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「あっという間だったな……」
ボソッと俺はそう呟いた。あれから時間は過ぎてあっという間に金曜日の夕方になった。今日一日を通してもそうだし図書委員として仕事をする中でもそうだったのだが、柚希がかなりソワソワしていた。いや、柚希だけでなく俺も同じか。
そんな俺は柚希の家の前に立っている。土曜日くらいから来ると思っていたが出来るだけ長く近くに居たいということで今日からに決まった。着替えであったり他にも必要なモノを持っていくということで、このまま柚希と一緒に俺の家へと向かう予定なのだ。
「お待たせカズ!」
制服から私服に着替え、そこそこ大きな鞄を持って柚希は現れた。本来なら藍華さんや康生さんに挨拶をしたかったところだけどまだ仕事で帰ってないらしい……また時間を作ってもらって話をしたいものだ。さて、柚希と一緒に我が家に向かう道の途中にコンビニがあるのは周知のことだが、また俺たちはそこであの人たちを見た。
「……あ」
「……あの人は」
以前にもここで見た痣のある女の人、そしてその女の人を怒鳴りつけていた男だ。でも、前と少し様子が違うのは別の男性が女性を守っているということだ。明らかに遊んでいそうな男と違い、誠実そうな見た目をした男性……しかも女性の方も男性の背に隠れるようにしているのもそうだが、どこか信頼しているようにも見えた。
流石にヤバそうだったので警察を呼ぼうと思ったのだが、どうやら俺たちよりも先に居た誰かが呼んでいたらしい。相変わらず男が怒鳴り散らしていたが、警察が来たことで一先ずは安心してもいいのかもしれない。
「……先輩……先輩!」
「もう大丈夫だから。ごめんね? 気づくのが遅くなって」
知り合いみたいだな……俺にとってあの人たちは全く関りのない人たちだ。けどこうして上手く物事が収まるのだとしたら少しは安心できる。
「良かったね」
「あぁ」
もちろんこういうことになると後々気を付けないといけないことはあるんだろうけど、それはあの人たちのするべきことだろう。柚希の手を引いてこの場を離れるように家へと向かう。そして玄関に着いた時、すぁはぁと柚希は大きく深呼吸をした。
「……やっばい緊張する」
「俺も一緒だけどね」
柚希の様子に苦笑し、俺は玄関のドアを開けた。
「ただいま~」
「お、お邪魔しまひゅ!」
あ、噛んだ。
いつもよりも緊張している様子の柚希を可愛いなと思っていると、バタバタと足音が聞こえ母さんが顔を出した。
「おかえり和人。それに柚希ちゃんもいらっしゃい。待ってたわ」
「こんばんは雪菜さん!!」
柚希の親御さんはまだ帰ってなかったけど、うちの母さんは早番のためもう帰っていた。通常通りの業務だったらしいけど、柚希が来ることが決まってから無理やりにでもズラしたらしい……本当に母さんは柚希が大好きだよね。
「久しぶりね本当に」
「あはは、雪菜さんくすぐったいですよ」
ぎゅっと母さんは柚希に抱き着いた。柚希の方も嫌がっている様子はなく、むしろ嬉しそうに母さんの抱擁を受け入れていた。そのおかげか柚希の緊張も和らいでいるようで、表情も自然なモノへとなっていた。
「ささ、上がってちょうだい」
「は~い!」
何というか、こうやって家に帰ってきた時にここまで賑やかなのはやっぱり新鮮な感覚だ。柚希と結婚したりするとこんな光景も当たり前になったり……って流石に気が早すぎるだろ。訪れるかも分からない未来を一先ず忘れようと頭を振るうと、ジッと柚希が俺を見つめていることに気づいた。
「どうした?」
「あ……えっとね」
モジモジしながら柚希はこんな提案を口にした。
「あのね、少しやってみたいことがあるの」
「いいよ。何?」
要件を聞いてみないことには分からないけど、別に何を言われても断るつもりはなかった。とはいえ柚希が何を提案してくるのか分からないので何とも言えないが、母さんは俺をニヤニヤと見つめていた。そんな母さんの様子が気になるが今は柚希だ――柚希が口にした提案、それはもう一度玄関から入ってきてほしいというものだった。
「? 分かった」
