言わないでおこうかな。

 すっかり調子を取り戻した俺と柚希は改めてデートを再開させた。とはいっても、さっきの問答は必要なものだったと思っている。俺自身がそうなると思いたくはないが、小さな歪は時として大きくなって牙を剥く……そんなまさかもないとは限らないから。


「それにしてもカズが空病を発症するなんて思わなかったよ」

「空病って……」


 自覚はあったけど、確かにさっきのは空みたいだったかもしれない。でも流石に空病は酷いのではと思ったけど、少しして笑ってしまった。まあ確かにあいつのアレは病気みたいなものだからな。柚希も思っていたのかそうでしょと頷いた。


「みんながそんなことはないって言ってるのに、空一人だけで勝手に答えを出しちゃってアレなんだもん。あれは正真正銘病気だね。特効薬は凛が押しに押して既成事実を作るくらいじゃないかな」

「……あ~」


 何だろう、空の意思を無視するようで申し訳ないのだが……本当にそうしないと頑なに認めそうにないことも分かってしまうので否定しづらい。空と青葉さんのことを思い浮かべていた俺の腕にギュッと抱き着いて来た柚希は恥ずかしさを微塵も感じさせずにこんなことを口にするのだった。


「ま、それも時間の問題かな。だってアタシたちみたいなラブラブカップルが傍に居るんだもん。凛もその内我慢できなくなるって!」


 そう言ってくれるのは嬉しいけどそれはそれでどうなんだ?


「むしろ空のお母さんとお父さんも早く凜とくっ付いてほしいって思ってるくらいだし、更に言うととっとと空を食えって言ってるのは凜のお母さんなんだよねぇ」

「……へぇ」


 それでいいのか青葉さんのお母さん……って、おや?

 街中を柚希と共に歩いていたその時、俺は目の前に見覚えのある二つの背中を見つけた。足を止めた俺に首を傾げ、柚希も前を見てあっと声を漏らした。


「空と……凛?」

「……だよな」


 目の前で肩を寄せ合い歩く二人を見つけたのだ。二人は仲良さそうに話をしながらファミレスに入っていき……あ、そうか。そう言えばもうお昼だな。お腹が空いた気がする、そう思った俺の視界の隅で柚希がニヤッと笑った。


「コホン、和人隊員」

「……なんですかな柚希軍曹」

「あ、アタシ軍曹なの? ……じゃなくて、お昼はどうする?」

「どうするっておあつらえ向きに目の前にファミレスがありますぞ」

「ふっふっふ、だよね♪ では」

「出陣」


 ま、そうなるよね。

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