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今思えばその話声を聞いたのも偶然だった。
『ねえ、月島さん流石にマズくないかな?』
『だよね。青葉さんたち呼んでこよう』
そう言って二人の女子が俺の前を通り過ぎて行った。二人の様子は何かを心配し焦るようなモノ、そして聞こえた月島という名前に一人の女の子を思い浮かべる。
月島柚希、同じクラスの子で男子にも人気の女子だ。
普段話したことはないしこのまま帰ろうかとも思った……けど、何故か俺は気になってしまった。だからさっきの二人が来た方向へ足を進めたんだ。進んでいくとあまり教員の目が届かない陰、そこに月島と男子生徒の姿があった。
『なあ月島さん、どうすれば付き合ってくれるんだ?』
『だから最初から付き合わないと言っています。いい加減にしてください』
……一目でめんどくさい場面に遭遇したなと直感した。
目を合わせずに拒絶する月島、そんな月島の態度にピクリと眉を動かしたのはおそらく先輩だろう。それからも付き合ってくれ嫌ですという流れが続く。嫌と言われてるんだから諦めろよ、なんて先輩に対し思っていた時だった――先輩が月島の腕を掴んだんだ。
『いい加減にしろよ!』
『っ……離して!!』
激昂する先輩に流石の月島も危機感を感じたのか声を荒げる。しかし男子の力に女子の力が敵うはずもなく、月島は先輩から逃げることが出来ないでいた。……そこまでだった。俺は咄嗟に飛び出して先輩の腕を叩き月島から離す。
『……あ』
『何だお前は?』
月島と先輩の間に体を割り込ませ、背後に月島を庇って先輩を見る。
……どうして首を突っ込んだのだろうか、後からめんどくさいことになるのは分かっていたのに。そんな想いが頭の中を駆け巡った結果、俺は見て見ぬ振りが出来なかったのだと答えを出した。例え絡みが薄くて月島が俺を名前程度しか憶えていないくらいだとしても、目の前でこんな場面を見つけて知らんぷりをするほど俺は薄情者ではなかったらしい。
『先輩、彼女嫌がってるじゃないですか。素直に諦めましょうよ』
『関係ないだろお前は。外野は引っ込んでろよ』
胸倉を掴まれそう言われる。流石に一発くらいは殴られるのを覚悟した。学生でありそこそこの進学校である以上喧嘩はマイナスが大きい。だから逆に一発もらって相手を追い込むなんてのも考えた……でも一番は、例えどんなに殴られたとしてもこの場を動くつもりはなかった。せめて月島の幼馴染たちが駆け付けるまでは。
『三城君……』
後ろから不安そうな月島の声が聞こえた。
どうせならこうしている間に逃げてくれるのも良かったんだけど、どうやら月島は動くつもりがないらしい。それはそれで困ったけど、先輩の前から逃げないで頑張れる力にはなると思ったんだ。
結局、その後すぐに幼馴染たちが駆けつけて無事に事なきを得た。
俺はそのまま静かに消えようと思ったけど、月島に声を掛けられて足が止まる。
『待って三城君! 助かったよ、本当にありがとう!』
ありがとう、助かったわ……なんて澄ました感じに言うと思ったのにその必死な様子に俺は月島のもう一つの顔を見た気分になった。見た目が派手で苦手に思っていたけど、それだけじゃないんだって思える切っ掛けになったんだ。
それから月島と言葉を交わす時間が増えて行った。
『おはよう三城君!』
『ねえ三城君……アタシちょっと教科書忘れちゃってさ。見せてくれないかな?』
『三城君は部活はやらないの? 委員会とかどうする?』
そんな風に何の変哲もない会話だけど、確かに月島と話をする時間は多くなったのだ。
クラスでは話をすることが増え、委員会も同じとなれば必然と二人での時間は増えていく。そうなると俺も月島をどこか特別に思うようになるのも時間の問題だった。
『ねえ三城君……そのさ』
『どうしたんだ月島』
『そのね……そろそろお互い親しくなったわけだしさ。呼び方とか変えない?』
