第12話 火花

 光に差し入れた手は緑色に染まった。


 緑色といっても、よく見れば複雑な色合いだ。青みがかっているようにも見えるし、黄色みがあるようにも見える。


 ひょっとしたらアンバインはいろんな色を発しているのかもしれない。それらが濃く薄く混ざりあって、全体としては緑に見えている。


 研磨された宝石は、百年が過ぎてもなめらかな手触りだった。隙間にある壁はほんのすこしザラザラして引っ掛かる。


 探る手元をレフが見守っていた。隣でしゃがみ、窓の上に目線を合わせている。


「ん、ここ……」


 窓のすぐ上から、さらに上へと指を伸ばしたとき、違和感があった。


 アンバインの光に包まれている指二本分ほどの隙間。隙間自体はいたるところにあるけど、ここだけ窪んでいる。それだけではなく、細い線で囲まれていた。溝だ。明らかに区別されている。


「あった?」

「たぶん。ここ」


 教えた場所にレフが手を伸ばす。


「へこんでるねえ」

「押してみて」

「わかったー」


 えいっと声を出してレフが親指を押しこんだ。


 思わず背筋が伸びる。想像していなかった音が目の前から聞こえはじめた。


 窓の上のどこかから、カツンコツンカツンと軽くて速い音。小石がぶつかりあっているような響きだ。見た目に変化はなく、音だけが聞こえる。


 小気味よく連続して目の前から横へと移動した。向かう先は三階、きっと行き止まりの壁だ。


「追いかけよう!」


 興奮した様子でレフが走り出した。


 つられて動いた足をすぐに止める。時計を確認した。日付が変わるまで、残り四分。


 どうしよう。


 息が浅くなった。空気をうまく吸えない。心臓の音がうるさいし、足の震えもまだ収まってない。だけど、だから、急ごう。


 光り輝くアインバインを踏んで、蹴って進む。


 もう準備をして待機したい。そう思うのに、駆け降りる足は止まらないし、レフを呼び止める言葉も出てこない。


 隠し通路の仕掛けが動いた。導き出した解答は合っていた。その証の作動音が、くたくたの体を階段の下へと引っ張っていく。


 音はしだいに遠くなり、まったく聞こえなくなった。


「エルタン、これ!」


 レフが手招きしている。ひそひそ声なのは三階の扉が近いせいだろう。


 行き止まりの壁は、行き止まりのままだった。


 だけどその手前の床に、小さな小さな壁が出現している。アンバインの光に彩られた障害物だ。


 近寄って息を整えながら、ざっと眺めた。


 床板の一部が三角屋根のように盛り上がっている。横から覗くと、二枚の板を蝶番が裏でつないでいた。板を持ち上げているのは下から伸びる支柱だ。


 床板が折り畳まれたことで、四角い穴が生まれている。穴の中には階段があった。


 だいぶ急傾斜の階段だから、梯子と言ったほうがいいかもしれない。長さはわからなかった。穴の底は闇だ。


「おりてみるね」


 レフは率先して穴に入った。後ろ向きではなく、ふつうにおりていく。ためらいがまったく感じられない。


 意外と深さはなかったらしく、レフの姿が完全に消えてしまうことはなかった。暗がりで落ち着きなく周囲を見渡している様子が、かろうじて見える。


「部屋? か、通路があるみたい。エルタンも来て」

「ちょっと待って……いや、すぐ行く」


 傾斜が急すぎるから、後ろ向きになって足をかけた。怖がっているのがバレバレでかっこ悪いけど、落ちるよりマシだ。


 レフはするするとおりていたのに、なぜか腰がつっかえてしまった。横幅が狭い。レフより痩せていると思うんだけど、どうしてだろう。


 立ち上がっている床板は目線の高さにある。腕を横に突っ張って、光を放つアンバインたちを思いっ切り押した。


 かなり重い。動かすのは一秒で諦め、階段と床をつかんだ。腰をひねってなんとか体を通す。


 急げ、落ちるな、急げ。


 足の裏が地面に着いた。冷たいけど固くて確かな感触に、すこし安心する。首輪を持ち上げた。


「真っ暗だね」


 聞こえてきたレフの声が遠い。どこにいるのかと、一歩、二歩、その場を動く。


 上の通路よりも肌寒かった。土っぽいにおいがするのは、外とつながっているからだろうか。でもまだ二階のはず。


 目印を探して階段を見上げた。四角い入り口はアンバインがきらめく星空だ。


 立ち位置を変えたら光点はすぐに見えなくなった。緑色の余韻だけがぼんやりと闇に対抗している。


「なんにも見えない。どっちに行ったらいいかもわかんないなあ」

「うん、あのさ」

「なにー?」

「そろそろ日付が変わる」

「ん?……ああ! 首輪!」


 もしかして忘れてたんだろうか。ちょっとひどいなと思ったけど、指摘するのはやめた。


「正直に言うと、怖いんだよね」

「首輪を持ち上げた? 電極が肌にくっつかないようにしてる?」

「してる」

「じゃあ大丈夫。僕も見てるよ」

「見えないだろ」

「気持ちは見てる。あと何分ぐらい?」

「一分もないかも」

「うわあ、もっと早く言ってくれてもよかったのに」

「ワクワクがまさった」

「なんだ、強心臓だ」

「どうかな。でも謎解きを始めてから胸の痛みは消えてる」

「じゃあずっとワクワクしてれば心臓に優しいねえ」

「今はワクワクじゃなくてバクバクだよ」


 手の震えが腹立たしい。力を入れると位置が定まらないし、軽く持つと汗ですべりそうになる。


「あれ? 階段が」


 レフの言葉で視線を上げた。


 星空が消えている。アンバインの光でかすかに見えていた階段がどこにもない。完全に闇の中だ。


「一斉に眠るわけないから、閉じたのかなあ」


