10

「……しっかし昨日の話は色々と衝撃的だったよ」


「あはは……相手がカズだからペラペラ喋っちゃったね」




 放課後、金曜日ということもありいつもの図書委員としての仕事だ。俺と柚希にとっての定位置であるカウンター席でお互い好きなことをして過ごしていた時、俺はふと昨日の話のことを思い出してそう口にした。柚希から幼馴染たちのことを聞いてしまったせいか今日彼らを見る目が一気に変わった気がする。特に見る目が変わってしまったのは朝比奈さんだ。




『みなさんおはようございます』




 お上品に口元に手を当てて挨拶をする彼女の姿が脳裏に蘇る。見るからにお嬢様って感じなのに、その実女子力が壊滅的とは恐れ入る……しかもまた柚希から新たな情報をもらったばかりだ。




『部屋も汚いんだよね……見ることないと思うけどビックリするくらい汚い』




 衝撃的である。ま、まあ人間苦手なモノはあるからそれも一つの側面だろう。須藤はそんな朝比奈さんが大好きでたまらないらしいし……どうやら俺が思っている以上に一癖も二癖もある連中の集まりのようだ。




「ふんふんふ~ん」




 俺の隣にピッタリと張り付いてスマホを弄る柚希が目に映る。もうあれだな、こうして彼女が傍に居ることも慣れてきた。ともすればこれが当たり前、そう思ってしまうほどに。




「……これが好きなんだよなきっと」




 柚希との電話でも言った気がするが、この何気なく刻まれた日常が好きなんだ。ふっと思わず笑みが零れる……そんな俺の頬に何かが触れた。


 ツンツンと触れた何か、それは柚希の指だった。




「……えへへ」




 何かを意図したわけでもない、ただ柚希は俺の視線が向いたことを喜んでいた。そんな笑顔の彼女を見て俺は何を思ったのか手を伸ばす。無意識に柚希がしたことと同じことしようとしたのか、それとも頭を撫でるなどと言ったことをしようとしたのかは分からない。ふと我に返った時、後少しで柚希に触れるかどうかという寸でのところで俺の手は行き場を失くしていた。




「あ~……」




 気まずい、しかも柚希の目は俺の手をロックオンして離さない。何か言ってくれれば俺としても気が楽なのだけど、柚希は何も言わずに今もずっと俺の手を見つめ続けていた。ゆっくり動かせば目線も動き追ってくる……仕方ない、何とか誤魔化して腕を引っ込めようとしたその時だ。


 優しく柚希の手が俺の手を包み込んだ。そしてそのまま彼女は俺の手を自身の頬に当てるように導く。




「柚希?」


「……ふふ、温かいね」




 そう言って柚希は夢中になるように頬で俺の手の感触を味わっていた。


 ……さて、そのように柚希が嬉しそうな表情でスリスリとしているわけだがここは図書室である。つまり利用者が居た場合俺たち二人に声を掛ける存在が居ると言うことだ。




「……あの」


『っ!?』




 小さな女の子の声に俺たちはさっと離れた。


 視線を向けた先に居た女子はおそらく後輩、彼女はどうやら本を借りたいらしい。




「えっと……あはは……本に挟まっているカードを貸してください」




 顔を真っ赤にしながら柚希がそう催促すると、後輩女子はおずおずと言う通りにする。貸し出しカードが柚希に渡り、そしてそれを受け取って俺が処理をする中後輩女子の視線は俺と柚希を行ったり来たりしていた。




「はい。期限は一週間なので忘れないでね」


「分かりました……失礼します」




 後輩女子は頭を下げてそのまま出口へと向かい、最後にまたチラッと俺たちを見て姿を消した。柚希と揃って暫く廊下への出口を眺めた後、どちらからともなく苦笑が漏れた。さっきので懲りたと思いきや、また柚希は俺と肩が触れ合う距離で椅子に座り耳元で呟く。




「見られちゃったね。カズとイチャイチャしてたの」


「……この場合何て答えればいいのか分かんないだけど」


「見せつけてやろうぜとでも言えばアタシが喜ぶよ」




 ニッとはにかみながら言われてもそれは俺にはハードルが高すぎる……空気を変えるように咳払いをして視線を逸らすと柚希はクスクスと笑っていた。その笑い声に一瞬ムッとしたのもあったのだが……彼女のこちらを見つめる視線があまり柔らかく優しい眼差しだったので文句を言う気も失せてしまう。


 そんな風に二人で過ごしていると時間もいい頃合いになってきた。


 利用者も完全に居なくなり戸締りをしようかというところ、最後の仕事として返却された本を棚に戻す仕事がある。俺と柚希は手分けをして整理をし……そして最後の最後で事件が起きた。




「よいっしょっと……」


「無茶するなよ?」


「だいじょう……ぶ! アタシでも届くから……っ!」




 図書室の本棚はそこそこ高い位置にあるのも多い。だから今目の前で柚希が小さい梯子に立ちながら精一杯腕を伸ばして本を棚に入れようとしていた。俺が代ろうと口にしたのだが、柚希はもうこれで終わりだからと譲らなかった。


