アンバインの隠し通路

晴見 紘衣

第1話 首輪

 冷血の鎖に捕まって、薄暗い檻の中に閉じこめられた。

 

 鎖が分けるのは清浄か害悪か、それが基準だという。犯罪と呼べるほどの罪を犯した覚えはないけど、十五歳の夏に指をさされて害悪だと断定された。

 

 なにが害でなにが悪か。

 

 答えは単純。この体に流れる血がゴゾイアのものだから。

 

 ゴゾイアの民はおしなべて凶暴かつ凶悪。ゆえに捕らえて隔離すべし。

 

 そんな法令が打ち出されたのが五年前。自分が十二歳のとき。

 

 さきに父が捕まり会えなくなった。母は一人息子の自分を連れて自宅を飛び出し、人の助けを得ながら逃げ隠れした。それで三年は、もった。

 

 捕まったときは一緒にいた。でも母とは別々の檻に入れられ、会うこともないまま今に至る。

 

 二年。


 二年が過ぎた。


 二年も過ぎた。

 

 檻には名前があった。ゴゾイア遺民収容所。


 帝国民保護政策という名のもとに用意された檻であり、陰湿な死に場所。ゴゾイアの民はつぎつぎと強制労働の鎖につながれた。

 

 そりゃあ、ゴゾイアの民がかかわった暴力事件は多いらしいけど。

 

 真相なんてわかりゃしないし、一部の害が全体の悪として扱われる理不尽さを帝国が問題にしないあたり、そんなのはただの口実なんだなって虫けらでもわかる。

 

 檻の中ではいろんなものを失った。かわりに獲得したのは鈍感になる術だ。なにも感じなければ心は傷つかない。

 

 ひたすらマッチ箱を組み立てたり、靴紐を通していくだけだったりという単純で単調な毎日の長時間労働も、感情のない動く人形になったつもりでこなせばいい。

 

 些細なしくじりで自分が仕置きに遭おうと、自分以外の誰かが半死になっていようと、鈍い心ならやり過ごせる。

 

 檻から出るのが禁止なのはもちろん、檻の中での移動範囲も決められていた。

 

 作業服には名札がついている。名前の横に数字が書かれていて、それが自分の居住階を表している。

 

 自分は八。十階建ての塔の八階で寝起きをし、清掃を行い、指定された道順で別の階にある作業室までを往復する。それが生活のすべて。

 

 要領が悪いやつや、間が悪いやつは食事を抜かれる。あるいは奪われる。


 こっそり分けてやろうなんてお人好しはいない。昼と夜の二回しかない食事は、具の少ないスープとパンだけだ。他人に分けていたら自分が飢える。

 

 死にたいならべつだ。

 

 どうせ外に出る未来がないなら、食など絶って他人に善行を施したと自己満足しながら緩慢な死を選びたい、そう言っていたやつもいたっけ。体を壊して本当に飢え死んだ。

 

 そういうのを横目に見ながら淡々と息をする。深く考えこんだらおしまいだ。繊細なやつほど発狂する。

 

 とりあえずまだ、死ぬ気はないから。

 

「ねえ君、悪いんだけど道案内してくれない?」

 

 作業室に向かう途中で肩を叩かれた。

 

 急ぎ足を止めることなく顔だけ振り向ける。まわりを歩いていた連中の一瞥を感じた。自分も無視すればよかった、と悔やんだときにはもう声の主と目が合っていた。

 

 えらの張った顔に癖の強い巻き毛がかかっている。スッと上がった眉の下で笑っている目が、どうにも人懐っこい。

 

 新参者だな。

 

 見ればわかる。やつれていないし、目の輝きがちがう。黒々とした瞳に宿る生気は風に乗る凧と同じ。それが希望であろうと憤慨であろうと、屋外限定の浮力だ。ここに来たなら遅かれ早かれ落下して二度と飛べなくなる。

 

「トイレに行きたいんだ。場所を教えてくれないかな」

「はあ……ちょっと戻って、そこの角からふたつめを右に行って、左、左、んで通路をひとつ越えて右ですよ」

 

 しかたなく歩調を緩めて指で示した。

 

 迷惑な新参者は振り向いて目を凝らし、すぐに視線をこっちに戻す。

 

「うーん、わかんないから連れてって」

 

 言葉と同時に腕を強く引っ張られた。踏ん張ったせいで足が完全に止まる。冗談じゃない。


「あの、急いでるんで」

 

 トイレなんかに寄っていたら遅刻ギリギリだ。

 

「だって困ってるんだよー。もう限界。連れてってくれるだけでいいから」

 