『呼び方……っていうと名前でってこと?』
『……うん』
心底恥ずかしそうに俯いた月島、たぶん俺も恥ずかしかったと思う。
それからだった。俺が彼女を柚希と呼んで、柚希からカズと呼ばれるようになったのは。渾名みたいだねって言うと、こっちの方が親しい感じがして好きとのこと。名前呼びをする仲にはなったが、それはあくまで二人の時だけでクラスではあまりそう呼ぶことはなかった。ただ名字を呼ぶと不貞腐れたり反応が薄かったり、果てには名前呼びに戻されたりとそんなことも増え、クラスの男子からは一体何をしたんだと質問されたことも多かった。
『アタシさ、カズと一緒に過ごす時間が好きだよ』
月島……柚希は容易にこちらの懐に入り込んでくる。でもそれは決して不快ではなくて寧ろ心地よさを感じるモノだった。認めないといけない……俺も柚希と一緒に過ごす時間が好きになっていたんだ。
知り合う切っ掛けには正直良いモノとは言えない、でも俺は柚希と巡り合わせてくれたことに感謝している。出来ることならこれからもずっと、彼女と同じ時間を過ごせるようにと願うのだった。
「……っ!」
何かが頬に触れて俺は目を開けた。
「あ、やっと起きた。ふふ、おはようカズ」
「お、おはよう……?」
俺の顔を覗き込んでいた柚希の顔があまりに近くて少し動揺してしまう。彼女の顔が思いの外近くにあったことですぐに脳は覚醒した。目を擦りながら辺りを見回すと既に夕日が見えている……なるほど、段々と思い出して来たぞ。
終礼を終えてあまりに眠かったからそのまま鞄を枕に寝たんだった……というか柚希はどうして残っているんだ?
「カズが起きるまで待とうかなって。結構遅くなったのは予想外だけど」
……そうか、待ってくれていたんだな。
「置いて帰ってもいいし何ならたたき起こしてくれても良かったんだけど」
「気持ちよさそうに寝てたから起こすのもね。カズの寝顔を眺めることが出来たから役得っていうのもあるしそれに……待っていたかったの」
「……そうか。ありがとな」
「うん」
……本当に優しい子だ。
なあ過去の俺、お前がビクビクしていた女の子がこんなにいい子だなんて想像出来たか? たぶん無理なんだろうなと人知れず苦笑する。
荷物を纏めて立ち上がると、柚希も鞄を肩に掛けて俺の隣に並んだ。
「帰ろうか」
「そうだね」
今日は委員会もないのでそのまま帰る……まああったら寝てないんだけど。
二人揃って下校するとそこそこに視線が集まる。意図しなくても男女二人が並んで帰っていると視線を向けてしまうようなモノだろうか。陸上部の面子が走っていてすれ違うたびに柚希を見ては俺を見るという構図だ。
「ねえねえ、そう言えば何か夢でも見てたの?」
歩いている時柚希にそう言われた。
「なんか寝言で月島ってアタシの名字言ってたし」
「……マジで?」
「マジで」
……何となく覚えている。
俺と柚希が話をする切っ掛けになった時のことだ。あの時のことをそう掘り起こすのもあれだしな……とりあえず濁して誤魔化すことは出来た。
柚希は気になっていたようだが、俺の意を汲んでくれたのかそれ以上追及することはなかった。
「カズ、手繋がない?」
「……繋ぐか」
手を繋ぐ、それも柚希との間では慣れたものだ。
お互いに少し冷たい手、でも不思議な温もりを感じることが出来る。ギュッと握られる小さな手、俺も心なしかいつもよりも少しだけ強く握り返した。
「……ふふ、幸せ」
……そんな小さな呟きは聞かない振りをした。
夕焼けに染まる街並みを歩く……チラっと見た柚希の顔が赤いのは夕日のせいかそれとも……まあこれについて考えるのはやめよう。何故ならたぶん、俺も彼女と同じように赤くなっていると思うから。
「……あれ、お姉ちゃん?」
そんな呟きは最後まで、俺と柚希には届かなかった。
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