 そうかも、と返そうとしたとき、音が弾けた。


 体がビクッと動く。鼓膜に噛みつくバチバチッという大きな音。手元が狂いそうになるのを力尽くでこらえた。


 音と一緒に白い光が点滅する。


 直視ができるわけもないから、光は視界の端に引っ掛かっているだけだ。それでもはっきりわかるし、首まわりが熱いような気もする。


「すっご! ほんとに時間で動いた!」


 レフの声も首輪の咆哮にかき消される。なんでこんなに怖い音がするんだ。


 光を見ようとすると首輪が当たってしまいそうだから、視線だけをさまよわせた。


 閃光が壁に反射している。範囲は小さいし、点滅も速いから照明としては役に立たない。でも壁があることはこれでわかった。


 広さはトイレ前の広場ぐらいかな、と思った瞬間、断ち切れるように音と光が絶えた。


 静まりかえった闇は、液体のように重く感じる。電流の咆哮は消えても、余韻が耳の奥に残っていた。


 これで終わりだろうか。切り抜けたんだろうか。


 首輪から手を離していいのかどうか迷っていたら、小さな光点を見つけた。


 さっきまではなかった。絶対になかった。でも今は光っている。


 緑色の光がひとつ。


「レフ、アンバインが」


 ここにもある、と言おうとして舌が止まった。


 緑色の光はしだいに強くなった。その光のそばで白い輝きがともる。さらにもうひとつ、緑色の光が増えた。


「あーほんとだ。アンバインがある」


 光はつぎつぎと増えた。振り向いて確認したら、左右どちらの壁でも同じ現象が起きていた。


 緑色の光点と白い輝きが闇の奥へとのびていく。床と平行に、やや湾曲する光の帯が壁に生まれた。


 帯は途中で床に吸いこまれて見えなくなっている。この先は下り坂のようだ。


「首輪の光が反射してたから、それでアンバインが起きたんだ。でも……」


 言いさして壁のきらめきを見つめた。


 アンバインとアンバインのあいだでキラキラしている白い光。この輝きは見たことがある。


「これ、なんだっけ。あれに似てる。天井のやつ。蝋燭の上の傘に使われてる」

「ユトマイアだね。帝国では特に産出量が多い岩石。アンバインの光だと反射しても輝きが鈍いねえ」

「でも充分だよ。壁との距離がわかるし、鍵の場所もわかる」

「鍵? ああ、あれか」


 帯の起点には例の怪物がいた。八階でも三階でも隠し扉を内側から簡単に解錠してくれた、恐ろしげな獣。壁から顔を突き出して口を開けている。


 レフの姿が影になって揺れた。


「こっちからも開けられるってことだね。試してみよう。でもその前に、エルタン!」


 首輪を持ったままだった手にレフの手が触れる。びっくりして首輪を離しても、首輪は持ち上がったままだった。


「この首輪どうなってるの? 時計だよね。時計と連動してるんだよね。こんなに小さいのに、どういう仕組み?」


 言葉が終わるかどうかというところで、バチッと音がした。「痛っ」という悲鳴も続く。


「レフ!」


 血の気が引いた。今のは電流の音だ。まだ終わってなかったんだ。


 両肩に体重が乗ってきた。足を引いて支える。レフが自身の腕に顔を伏せたのがぼんやり見えた。


「あー、痛ってえ……」


 聞こえてきた声にすこしほっとする。悔しそうではあるけど、苦しそうではない。


「平気?」

「なんとかー」


 肩にかかる重みが消えた。レフはまだ首輪を離そうとしない。それどころか、「バチッ」という音が再び爆ぜた。


「えっ、ちょっと」

「来るってわかってれば耐えられる」

「いやいや、危ないから……」

「大丈夫だよー。残留してるだけだから、たいしたことない」

「新しい電流が来たら」

「それも大丈夫じゃないかな? きっと今ので電池切れだよ」


 恐ろしい音を立て続けに発生させながら、「あー、でもこれ謎」とレフは弾んだ声を出した。


「時間で電源が入るんだよね? どういう仕組みかなあ? どこで時間の設定をするんだろう。んー、見えない」


 こっちに来て、と首輪が引っ張られる。


「え、ちょっとなに、え、引っ張るなって」


 抗議の声は完全に無視された。アンバインとユトマイアが生み出す幻想的な光に近づく。


「あのさ、首が痛いんだけど」

「ごめんごめん。どっかに電源を入れるところがあるんじゃないかと思って」

「だからって……」


 レフは首輪をしきりにさわって覗きこんでいる。いちど調べてるし、絶対に手もまだ痛いはずなのに、そんなことは関係ないらしい。目が爛々としていた。


 怒りたかったけど、なんだかすっかり気が抜けてしまった。


「……そういえば、看守長は離れたところから操作してたな」

「ええっ、どういうこと?」


 パッと顔を上げてレフが早口に問い質してくる。


「帝国の最新技術? ってことはこの首輪って値打ちもの? まさかそんなものを囚人につけたままフラフラさせないよね。じゃあ量産できるってこと? ねえ、これ鍵を作って外そう。外したら僕にちょうだい? 分解してみたいー」

「いいけど……急がないとアンバインが眠っちゃうよ」

「そうだった」


 慌てた様子で首輪を手放し、レフは怪物の顔に向かって歩いた。壁の光を浴びて、白くなったり緑色になったりしている。ゴゾイア人にしては長身の体。


 分解したい、なんて。


 そこまで言うってことは、レフも仕掛けが好きってことだ。


 新しい技術の開発を推し進めてきたユーアノスの民。知恵と好奇心をもって神と遊ぶゴゾイアの民。


 レフの身に色濃く流れているのはどちらの血だろう。


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