 腕をつかんでくる力は強くて、案内しないと解放されそうにない。振りほどいてよけいな体力を使うのも煩わしい。思わず舌打ちが出た。

 

「めんどくさ……」

 

 本当に面倒くさい。それなのに巻き毛の男はうれしそうに笑った。こいつはあれだ、面倒で迷惑で厄介なやつだ。

 

 行くんだったら急がないと。人の流れとは逆行して足を速めた。

 

「ありがとー、君いい人だね。引き受けてくれたの君だけだ」

「なんでもっと早くきかないんだよ。こんな時間ギリギリじゃ、誰だって断るに決まってる」

「えーでもまだ作業開始まであと二十分ぐらいあるよね?」

「十分前から点呼があるんだよ」

「それこそめんどくさいねえ」

 

 巻き毛の男はあきれたように笑った。

 

 進むごとに人けが絶えた。高窓からさしこむ朝日が窓の形を焼きつけるように灰色の壁にあたっている。それだけで採光が足りるはずもなく、床は陰の中に沈む。

 

「いやなにおいだなあ」

 

 男が鼻に皺を寄せた。その様子をチラと横目で窺って、壁の染みに視線を移す。

 

 黒く変色した、人の顔みたいな染みだった。見慣れているから特に気にせず素通りする。

 

 確かにこの檻の中は臭い。廊下だろうと部屋だろうと、ちゃんと掃除をしているはずなのに饐えたようなにおいがとれない。

 

 窓が開けられないせいだ。天井付近にあって手が届かないっていうのもあるけど、たとえ届いても、開けたらいけない決まりだった。


 看守が決めた変な規律は、やっぱり飛び降りを警戒してるんだと思う。たとえ死ぬとしても、檻を脱走したのと同じだから。

 

 だから積もり積もる。死んだやつ、まだ生きてるやつ、全員の吐いた息が染みついているんだ。

 

「今朝ここに来たばっかりなんだよ。部屋に着いたら作業室に行けって言われてさあ、その前にトイレ行かせてよって話」

 

 事情はわかる。


 自分も収容所に連行されるあいだは拘束されっぱなしで、思い出すのもいやな屈辱を味わった。粗相することなく到着できただけでもこいつはマシだ。

 

「部屋長に指示されたんだろ? そのときに言えばよかったのに」

「ああ、あの人ねえ。なんだか気色悪くって、早く解放されたかったから」

「それ、もう言わないほうがいい。本人の耳に入ったらなにされるか」

 

 新参者に檻の規律を教えるのは部屋長の役目だ。


 ここでの暮らしが長い人が看守によって部屋長に指名される。指名されたところで特権なんてべつにおいしくないから、外れくじだと思う。

 

 同室の誰かがヘマをすれば、しつけがなってないという理由で部屋長も看守に締め上げられる。だから部屋長はみんなに容赦がない。機嫌を損ねれば制裁を加えてくるし、八つ当たりでひどい目に遭わされることもある。

 

「へえ、君ってやっぱりいい人だね。教えてくれてありがと」

 

 巻き毛の男が人懐っこい目を向けてきた。

 

 これ以上はかかわりたくないから顔をそむける。無視だ、無視。かかわっちゃだめだ。

 

「僕はレフ。君は?」

 

 すこし睨み返して足を止めた。扉のない出入り口を指さす。

 

「ここがトイレ」

「あ、ありがと。で、君の名前は?」

「エルタン」

 

 かかわりたくないという気持ちが返事を小声にさせた。目を合わせずボソッと告げて踵を返す。

 

「ありがと、エルタ!」

「エルタン」

 

 聞き取りにくくさせたのは自分なのに、まちがわれるのは癪だった。つい振り向いて訂正すると、邪気のない笑顔が手を振ってきた。

 

「エルタン、おぼえたよ。また会えたら話そう」

 

 返事はせずに駆け足で離れた。

 

 いらいらする。口の中がざらついて、鉄錆びた味がよみがえる。

 

 目の前をチラチラと幻がよぎった。抜けるように肌の白い、見るからにひ弱な、だけど――


 心臓がよじれたように痛む。いやな感じだ。すごく、ものすごく、いやな感じだった。

 

 作業室には十三分前にすべりこんだ。


 点呼が始まる。当然あのお気楽そうな男は間に合わなかった。間に合わないどころか、最後まで現れなかった。

 

 遅刻の懲罰を恐れて、ずる休みか?

