39

 さて、柚希がうちに泊まりに来ると決まった翌日のことだ。乃愛ちゃんと電話したのもあるし、その後に柚希とも電話して確信したけど……かなり楽しみにしていらっしゃる。

 だって……ねぇ?


「ふふ、ふふふ……うふふふふふ♪」

「……………」


 柚希さん、あまり他人に見せられないような顔をしているぞ……。朝合流して一緒に登校する時もそうだったけど、こうして教室に着いてからも柚希はこんな調子だ。


「……何かあったんですか?」

「気持ち悪いな」

「……ふん!」

「あいたっ!?」


 空と青葉さんが登校してきて邂逅一番やはり柚希の様子について聞かれることになった。青葉さんはともかく、空の一言はしっかり聞こえていたのか物理的な一撃が返事になったらしい。一撃が返されたとは言ってもブオンと音が聞こえただけで見えなかった……柚希、恐ろしい子!


「あはは、特に何もないよ。おはよう二人とも」

「ふむ……分かりました。おはようございます」

「……おはよう和人」


 あ、復活した。

 とはいえ、流石にやっぱりこの柚希の姿は目立ってしまうな。こうして実際に聞いてきた二人は別にしても、周りの人も普段見ることのない柚希の様子が気になっているみたいだし。


「柚希――」

「なあに? あなた♪」

「っ!?」


 ニヤニヤとしていた表情から一転し、満面の笑みでこちらを見た柚希に俺は戦慄した……何故かって? 破壊力ありすぎたからだよ今の笑顔がさ。何でもないよと一言伝えて柚希から視線を外し、前に座った空と話をしようと思ったその時だった。


「?」


 スッと立ち上がった柚希は俺の後ろに回り、そのまま俺に寄りかかるように後ろから抱き着いて来たのだ。突然のことでビックリしたし教室ということもあって周りの目が集まる。それでも柚希は全く気にした素振りは見せず、俺の肩に顔を置くようにして頬と頬を重ねて一言。


「朝礼始まるまでこうしてる~。アタシのことは気にしないでいいよ」

「……えぇ」


 いや、こんな体勢で気にするなと言うのが無理な話では……。とはいえ、だ……俺はそこでとあることを考えた。こんな風にある程度人目があるところでもこんなスキンシップが行われるのなら、夜に二人っきりになったりしたらどうなるんだ……あれ? ちょっと怖い?


「なあ和人、何かあっただろ確実に」

「……あったけどさ。人に言うことでもないし」

「ふ~ん、まあ気にはなるけど無理に聞こうとは思わんよ」


 そうしてくれると助かるよ。

 苦笑する空といまだに口元に手を当てて柚希を見つめている青葉さん、そんな二人から視線を外して時計を見ると朝礼まで後15分程度……たぶんだけど、この柚希の様子ならずっとこのままだろうな。


「……いいなぁそういうの」

「え?」


 そして、そんな小さな一言を俺の耳が聞き取ったのは偶然だったんだろう。そう呟いたのは青葉さんだけど、彼女はたぶん言葉にするつもりはなかったはずだ。現に彼女は最初驚いたようだったが、同時に俺たちを……正確には柚希を見つめるその目は羨ましそうだった。


「……………」


 たぶんだけど、青葉さんは柚希に自分を重ねているんだろうと思う。柚希が俺に甘えるように、青葉さんもまた空にこんな風に甘えられるような光景を。正直こればかりは俺たち外野が何を言っても意味がない、それこそ当人たちの問題だからだ……非常に歯痒いけどね。

 青葉さんがこんな様子だけど空はというと……。


「……ねむ」


 ……こいつは。

 まあ分かってたけどね、これが空だってことは。少し前に空のことで青葉さんが荒れたこともあったけど、その時に色々話したこともあって青葉さんの恋が上手く行くことは願ってる。けど……やっぱり大変そうだよな。

 青葉さんはチラッと空を見たが、その視線を感じないと言わんばかりにどこ吹く風の空だ。溜息を吐いて席に座った青葉さんを不憫に思っていると、そこで空がこんなことを呟いた。


「凛、週末どこか遊びに行かないか?」

「いいですよ。洋介君でも誘うんですか?」


 空からの誘い、教科書を机に入れながらそう受け答えする青葉さんだが……次に続いた言葉に青葉さんは口をあんぐりと開けて固まるのだった。


「いやなんでだよ。二人でだ」

「なるほど二人で……二人で?」

「あぁ」

「……………」


 おや、これは……。

 俺だけでなく柚希もいつの間にか見守るように話を聞いていた。しばらく呆然としていた青葉さんだったが、すぐに復活して空に詰め寄った。


「そ、空君!? 何か変なものでも食べましたか!? 熱でもあるんですか!?」

「失礼な奴だなお前は!」


 さっきの柚希よりもあまり女の子がしてはいけない表情の青葉さんだが……柚希がボソッと呟いた。


「基本出掛ける時は凛からなんだよ。あんな風に空から提案することって滅多にないから……凜だけじゃなくてアタシも驚いてる」

「へぇ」


 確かに記憶を遡ってみても空の方からこんな提案をしたのを見たのは初めてかもしれない。まあ俺の前だけでなくお互いにスマホを使って連絡を取り合うことの方が多いだろうけど、それでも柚希がそう言うのなら本当に今目の前で起きた光景は珍しい事なんだろう。


