38
「……………」
「カズ? 大丈夫?」
「あ、あぁ……ごめん。ちょっとボーっとしてたよ」
いけないいけない、傍に柚希が居るってのにボーっとするなんて……けど、どうやら俺が思っている以上にさっきの光景が脳裏に焼き付いているらしい。
他人のことに口出しが出来るほど偉い人間ではないし強くもない……それでも、さっきのあの男性と女性を見てからというものこう思ってしまうんだ――どうしてそんな酷いことが出来るのかって。
「柚希」
「わわっ!?」
驚く柚希の声を聞きながら、俺は彼女の体を優しく抱きしめた。突然のことだったけど、やっぱり柚希は俺の内心を察してくれたのか抱きしめ返してくれた。温かくて安心できる……こうして柚希の存在を実感できるだけで俺の心はこうも穏やかになる。
「……どうして、あんな酷いことができるんだろうって思ってさ」
女の人に対する言動もそうだが、あの薄っすらと見えた痕のようなもの……もしかしたら見間違いかもしれないと思ったが、おそらくあれは痣で間違いはないだろう。とはいっても所詮関わることはない人たちで、俺がこうして気にしても仕方ない事なんだけどな。
「アタシにも分からないかな。暴力を振るわれたり、あんな風に酷く何かを言われるのは嫌だもん」
そうだよな。やっぱりそれが普通なんだ……それは普通で――。
「でも」
「?」
「その人が……その人がどうしようもなく好きなんだとしたら、仕方ないのかなとも思っちゃう」
困ったように笑いながら柚希はこう言葉を続けた。
「仮にカズがあんな風にアタシに酷くしたとしても、アタシは離れないと思うよ。だってそれくらいアタシはカズのことが好きだもん」
柚希の目から感じるのは絶対の信頼だった。あの男のように酷いことを言っても傍に居る……柚希は確かにそう言ってくれた。けど俺はその言葉を聞いても素直に喜ぶことはできない、出来るわけがなかった。
「俺は絶対にあんな風にはならないよ。いつまでも柚希のことを大切にしていきたい。ずっと傍で笑ってほしいし、ずっと本当の意味で俺を好きで居てほしいから」
そう伝えると柚希は分かってると頷いた。
「ごめんね、変な例えをしちゃって。アタシもカズがあんな風になるとは思ってないし、何より思えないよ。だってカズ凄い優しいもん。あり得ないけど、それこそ中身が入れ替わったりしない限りカズは変わらないって確信してる♪」
柚希の笑顔に引っ張られるように俺も頬が緩んだ。そうだな、これからも俺は彼女を大切にしていきたい。この信頼を裏切らないために、俺はずっと柚希の好きになってくれた俺で在り続ける。それがきっと大切なことなんだろうと思っているから。
「さてと、いい加減帰るとしようか」
「うん。そうしよ」
柚希はいつものように腕を組んでくるけど、もうこうするのも当然という感覚になってきた。最初の内は少し歩きにくいとも思ったけど、それを帳消しにするように感じる幸せな柔らかい感触と、体を通して伝わる温もりの安心感はこうして柚希が居ないと感じることはできない。
「どんだけ好きなんだよ俺は」
苦笑しながらそう呟く。いくら小さい声だったとはいえ、柚希との距離がほぼないに等しいこの距離だ。聞こえていないわけがなかった。
「アタシもだよ」
そう返ってきた言葉と同時に、俺の腕を抱きしめる力が強くなった。
そんな風に柚希と言葉を交わしながら帰路を歩いていると、ようやくといった具合に柚希の家の近くまで来た。いつものことだが、やっぱりまた明日すぐに会えるとはいえ別れるのは何とも言えない気持ちになる。ただ、今日に限っては柚希がある提案をしてそんなことを考える暇もなかったけど。
「今週の土曜とか暇?」
「あぁ、特に何もする予定はないかな今のところは」
基本家で過ごすか買い物に行くか、柚希とデートするくらいしかない。これはデートのお誘いか、そう思ったのだが違ったらしい。
「それじゃあさ……その……お泊りに行ってもいい?」
「泊まりに……え?」
付き合っている以上、いつかはそんなイベントが来ることはあると思っていたけど……思ったより早くて俺はたぶん目を丸くしていたと思う。頬を赤くしてソワソワする柚希の様子に、早く返事を返してあげたいと思って俺はこう返事をしてしまった。
「ど、どうぞ……」
「っ! うん! 絶対に行くからね!」
困った提案をしてしまったと思わせる困り顔から一転、笑顔に切り替わった柚希を見て俺は内心どうしようと考えた。別に母さんは良いと言うだろうが問題は柚希のご両親だけど……このことを電話で伝えると、秒で許可が出たらしい。
