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 昼休みを目前にした授業、猛烈な眠気と僅かな空腹に襲われていた。空腹は別にどうでもいいのだが、この眠気だけは抗いがたい。少しでも気を抜けばすぐに夢の世界に旅立ってしまいそうだ。


「……こいつは」


 目の前に座っている空は既に船を漕いでいた。コクリコクリと頭が上下しているが幸いに先生には見えていない。眠くなる魔力でも込められているのではないかと言わんばかりに、授業を受けている俺たち学生にそののんびりとした口調をこれでもかと届けやがる。

 次第にボーっとしてきた頭、もしかしたら視線はあらぬ方向を向いているかもしれない。そんな風に我慢の限界が来そうだったその時、何かがツンツンと俺の手の甲に触れた。


「ほら、もう少しだから頑張れ」

「……うい」


 痛くない程度にシャーペンの先っぽを突き出しながら柚希にそう言われた。完全に眠気が飛んだわけではないが、それでもいきなり他人に話しかけられれば嫌でも起きるというものだ。柚希に感謝しつつ再び黒板に視線を戻した。

 ……チラッと、俺は柚希を盗み見る。

 彼女は綺麗な姿勢で黒板と自分のノートに視線を行ったり来たりさせてペンを動かしていた。柚希は派手な見た目のわりには品行方正である。まあある意味でこれもかつての俺の恥じるべき思い込みでもあったわけだけど、授業中にしろそうでないにしろ柚希はとても真面目な生徒なのだ。


「……?」


 ずっと見続けていたせいか柚希が俺の視線に気づいた。学生生活を経験している人ならこうして不意に視線が絡み合う経験はそれなりにあるだろう。だからこそこの時の気まずさもある程度は理解してもらえるのではないだろうか、ハッとして目を逸らすのもあれだと思い俺はこんなことを口にした。


「やっぱり柚希は真面目だよな」


 ……やっぱり真面目って何だよ。

 そんなツッコミを自分で心の中でしてしまった。すると柚希は一瞬唇を尖らせたが、何かを理解したのか「あっ」っと小さく声を出してクスクスを笑みを浮かべた。


「アタシをジッと見てて不意に目が合ったから思わずそんなことを言っちゃった感じ?」

「……なに、君はエスパーなの?」


 鋭い鋭くないのレベルじゃないでしょこれ、俺は思わずそう言った。柚希はそんなことないよと前置きして言葉を続けた。


「何となく分かるんだよね。ほら、アタシとカズって結構長い付き合いじゃない? だから何でか分からないけど、こういうこと考えているのかなって分かるんだよ」


 ごめんなさい、俺には君の考えは分かりませんけども。

 でも確かになと思う。高校に入学して二年になった今、柚希と知り合ってから一年と少しが経つことになる。もちろん俺と柚希に最初の内は接点なんてなかったけど……なるほどな、確かに短いように思えて長い時間かもしれない。


「クラスメイトとしてもそうだし委員会でも――」


 そこで授業終了のチャイムが鳴った。

 短い号令を終えて先生が出て行き、一気に授業の静けさから解放されるように五月蠅くなった。そのまま机をくっ付けて弁当を広げる者、食堂に向かう者様々だ。俺は自然な流れで空と対面になるように机をくっ付けた。

 お互いに弁当を取り出していざいただきます……っと行こうとしたところ、こちらをジッと見る二人の姿があった。


「……………」

「……じー」

「じーって声に出すなよな」


 お弁当を持ったままこちらを凝視する柚希と青葉さんだった。もちろんクラス内でも人気の二人がこうしてジッとしていると周りから視線が集まるのは仕方ないのだが……仕方ないか、俺と空は頷き合った。


「一緒に食べようか」

「どうぞ」


 そう言うと二人はパッと笑顔になって机をくっ付けてきた。

 空の隣に青葉さん、俺の隣に柚希が来るような形だ。二人とも弁当箱を取り出して中身を開く……別に見るのは初めてじゃないけど、なんかこう女の子のお弁当って感じがして新鮮だ。


「そう言えばカズのお弁当ってお母さんが作るの?」

「だね。毎日感謝してるよ」


 毎日仕事があるのに朝早く起きて弁当を作ってくれる母さんには本当に感謝している。そうだな……今度何かプレゼントでもしよう。母さんが喜んでくれそうなものって何だろうか。


