来世は絶対可愛い教

入江弥彦

って言ったら信じる?

 首吊り自殺というのは、縄を使わなければいけないと思っていた。



「なにしてるの」



 篠田、と彼女の名字を続けて呼んだつもりだったのにかすれて声が出なかった。今日一日ほとんど話さずに過ごしたせいで、声の出し方を体がまだ思い出していない。


 いつもは誰かがいることなんてない場所で油断していた。意外な人物の予想外の姿を見て息が詰まる。


 屋上に続く扉に結び付けたタオルに首をかけて座っていた篠田が、見たことがない顔をした。苦虫をかみつぶしたような、というのはまさにこういうことを言うのだろう。



「なんだと思う?」



 言い訳を考えながら百面相していた彼女は諦めたのか開き直ったのか、質問を質問で返してきた。不躾な僕の質問を軽蔑するようなぶっきらぼうな言い方は、普段の彼女からあまり想像できない。コホンと喉に絡まる空気を外に出してから、僕は口を開いた。



「首吊り、自殺?」


「勘がいいのね」


「勘がいいっていうか、見たまんまだよ」



 ふうんと言って立ち上がった篠田はタオルをほどいて綺麗に畳むと、横に置いていたスクールバッグの中にしまった。


 自殺というのはとても決心がいるものだ。たくさん考えて、思い詰めて、それでよし死のうとしたときに僕が来た。そう考えると、彼女の人生の大きな分岐点を邪魔してしまったのではないかと思う。人生の分岐点、というよりはピリオドという感じだけれども。



「死なないの?」



 階段を降り始めた篠田の背中に声をかけると、彼女は立ち止まって振り返った。肩口で切りそろえられた髪が彼女の動きに対応して綺麗に広がる。左の涙ぼくろが特徴的な大きな瞳が僕の意図をはかるようにじっとこちらを見つめた。



「邪魔をしたかと思って」



 言葉を続けると、少し考える仕草をした篠田が再度階段を上って一番上に腰掛ける。自分の隣を手のひらで叩いて僕に座るように促した。スクールバッグ一つ分の距離を開けて篠田の隣に座ると、彼女は制服が汚れるのも気にせず埃の積もった床に寝転がる。


 彼女の下の名前はなんと言ったか。皆からシノちゃんと呼ばれる彼女の名前を聞いたことがないわけではないと思うが、残念なことに記憶には残っていない。甲高い声と下卑た声が脳内でシノちゃんシノちゃんと繰り返す。



「篠田、僕の名前知ってる?」



 彼女もきっと僕の名前など知らないだろう。



「知ってるよ、佐山くん。佐山由樹くん。ヨシキじゃなくて、ユキでしょ」



 同罪の意識で薄めようとした罪悪感が彼女の言葉でより一層強くなる。 



「勉強したもの、クラスの人のことは」


「勉強?」



 人の名前の話題に似つかわしくない単語に首をかしげる。



「いい子にならなきゃいけないから」



 なりたいから、ではない。ならなきゃいけない。


 義務にも呪いにも思える言い方に強烈な違和感を覚えて彼女を見下ろす。大きな目に小さな鼻と薄い唇。きめ細かくて白い肌にまつげが影を作りそうだ。誰が見ても美少女の彼女は、眉間に深いシワを寄せていた。



「そういう顔になるよ」



 自分の眉間を指さすと、彼女は一層不快そうに顔を歪めた。



「なったら佐山くんのせいよ」


「クラスでの印象とずいぶん違うけど、それが篠田さん?」


「ねえ、クラスでの私の印象ってどんなの?」



 次の話題に興味を移した彼女からはシワが消えて、瞳に好奇心が宿る。口元はきゅっときつく閉じていて、少しの緊張を伺わせた。



「いい意味で目立ってる、かな……」



 教室での彼女の様子を思い出す。誰にでも分け隔てなく笑顔で接して、機嫌の悪いところなんて見たことがない。人が嫌がりそうなことも積極的にこなす。美少女に対してありがちな同性からの反発が少ないのは、容姿を鼻にかけずに気さくな態度をとっているからのように思う。男女問わず仲がいいが、異性とは一線を引いている。



「私っていい子かな?」



 そう、一言で例えるならそれだ。いい人や善人という表現は似つかわしくない。 ふと、彼女の名前を思い出す。ご両親は篠田がこう育つことを見越していたのかと思うほどそれらしい名前だった。澄み渡るような性格に、美しい一輪の華。 篠田澄華という女は、とにかくいい子なのだ。



「そう見えてたけど」



 先ほどの行いと、今の表情や行動を除けば。



「今は見えない?」


「いい子なだけじゃないんだなとは思った」


「難しいね、いい子になるって」


「いい子になりたいの? なんで?」



 彼女が照れくさそうに両手で口元を隠す。自然にほころぶ、恍惚としたとも言える表情は初めて見るものだった。



「だって、神様がそう言ったんだもん」



 クスクスと笑って、それから急に真面目な顔で僕を見上げる。



「って言ったら、信じる?」



 恋に落ちる瞬間がこんなにも残酷なのだと語ったら、彼女は信じるだろうか。

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