一体どういうことだ? 分からないながらも言われた通りに一旦外に出て、そしてもう一度玄関を開けて中に入る。すると柚希の元気な声が響いた。
「おかえりなさいあなた!」
「……………」
一瞬だ。本当に一瞬俺の脳に不思議なビジョンが浮かんだ。今よりも少し成長した柚希が今の言葉と全く同じことを言ってくれた光景……もちろんすぐに現実に戻ったわけだけど、あぁ……これはちょっと感動するかもしれない。
「俺今凄く泣きそう。幸せ過ぎて」
「ちょ、泣かないでよ! うぅ恥ずかしいけど……えへへ、いいねこういうの」
泣きそうと言ったのは言葉の綾だから本気にしないでほしい。ポンポンとあやす様に背中を優しく叩かれ、それを母さんが微笑ましそうに見つめるというこの空間……ごめん柚希、俺も死ぬほど恥ずかしいわ。
「柚希ちゃん部屋に案内するわ。荷物を置いてきましょう」
「あ、はい!」
「布団も用意しておいたからその辺の準備はもいらないからね」
「……あ……分かりました」
「どうしたの?」
最初の返事に比べて明らかに気落ちしたような様子の柚希に母さんが首を傾げた。靴の紐を解いている俺も柚希を見ていたが、彼女は小さくこう呟いた。
「……カズの部屋じゃないんだ」
たぶんそのつもりで呟いたわけではなく、本当に自然に漏れて出た言葉だろう。しかしいくら小さい声とはいえバッチリ聞こえていた。というか俺だけでなく、母さんも聞こえていたらしい。母さんは胸に矢を受けたように蹲り、心配する柚希を他所に母さんは俺の耳元に顔を寄せてきた。
「……可愛すぎじゃない? 今のヤバかったわ……なるほどね、予定変更よ。柚希ちゃんの荷物を置く場所も寝る場所も和人の部屋よ! 異論はないわよね?」
「な、ないです……」
これ断ったらそのまま首を絞められていたんじゃないかな……とはいえ、何となくこうなる予感はしていた。嬉しいのやら困ったやら複雑だけど、俺たちの会話を聞いていた柚希が安堵したように笑みを零すのを見るとな……あれ、これって既に逃げ道が封じられたってことなのでは。
それからいつまでも柚希に荷物を持たせているわけにもいかず、俺は柚希を自室へと連れて行く。実を言うと昨日のうちに部屋の掃除は済ませておいた。別に散らかっているわけではなかったが気持ちを楽にさせる意味も込めてね。
「今日からここが私の住むお部屋かぁ……ふふ」
今日の柚希さん、一言一言が少しオーバーですね。
柚希の仕草、言葉、傍に居る雰囲気に当てられながらいつにない緊張感を感じつつ、今俺は風呂に入っていた。
「……はぁ、いい湯だなぁ」
以前は柚希が風呂に入ってくることもあったけど、今日に関しては夕飯の用意を母さんとしているということでその心配もなさそうだ……って、少し残念に思ってしまうあたりどうなのって思うけど、よく考えてみてほしい。あんな可愛い彼女が居たら誰だってそう思うのではなかろうかと俺はそう思うことにした。
「よし、そろそろ上がろう」
しっかり温まったしもういいだろう。浴室から出てリビングに向かうと、柚希と母さんが隣り合って料理を作っていた。リビングに来た俺に気づかないくらい楽しそうに話をする姿に温まった体とは別に心まで温かくなるようだった。
「そうなんです。それでカズが……あ、おかえり!」
俺に気づいた柚希が手を止めてこちらを向いた。柚希と母さんの様子から何か大事なことでも話していたのかな? そう感じさせるくらい雰囲気の良さを感じさせた。
「柚希ちゃんもお風呂いってらっしゃいな」
「分かりました! カズが入った後のお風呂……はっ! すみません、これじゃあ私ただの変態みたいで」
「柚希ちゃん。女はね、好きな人の為を思えば変態になっても許されるのよ」
「なるほど……!」
とりあえず母さん、柚希が居ることが楽しいのは分かるけど変なことを吹き込むのはやめようか。ルンルンとステップをするように風呂に向かった柚希の背を見て、俺は小さく溜息を吐くのだった。
「……もう疲れた気がする」
その呟きに母さんが笑ったのは当然のことだった。
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