「……ふふ」


 母さんへのプレゼントを思い浮かべていた時、ふと隣で柚希が笑った。俺がどうしたのかと思って視線を向けると、彼女はどこか優しい眼差しで何を思ったのかを教えてくれた。


「カズってお母さんのこと大切にしてるんだなって思ったの。凄い優しい顔してたよ?」

「……確かに母さんのことは大切だけど、面と向かってそう言われるのは照れるな」

「凄くいいことだよ。そうやってお母さんを大切にするカズ大好き」


 ……本当にこの子はこういうことを普通に言うから困る。

 俺は食べることに集中するようにおかずに手を伸ばした。そんな中、空と青葉さんがふと口を開いた。


「柚希は本当に三城君のことが大好きなんですねぇ」

「時間あればいっつも話してるもんな」

「ちょ、ちょっと二人とも!?」

「……へぇそれは気になりますなぁ」


 さっきの意趣返し、というわけではないが俺は慌てる柚希に視線を向けた。実を言うと俺自身も俺が居ないときに柚希がどんなことを話してるのか気になる……あれ、悪口とかじゃないよね? 咄嗟に不安になった俺の表情で気づいたのか青葉さんが大丈夫ですよと口にした。


「悪いことは何も言ってませんよ。寧ろとても良いことですね。ね? 柚希」

「……あぁ……その……ね……うん」

「……なんだこの可愛い生き物は」

「和人、声に出てる」

「あ、あう~……」


 小さく縮こまった柚希にごめんと一言口にした。流石に揶揄いが過ぎたかもしれない、そう思って謝ったけど柚希は首を振った。


「別に謝ることじゃないよ……うん、少し恥ずかしかっただけだから」

「そうは言うけどさ」

「本当に大丈夫なの。ありがとカズ、ほんとそういうところだよ」


 まだ少しだけ顔は赤いけどぎこちない笑みじゃない、いつも通りのようで安心した。さて、こんな風に弁当を食べながら四人で話をしていたわけだけど、俺としてはこの幼馴染の集まりに他の三人は何も言わないのか気になっていた。

 その疑問を口にすると柚希がまず答えてくれた。


「蓮と雅は中庭じゃない? あの二人付き合ってるから。洋介は食堂かな、あいつ食堂で食べるご飯大好きだから」

「へぇ」


 ちなみに順に説明すると、残りのキラキラ幼馴染で須藤蓮と藤田洋介が男子で朝比奈雅というのが女子だ。というか俺は今初めて須藤と朝比奈が付き合っているというのを知った。でもそうだよな、あの二人結構一緒に帰ってるの見たことあるし。


「洋介は食堂のメニュー制覇するって言ってたから暫くはあっちかな」

「本当に馬鹿な挑戦ばかりしますよねあの人」


 イケメンなのに結構面白そうな挑戦するんだね、ていうか辛辣な青葉さんに苦笑してしまう。けれどやっぱりというか、お互いに幼馴染の話をすると雰囲気が柔らかくなるんだな。俺一人だけ幼馴染でもなんでもないけど、こういう繋がりは少し羨ましくも思う。


「仲が良いんだな本当に」


 本当にそう思う、素直に思ったことが口に出た。


「ずっと長い付き合いだから仲は良い方だと思う。喧嘩もする時はあるけどね」


 今日の朝みたいにめんどくさそうな表情をすることはあっても、やっぱり空にとっても幼馴染たちとの繋がりは大切なんだろう。その表情を見れば誰だって理解できる。

 空の言葉に頷いた青葉さん、彼女は再びこの空間に爆弾を巻いた……。


「柚希は三城君との時間をもっと作りたいみたいですけど」

「……っ!?」


 飲んでいた麦茶を噴き出しそうになった柚希だった。げほげほと咳をするその姿に流石に青葉さんも悪いと思ったのか素直に謝った。そしてどうすればいいのか分からない俺と空が顔を見合わせ、次いでそんな俺を柚希と青葉さんが見つめた……え。

 空と青葉さんは別にいいとして、柚希が見つめてくるのが何ともむず痒い。しかも今の咳のせいか微妙に涙目なのも更に何と言うか……気まずい!


「……あ~」


 ……まあでも、別に誤魔化すことじゃないのかもしれない。

 俺自身柚希のことは好ましく思っている。何様だって言われるかもしれないけど……まだ自覚というか、一歩が踏み込めないんだ。臆病だから……俺は。だけどそれでもどんなに恥ずかしくても、どんなに気まずくても言葉を濁してはいけない瞬間ってのはあると思うんだ。


「俺も柚希と過ごす時間は好きだ。うん、本当に楽しいっていつも思ってる」

「あ……えへへっ!」


 満面の笑み、こんな笑顔が見たいと思うのも少なからず彼女を想っているだからだろうか……。確かに恥ずかしい、頬は沸騰しそうなくらい熱いけれど嫌じゃない……うん、嫌じゃない。


「こういうことですよ空君。空君も三城君を見習ってください!」

「どういうことなんだよ!」


 そして始める夫婦漫才、俺と柚希はじゃれ合う二人を見て笑っていた。


「始まったなぁ」

「始まったねぇ」


 そう言って二人で笑い合う。

 いつもより距離は近くて肩が触れ合うような近さだったけど、あまりの心地よさにそれを気にすることはなかった。


「カズ」

「?」

「ありがと、そんな風に考えてくれて」

「……ううん。素直に思っていたことだから」

「そっか。うん、アタシも同じだから」


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