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 それは唐突だった。


「……え?」

「……フフ」


 俺を抱きしめるように女の子が手を背中に回す。その子はあまり話したことはないが隣のクラスの子で坂崎さんという名前の子だ。柚希のように少しギャルっぽい見た目でそこそこ人気のある女の子と聞いている。

 彼女は薄ら寒さを感じさせる笑みを浮かべて俺を抱きしめ、そして俺の顔に自らの顔を寄せた。遠目から見ればキスでもしているかのようなその光景……俺は咄嗟のことでビックリしたがすぐに彼女を引き離した。


「……カズ?」


 ドクンと心臓が跳ねた。

 坂崎さんの向こう側、俺の視線の先に柚希が居た。今日はテスト明けのお疲れ様デート、さっきまで二人で買い物を楽しんでいた。柚希がトイレに行って一人になった時、坂崎さんが現れこのような状況になってしまった。


「おいおい三城。月島さんって彼女が居るのに浮気か? 最低な奴だなお前は」


 見下すように田中が俺を指さしてそう言った。


「なあ月島さん。悲しいだろうけどこれが三城の本性だよきっと。だから――」


 田中の言葉を柚希は聞くことなく足を動かす。

 ゆっくりと俺の前に歩いて来て、口を開いて出て来た言葉は――。







 つい先日、学生にとって一番の敵であるだろう定期テストが終わりを迎えた。まだ結果が出たわけではないが、テストを終えた生徒たちはみんなやっと終わったと解放感に浸る。

 俺もそれは同じだが、今回のテストには手応えを感じていた。柚希とずっと一緒に勉強をしていたおかげか、まるで電気がピカンと光るように次々と答えを出すことが出来た。満足するようにうんうんと頷いていた俺に柚希がお疲れ様デートをしようと提案し、それに俺が頷くことで今日のデートが決まったわけだ。


「……なあ柚希」

「なあに?」


 甘く間延びするような、けれども楽しそうに聞き返してくる彼女に俺は顔を伏せながら聞いた。


「どうして俺は女性の下着売り場に居るんだ……?」

「それはもちろん、アタシの新しい下着を選んでもらおうと思って♪」


 いやいやそうでしょうよここに連れてこられてそれは予測していたさ! けど……けどそんな理由だとしても女性の下着売り場に男の俺が居るのはとんでもない場違い感が凄い。近づいた時に利用客の人にジッと見つめられたが、隣に居る柚希を見て俺を見る目は生暖かくなり……あぁこれは少し救いだったかもしれない。


「ふふ、流石にちょっとやりすぎちゃったかな。ごめんね」


 ペロッと舌を出して謝るその姿に騙される俺じゃないんだ……可愛いなおい。柚希は暫く待っててと言って何着か選んで試着室に入っていった。こうして一人だと本当に辛いけれど、そこで俺はチラッと下着の値段を見て驚愕した。


「1万7千!?」


 ……まあ確かに女性の下着は高いと聞くけどこんなにするの!? 俺が履いてる下着じゃ全く相手にならない値段だぞ。


「カズ~!」

「? は~い」


 終わったのかな、そう思って試着室に近づくと柚希が顔を覗かせた。


「もう少し近づいて」

「あ、あぁ」


 そう言われ近づくと、柚希は俺にしか見えないようにカーテンを少し開いた。その瞬間肌色をメインに黒の大人っぽい下着が目を引いて……ごめん、俺はあまりの恥ずかしさに背中を向けてしまった。


「あはは、どうだった?」

「……似合ってた」


 後エロいとも思ってしまった。

 でもこれが男子高校生なら普通の反応なのでは? ていうか、胸の谷間凄かったなぁ……はっ!? 俺は思わずブンブンと頭を振った。

 俺の反応から柚希はこれに決めたと口にしてお会計へ、財布から二万円を取り出す柚希を見て流石だなと思ってしまう。女性の買い物で男がお金を出すのは当然みたいな話を聞いたことあるけど、流石にこんな値段のお金を出すことは出来ない。


「まあアタシも高校生だし下着とか高いモノを買うときはお母さんに言うんだ。女はお金が掛かるからってことでお金くれるの。もちろん無駄遣いしたら怒られるけどね」

「そうなんだ」

「その点乃愛はあまりお金掛からなくていいなって思うの。あ、言ったらダメだよ?」


 たぶん言ったら殺されるんじゃないかな。

 どうしてお金があまり掛からないのか、少しだけ理由が分かってしまう俺も俺だけど。


「でも顔を真っ赤にしてるカズ可愛かったなぁ」

「いや、まだ俺にはハードルが高かったみたい」

「これからたくさん見ることあるんだから慣れないと……ね?」

「……うん」

「ふふ、可愛い!!」


 そう言ってギュッと抱きしめられた。いつもはこうじゃないんだけど、今日に限っては柚希に主導権を握られっぱなしだな……少し気合を入れないと。俺はパンと両手で頬を叩き気合を入れ直す。よし、少し恥ずかしさは紛れたぞ。