「ふふ♪ 凄く楽しみだなぁ」
「……………」
万が一にも間違いだけは犯さないようにしよう。
そう固く心に誓って俺は柚希と別れた。隣にあった愛おしい温もりがなくなったことに寂しさを覚えつつ、俺も少し経ってから帰宅した。
「ただいま」
「おかえり」
暗くなった時間帯に家の明かりが点いていると安心する。そして今みたいに声が返ってくることが本当に幸福なことだなと感じるのは……うん、年を取った証なのかもしれない。まだ高校二年のガキが何を言ってるんだって感じだけど。
「母さん、週末に柚希が泊まりに来たいって言ったんだけど――」
どうかな、そう続けようとしたがぐわっと凄い勢いでこちらを向いた母さんにビクッとして言葉が引っ込んだ。
「もちろんいいわよ! 今から楽しみだわ。美味しい料理を作らないと!!」
思った通りの母さんの反応だった。
週末に柚希が泊まりに来るということで機嫌のいい母さんが振る舞ってくれた豪華な夕食を済ませ、風呂に入ってから部屋に戻ると丁度スマホが震えた。
この時間だと柚希かな、そう思ってスマホを手に取って見てみると柚希ではなく乃愛ちゃんだった。
「もしもし?」
『もしもしお兄さん? 愛しの乃愛ちゃんですよ~』
「やあ乃愛ちゃん、どうしたの?」
『……ちょっとくらい乗ってくれてもいいじゃん』
あ、これは本気で拗ねている奴だと見た。
「愛しの乃愛ちゃんかどうかはともかくとして、柚希の妹なんだから大切に思ってることに変わりないよ。それで許してくれ」
『……そっか。それならよろしい。……あいつもこれくらい言ってくれれば嬉しいのにな』
あいつ、それが誰を指すのか分かってしまい思わず苦笑する。しかし、こうして乃愛ちゃんが電話してくるのは珍しいな。もしかしたら……柚希に何かあったのか?
「柚希に何かあったのか?」
ちゃんと家まで送って行ったから何も起きていないはず、それでも少しだけ動揺はしていたのかもしれない。
『あぁ……まああったと言えばあったのかな。それが聞きたくてお兄さんに電話したの? ねえ、お姉ちゃんに何か言ったの? 凄い気持ち悪いんだけど」
「……はい?」
えっと……どういうことだ? 要領を得ない俺に乃愛ちゃんが言葉を続けた。
『お母さんは何か知ってるみたいなんだけど教えてくれなくて。お父さんは何か察したみたいにいつにない優しい目をしてるし……件のお姉ちゃんはでへへふへへって気持ち悪くニヤニヤしてるし』
「あぁ……なるほどね」
何だろう、それくらいに泊まりに来るのを楽しみにしてくれていると思えばいいのかな。柚希に対して微笑ましくも嬉しさを感じると共に、その乃愛ちゃんに気持ち悪いと言わしめた顔を見てみたいとも思う。
疑問に思う乃愛ちゃんに週末のことを伝えた。すると納得したようになるほどと言って、そして最後にこんな言葉を残すのだった。
『お兄さん、余計なお世話かもしれないけどゴムは持っといた方がいいんじゃない?』
「はい!? ……ごほっ……けほっ」
やばい、思わず咽てしまった。
電話先でケラケラ笑う乃愛ちゃんを恨めしく思いつつ何とか息を整えた。
『でもさぁ、お姉ちゃんのあの様子だよ? お兄さんが大好きなお姉ちゃんだよ? 夜に二人っきりになったらお兄さんにその気がなくてもお姉ちゃん……たぶん色々アピールすると思うけどなぁ』
「……………」
まだそれは早い……そうは思ってもそうならないと断言できないのもまた難しいところだ。柚希がそう思ってくれているように、俺も柚希のことが大好きなのだ。もしそんな空気になったとしたら、果たして俺は柚希に手を出さずに居られるのだろうか。うん、全然自信が持てない。
『ま、高校生だから普通だよ今の時代は。でもだからこそ、もしそういう空気になった時にちゃんと守るべきことを守れるか、それが大切だと思ったからこうして忠告したわけです。ゴムの必要性をね……ゴムの必要性をね!』
「分かったから!」
『大事なことなので二回言いました』
こいつ、明らかに楽しんでやがる!! だけど戯言だと流せない内容が内容なだけに。それからしばらく乃愛ちゃんと話をして電話は終わった。そしてすぐに柚希からも電話が掛かってきたのだが……どれだけ楽しみにしてくれているんだと思わず聞きそうになるくらい、電話先の柚希の声は明るかった。
「……薬局寄る? あれ、でもなんて言って買えばいいんだ?」
明日それとなく蓮に聞くことにしよう。
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