 ……正直嫌な予感はしていた。




「あ、入った……っ!?」




 無事に本を棚に入れることが出来て安心したのか気を抜いたその時だった。ぐらっと柚希が体勢を崩したのだ。俺は彼女を受け止めるように倒れると思われる位置で待ち構えたが、柚希の体を抱き留めたと同時に俺自身も耐え切れずに倒れてしまう。




「ッ……」




 背中から倒れたことでじんわりと鈍い痛みが広がる。幸い頭は打ってないから大事はないだろうと安心した。そして腕の中にいる柚希もまた俺がクッションになったおかげで怪我はないはずだ。


 ……さて、ここまでならお互い怪我もなくてめでたしめでたしで終わるところだ。だがここで俺は気づいてしまった……抱きしめるように背中に回った右手はまだいい。問題は左手だ――ふにょんと、思わず何度も揉みたいと思わせるような柔らかい感触があった。




「いつつ……あ! ごめんカズ! アタシが無茶したから……」




 ……最低な考えかもしれないけどどうにか気づかないでほしいと思った。そのまま心配してくれて触れずに終わってくれと……しかし悲しいかな。柚希は自身の胸に何かが触れていることに気づいたのかゆっくりと視線を下に向ける。そして俺の掌が柚希の胸に押し当てられているのを見てしまった。




「……~っ!?」




 一瞬で顔を真っ赤に染め上げた柚希は涙目だ……この瞬間俺は終わったと思った。ここまで積み重ねた彼女との時間が全て終わってしまうのだと。半ば諦めた心地で平手の一発くらいは覚悟しようか、なんて気持ちになりながら起き上がり俺は柚希に謝った。




「ごめん柚希! 本当にごめん!」




 経緯はどうであれ女の子に無用の羞恥を抱かせてしまったのは俺の失態だ。どんな言葉でも受け止めよう、そう思っていたけど彼女から伝えられた言葉は俺の予期せぬ言葉だった。




「謝らないでよ。それよりカズは大丈夫? 背中から倒れたでしょ?」




 柚希は俺の背中に手を回して優しく撫でながらそう口を開いたのだ。まだ少し頬は赤いけど、それでも彼女が俺を見つめる目には確かな心配の色が見て取れた。柚希の心配を少しでも軽減出来るようにと俺は大丈夫だと大げさに動いて見せる。すると彼女は笑顔を浮かべながら良かったと言ってくれた。


 そして、先ほどのことに関しても気にしないでと言葉を続けた。




「確かに恥ずかしかったよ? でもカズはアタシを助けてくれたんだから文句なんて言えないよ……ううん、カズだから元より言うつもりもないかな。恥ずかしかったけどさ……同時に少し幸せな気持ちにもなれたから」


「……それは」


「ねえねえ」


「?」




 柚希は先ほどまで浮かべていた恥ずかしさを思わせる表情を引っ込め、いつもよく見る俺を揶揄うような表情になってこう言って来た。




「アタシの胸の感触はどうだった?」




 ストレートなその言葉に俺は一瞬にしてさっきのことを思い返してしまった。背中の痛みなんて吹き飛んでしまうほどの至高の感触、柔らかくもあり大きさもあるから指が沈む感覚も鮮明に覚えている……そこまで考えた時、柚希が俺の胸にトンと指を置いて囁いた。




「えっち」


「……申し訳ない」




 素直に謝っておこう。しかしこれは許されたと思っていいのだろうか? いつも俺の考えることに気づく鋭さ、それはこの時もしっかりと柚希に働いていた。




「不安そうな顔をしないで。アタシはこんなことでカズを嫌いにならない……というか寧ろその……コホン、えっとね。本当に気にしないで? これまでと変わらずにね……お願いだから変な気を遣って距離を取るとかしないで」




 最後の方は縋るように俺の手を握りながら懇願するようだった。


 悩んでいたのが馬鹿みたい……なんて言うつもりはないけど俺からそんなことをするつもりはない。昨日の電話でも言ったからな――柚希が望んでくれる限り傍に居るって。




「距離を取ったりしないから安心してくれ。でも謝らせてはほしい、本当にごめん」


「うん! 許します。だからこのことはこれで終わりね? これ以上はもう少し関係が進んでから……あぁ今のなし!」


「お、おう……」




 結局それから俺と柚希はぎこちないながらも戸締りを終えて学校を出た。帰路を歩く中いつの間にかいつもの空気に戻りお互い何の気負いもなく会話をしていた。


 ……それにしても。




「……ふむ」




 思わず左手をわしわしと動かす……仕方ないじゃん? 男子高校生だもの。




「カ~ズ~?」




 ジト目であるがすぐに笑顔になる彼女と共に、今週がまた終わりを告げるのだった。


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