「あ、アタシちょっとお手洗い行ってくるね」

「行ってらっしゃい」


 柚希が荷物を置いてトイレに行ったので俺はそのままベンチに座って暫しの休憩だ。そんな時、聞き覚えのない声が聞こえた。


「あら、三城君?」

「え? ……坂崎さん?」


 聞き覚えはないがその子のことは知っていた。隣のクラスの女子で見た目が派手な子だ。休日だしこういう所だから同級生に会うかもとは思っていたけどまさか彼女とはな。クラスが違うだけで絡みが全くないなんて珍しい事じゃない。


「一人で買い物?」

「いや彼女とだけど」

「でしょうね」

「??」


 何だ? 彼女は俺の前まで歩いてきてちょっと立ってと言ってきた。首を傾げながらもその言葉に従ってすぐ、俺は彼女に背中に手を回された。突然のことで驚くと共に動きが止まる俺、彼女が顔を近づけてきたところでハッと我に返り俺は彼女を引き離した。


「フフ」


 何を思ったのか怪しく笑うその顔に嫌悪感が溢れそうになる。一体何のつもりだ、そう思って口を開こうとした時柚希の声が聞こえた。


「……カズ?」


 目を丸くして俺と坂崎さんを交互に見つめる柚希……そしていつの間に居たのか、今度は聞き覚えのある声が聞こえた。


「おいおい三城。月島さんって彼女が居るのに浮気か? 最低な奴だなお前は」


 俺を指さして田中がそう言う。田中は俺から視線を外して柚希に近づいた。


「なあ月島さん。悲しいだろうけどこれが三城の本性だよきっと。だから――」


 ……全く接点のない坂崎さんの行動、そして今の田中の言葉……何となくだけど繋がった気がする。でも俺はそんなことよりも柚希のことが気になった。田中が柚希の肩に触れようとするのを阻止するように俺が足を踏み出そうとした時、柚希はキッと田中を睨みつけた。


「っ!?」


 田中からすれば慰めるつもりの言葉だったのかもしれない、だが柚希から敵意を込められた目で見つめられて足を止めた。柚希は俺の傍まで歩いてきてクンクンと匂いを嗅いだ。


「カズ、そいつの香水の匂いキツイよね。臭かったでしょう?」

「なっ!?」


 その言葉に反応したのは坂崎さんだった。

 俺も柚希がこんなことを言うとは思っておらずビックリした。


「柚希? 今のは――」


 俺の唇に柚希は指を当てた。


「大丈夫だよ。全部分かってるから」


 そう言って柚希は振り向き田中と坂崎さんに向かって口を開いた。


「何を考えていたのか知らないけど、アタシたちにちょっかいを掛けるのはやめてくれる? 田中君、ハッキリ言うわ。アタシはあなたのことが嫌いよ」

「……あ」


 田中の顔から表情が消えた。柚希は次に坂崎さんに視線を向けると、坂崎さんは一歩後退した。


「アタシの自慢の彼氏がアンタみたいな阿婆擦れ気にすると思ってるの? 消えろよクソ女」


 柚希はそう言ってガシっと俺の手を掴みこの場から離れた。

 ……初めてかもしれない、あんな言葉を使った柚希を見たのは。田中たちの姿が見えなくなったところで、改めて俺と柚希は近くの椅子に腰を下ろした。


「坂崎さんさ、一年の頃からよく突っかかってきてたんだよね」

「そうだったの?」

「うん。基本的に他に人が居ないところでだけど」


 二年になってからはほとんど柚希と一緒だったから見たことなかったけど、そんなことがあったのか。


「ねえねえカズ、もしかしてだけど結構焦ってた?」

「……そりゃあね。不意打ちだったけど、どうしようかなって」

「ふふ、そっかぁ。でもその心配は無用ってやつだよ!」

「え?」


 柚希は俺に寄りかかるように身を寄せて来た。肩にコテンと頭を乗せて言葉を続ける。


「アタシさ、疑うよりも信じる方が大切だと思ってるの。アタシはカズのことを心から信頼してるし信じてる。だからさ、あの場面を見てもカズを疑う気持ちなんて全然なかった」


 ……正直なことを言えば、あんな些細な出来事であれすれ違いでも起きたらどうしようかと思っていた。そんな俺の不安を的中し癒すように、柚希はよしよしと俺の頭を撫でる。


「心配しなくてもいいんだよ。アタシはカズのことを疑ったりしない、ずっと信じてるから。もちろん裏切ることだってしない。アタシはいつでもカズの傍に居て、カズだけの女の子で在り続けるから」


 チュっと頬にキスをされた。

 ……やばい、少しジーンとしてしまった。ここまで想われているのが嬉しくて、ここまで信頼してくれているのが嬉しくて……柚希という素晴らしい女の子が傍に居てくれることがこんなにも嬉しい。


「……はは、ヤバいな俺。ちょっと泣きそうかも」

「胸、貸してあげようか?」

「それは恥ずかしいから今はやめておきます」

「……むぅ~!」


 そのむくれ顔可愛すぎるからやめてくれ頼むから。

 柚希の肩を抱いてもっと彼女を感じる。柚希もしっかりと抱き着くように腕を回して……そして、こんなことを口にした。


「ねえカズ、カズはアタシにとって最高の彼氏だよ」

「……そっか」

「そしてね――」

「??」


 柚希は自信を持って、俺の大好きな笑顔でこう告げるのだった。


「カズにとっても、アタシは最高の彼女でしょう?」


 その問いに、俺が頷いたのは最早当然の答えだった。

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