第1話 黄昏

くっつけた3つの机の上に、カラフルな勉強道具が散らばっている。友達は勉強会と言って集まっているのに教科書には目もくれず、好きな俳優の話に花を咲かせている。

私はみんなの話に相槌を打ちながら、そっと窓に目を向ける。今日は秋晴れ、という言葉をそのまま現実にしたのではないかと思えるくらいに見事に晴れていて、柔らかな太陽の光が教室を明るく照らしている。


そんなのどかな日差しの中、友達は「どっちの推しがイケメンか」について激しく議論している。

「サエはどう思うの?」

やはり、私にも矛先が向かってきた。

「う〜ん、どっちもイケメンだと思うけどなぁ。」

当たり障りのない言葉で返し、私は席を立つ。

「ちょっと飲み物買ってくるね−」

「はーい」

「いってら〜」

みんなが口々に返事をする。

私はクラスメイトを避けて、教室を出た。


廊下を出ると、放課後にもかかわらず、多くの人が行き交っている。

私はスタスタと自販機へと向かていく。

途中、知らない男子生徒と一瞬目が合った。つい、ふっと目をそらしてしまう。

私はなるべく人と目が合わないように速く歩いて、自販機の前に着く。ありきたりなお茶を買って、その場を後にする。

そのまま教室に戻ろうとも思ったが、なんとなくその気にならなくて、ちょっと寄り道することにした。

屋上にでも行ってみようかなぁ。


階段を登っていくと、だんだん人の数が減っていき、辺りが静かになった。

埃っぽい階段には足跡がわずかにあるくらいで、人がいる痕跡はほとんどない。

私は屋上へと続くドアに手をかけ、開けようとする。しかし、鈍い金属音が響くだけで、開くことはなかった。ちょっと残念だ。


私はドアのすぐ横で体育座りをした。電気のついていない踊り場は少し薄暗く、ぼーっとしているのに丁度良かった。

さっきの勉強会、卵焼きが少し焦げていたお弁当、先生が生徒の名前を呼び間違えた午前中の授業、あれはちょっと可愛そうだったよなぁ。

様々なことをぼんやり思い出していく。


「ねぇ君、ここで何してるの?」

急に声をかけられ、慌てて声のした方を見る。

くりっとした二重の目に白い肌。まだ少し幼さの残る端正な顔が、不思議そうな表情で私の顔を覗いている。

「うわぁ!」

思ったよりも近くにあった顔に驚き、思わずのけぞってしまう。

ゴンッ!と、私の頭が壁にあたった音が踊り場に響いた。

「だ、大丈夫?」

彼が怪訝そうに聞いてくる。

「だいじょうぶです……」

頭をぶつけた痛さと恥ずかしさに悶ながら、小さな声で答える。赤らむ顔を見られないように、三角にたたんだ足の膝に額をぐぐと押し付ける。彼はそんな私を見て、ぷっと吹き出した。