「それで出掛けるのか出掛けないのか返事を――」

「出掛けます! それはつまりデートという解釈でいいんですよね!?」

「……いいんじゃないかなそれで」

「……あなた本当に空君ですか? 憑依した別世界の人間とか言わないですよね?」

「本当に失礼な奴だなお前は!」


 うん、あのツッコミは間違いなく空だわ。それにしても、昨日は空も青葉さんも普通だったけど何かあったのか? 俺の考えすぎかもしれないけど、どことなく青葉さんを見る空の目が優しいような気もするんだよな。


「私の知る空君はもっと私の扱いが雑なんですよおおおお!!」

「それはそれでどうなのよ」


 柚希の意見に俺も賛成だ。信じられないのも分かるけど……う~ん、あの時屋上で話をした時は空の自己評価の低さが問題にも思ったけど、これって青葉さんにも少なからず理由があるんじゃないかな。まあでもこの二人も前に進めそうでちょっと安心できそうだ。


「少しは安心、できそうなのかな」

「かもな。何だかんだいいコンビだし」


 柚希と一緒に笑い合って少ししてから俺は気づいた。柚希のポジションはさっきから変わらず俺の肩に顔を置いたままだ。それが少し前のめりになるような姿勢となって俺を見つめ、更に俺も僅かに顔を横に向けたらどうなるか……本当にすぐ傍に柚希の顔があることになる。


「……あ」


 柚希も同じことを思ったんだろうか、気づいたように声を漏らし、そして目を瞑って段々と近づいてくる。柚希さん? 流石にこの場でそれはマズいのでは……そんな時だった。俺と柚希、二人の後ろから誰かが抱き着いて来たのは。


「ドーン! 二人ともイチャイチャしすぎじゃない?」

「雅!? ……っ……いったぁ」


 その正体は朝比奈さんだった。柚希の背中から抱き着くようにしているのでその重みを俺も若干感じていた。突然の朝比奈さんの襲撃で完全に気を抜いていた柚希は舌を嚙んだらしい。とはいえ大したことはなさそうで大丈夫と笑う彼女に少し安心した。


「ここは教室だぞ……ってまあ分かってるだろうけど」

「分かってるよ。おはよう蓮、朝比奈さん」


 ……あれ、洋介の姿はないのか。これはたぶん寝坊だな。そう思って蓮に視線を向けると頷いたので当たりだったみたいだ。


「……っとそうだ。蓮ちょっといいか?」

「うん? なんだ?」


 恥ずかしいことだけど蓮に聞きたいことがあったのだ。俺は柚希に離れてもらって蓮を連れて教室の隅に移動した。柚希と朝比奈さんは首を傾げながらこちらを見つめているけど、話題が話題なだけに女子に聞かれたくないんだよね。


「悩み事か?」

「悩みというか……その……だな」


 ええい、思い切って聞けよ三城和人!!


「ゴムってどうやって買うんだ?」

「……へぇ。なるほどな」


 驚くような素振りを見せず、すぐに察してくれたみたいだ。一度柚希たちに視線を向け、決して周りに聞こえないように口元に手を当てて蓮は言葉を続けた。


「別に普通に買えばいいんじゃないか? 俺たちの年齢で買うのはそう珍しくはねえぞ?」

「……ゴム下さいって言うのか?」

「いや普通に置いてあるから手にとってレジに出せば終わりだよ。コンビニでジュースとか菓子買うのと同じだ」


 ……そうだよな、わざわざ使うかもしれないのでゴム下さいなんて言う必要はないのか。けどこの蓮の口振り、やっぱり買ったことあるんだろうなきっと。


「何回か買ったことあるの?」

「雅と付き合ってどれだけ経つと思ってるんだお前は……」


 オーケー、その言葉で察したよ。よし、とりあえず持っておくに越したことはなさそうだな。蓮に礼を言って戻ろうとした時、ガシっと肩に手を置かれた。


「ま、くれぐれも気を付けてな。事が終わった後に破れてたりしたら洒落にならないからさ」

「なるほどな。そういうこともあるのか」

「あぁ……あれは実際に経験すると血の気が引くぞ。雅の両親に殺されるのを覚悟したくらいだから」

「……え?」

「まあ雅があの様子だから万が一はなかったわけだけど。そういうわけでお前も気を付けろよ」

「……え?」


 ごめん、ちょっと怖くなってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る