「くははは!君、面白いね!」

よく響く、はつらつとした笑い声だった。彼の反応にびっくりして顔を上げると、彼がお腹を抱えてこちらを見ている。

「あ、ごめんごめん。」

彼はすっと背筋を伸ばし、私に尋ねた。

「君はなんでここに?」

「えっと、屋上に行きたかったんですけど……。」

「あぁ、ここの屋上、生徒は立入禁止だからねぇ」

彼はそう言ってうーんと言いながら顎に手を当てる。

彼の肩には大きめな麻のカバンが下がっている。あれは一体なんだろう……。

ボーッと彼のことを見ていると、彼は小声で「うん!」と言って、こちらを向いた。

「ねぇ、他の人には内緒だよ?」

彼はぴっと細い人差し指を伸ばし、口に当てる。

そして、ドアの鍵穴にピンだろうか、何かを刺してカチャカチャといわせている。

何をしているのか聞こうと思った瞬間、カチリと音がして、ドアから光が差し込んできた。

「ほら、立って!」

彼が座っている私に手を差し伸べる。その手にそろりと手を伸ばすと、ぐっと強く引っ張られる。おぉ、意外と力が強い。

彼の手に支えられて立つと、彼とは身長が頭2つ分も違っていた。顔の割には高いんだなぁ。そんな失礼なことを考えていると、彼が問いかけてきた。

「どうしたの?」

「あ、なんでもないです。」

「そう?ならいいんだけど」

彼は私の手をそっと離し、屋上へ踏み出す。私も彼につられて一歩を踏み出した。


すると、世界が一瞬にして広がった。

限りなく広がる青空。ふわふわとのんきに浮かぶ雲。

遠くには、赤やオレンジの混ざった、なだらかな山が見える。

いつもは少しうるさく感じる野球部の掛け声も、ここでは風の吹く音に混じって、心地よささえ感じる。

「わぁ……。」

私は思わず、声を漏らしてしまった。

それを聞いて、彼は自慢げにニッと笑う。

「いいでしょ、ここ。お気に入りの場所なんだぁ〜」

彼は朗らかな顔でそう言って、麻のバックから何やら木製のものを取り出し、組み立て始めた。

「ここで何をするんですか?」

つい、彼に先ほど自分が聞かれていた質問すると、彼はバックから細かいものを取り出しながら言った。

「ここで絵を描くんだ〜……よし、完璧!」

彼の前にはイーゼルが立てられ、白いキャンバスが置かれている。

「いつもここで、空の絵を描いてるんだ」

彼は慣れた手付きで木製のパレットに絵の具を出し、サラサラと描き始めた。

彼の顔には優しい笑顔が浮かび、筆がキャンバスの上で楽しそうに踊っている。

話しかけようとしたが、もう彼の世界には私は映っていないようだ。

邪魔にならないよう、ここからいなくなったほうがいいだろうか。

そうも思ったが、彼の絵を描いている姿をもう少し見たくて、少し離れたところに腰を下ろすことにした。


「ふぅ……」

彼がそっと息を吐き出し、満足そうに微笑む。

ぐぐっと背伸びをしてのけぞる彼と目が合った。

彼ははっという顔をして、慌てて背筋を伸ばす。

「ごめん!!君がいるのにボク、気にせず描いちゃった」

「いやいや、いいですよ、気にしないでください」

「それより、なんで敬語?」

「えっ?だって、歳上なんじゃ……」

ぱっと上履きを見ると、私と同じ学年カラーだった。

「くははは!そんな驚くかなぁ」

彼は私の反応が面白かったらしく、お腹を抱えて笑っている。

「くく、だからタメでいいよ」

「う、うん……」

彼はニコッと笑って空を見上げた。

空は橙色に染まり、地面に長い影を伸ばしている。

彼は優しくつぶやいた。

「黄昏時だね〜」

「そうだね、黄昏時……。あ、えっと、名前は……?」

「あ、そうだね〜……じゃあ、雲って読んでよ」

「くも?」

「うん、ここ、秘密の場所だからそっちのほうが内緒の間柄っぽくない?君は?」

「私は……じゃあ、月」

「月かぁ!じゃあ、ルナでもいい?」

「いいよ」

「よし!ルナちゃん!」

彼はニコニコ笑って何度も声に出して言っている。……少し気恥ずかしい。

そう思って少し下を向いていると、彼の声が収まった。

「ルナちゃん、……また来てくれる?」

私の顔を覗き込んでそう尋ねた彼の顔は笑ってはいるものの、少し寂しそうな顔に見えた。

「うん、来るよ」

私は彼を勇気づけるように強く言った。

それを聞いて、彼は少し恥ずかしそうに頬を掻いた。

「ふふ、良かった〜!あ、もう遅くなちゃったね、帰ろっか」

「うん、帰ろ……あ!勉強会!」

私は慌ててペットボトルを持ち、彼に言う。

「今日は色々ごめんね!また!」

「あ、うん!気をつけて〜」

彼はひらひらと手を振って、優しく答える。

そんな彼に見送られながら私は階段を駆け下りる。

勉強会はもうとっくに終わっているだろうが、勉強道具がそのままだ。

教室に着くと、私の勉強道具が机の上に並べられ、メモが置いてあった。

”もう遅いから帰るよ〜!明日、いなくなった理由を聞かせること!!”

丸文字で書かれたそれに目を通し、はぁ……と息を吐き出す。

まぁ、適当なことを言ってごまかそう。

そう決めて、オレンジに染まった帰路を歩く。

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