 

 ばかだな。よけい悪い。

 

 そう思ったとき、また目の前を幻がちらついた。

 

 そう、ばかなんだ。ばかなんだよ。




  


「エルタン、ちょっと来い」

 

 部屋長が怒鳴りながら部屋に戻ってきた。

 

 三段ベッドの二段目で眠りに落ちようとしていたところだ。ナイフが飛んできたみたいな心地で跳ね起きた。

 

 習慣で壁の時計を確認する。天井から吊るされた蝋燭の火を消すまであと三十分弱。時代錯誤な照明の暗さに手探りしながら、梯子に足をかける。

 

 下で寝ているオレクと目が合った。青白い顔に嵌まるぎょろりとした目玉が鈍い光を宿している。

 

 こいつはもうずっと調子が悪いんだ。作業に出る元気もなくなったら病室行き。病室は治療するところじゃなくて、飲まず食わずで死を待つところ。

 

 いちおう医者はいるし治療もそれなりにやってくれるけど、常駐してないから結局のところ助かるのは運がいいやつだけなんだ。

 

 顔の下半分がひげで隠れている部屋長は、閉めた扉の前で腕組みをした。不機嫌そうに睨んでくる。


「別の部屋に新しく来たレフっていうやつと知り合いか?」


 不吉な予感がした。


「いえ、知り合いっていうわけじゃ……」

「話してるのを見たって聞いたんだが」

「それは、トイレの場所をきかれただけです」

「それから?」


 臭い息を吐き出して、部屋長が眉根を寄せる。

 

「トイレまで連れて行きました。そこで別れました」

「本当に?」

「はい」

「そいつはどこに行くって?」

「え? あの、どこって」

「見つからねえんだと」

 

 息を呑んだ。

 

 だからいやだったんだ。あんなやつとかかわるのは。

 

「なにか知ってるだろ」

「いえ。本当に、なにも知りません」

「またそれか」

 

 どきりとした。


 一年前にも同じ質問をされたことを思い出す。部屋にいる全員の視線を感じた。自分の真後ろで寝ているオレクの視線がいちばん気になった。

 

 部屋長は気が立った様子で後頭部を掻いた。


「看守室に行け」

「は……」

「早く行け」


 部屋長が扉を開け、顎で指図してきた。誰もいない廊下に追い出される。


 看守室は目と鼻の先だ。扉の前で名前を告げて看守室に入るまで、部屋長はじっとこっちを監視していた。


 窓が開いているということ以外、看守室に来る良さなんてない。


 入ってすぐ、待ち構えていた看守によって首輪をつけられた。硬く冷たい白色の輪っかが素肌にあたる。苦しくはないけど、すこし重い。


「時計がついているだろう」


 椅子にふんぞりかえって看守長が言う。突き出た腹の上で腕を組む体は座っていても大柄で、面長の顔や大きな耳もすべて、帝国民の特徴を色濃く表している。


 首輪を指でつまんで持ち上げてみた。厚みがあって、縦に長い時計だ。逆向きだから見づらいけど、針が指している時間は壁の時計と一致していた。


「日付が変わったら首輪に高圧電流が発生する。一分間だ。短いと侮るなよ。たいていは最後まで持たずに死ぬ」


 時計を持ち上げていた指に怖気が走った。


「消えた新人を連れ戻してこい。そしたら首輪を外してやる」

「そんな……どこに行ったかなんて知らないんです。今朝はじめて会って、すこし話しただけで――」

「それじゃ部屋に戻って寝ててもいいぞ。首輪は外さないがな」

「そんな!」

「ためしに流してみようか」


 ふんぞりかえっていた看守長が体を起こして机に手を伸ばした。机の上じゃなくて前。こっちからは見えない部分でなにかを操作した。


 凶暴な音が耳をつんざいた。バチバチッと爆ぜる音が顔を包む。


 咬まれたと思った。肉食獣の太い牙が首に食い込んだと思った。全身から力が抜けて、膝から床に崩れ落ちた。


 なんだこれ、なにが起きたんだ。


 指先さえ動かせない。心臓がドクドクと早鐘を打っている。痛い。とにかく痛い。


「ほんの一秒でこうなるんだ。一分も食らったらどうなるか想像できるだろう? 首輪を外してほしければ今日中に消えた新人を連れてこい」


 声が耳を素通りする。素通りしながらクソでも落とすように警告を残していく。


 日付が変わるのは約三時間後。それまでにあのレフとかいう男を連れ戻せなかったら、おまえは死ぬ。


 最悪だ。


 だからかかわるべきじゃなかったのに。


「首輪をつけてるあいだはどこの階でも行っていいぞ。特権だ。うれしいだろう?」


 ろくな返事もできずに呻き声だけをあげた。


 看守長が「蹴り出せ」と言う。お言葉のとおりに看守が蹴り飛ばしてきて、廊下に転がった。それでもまだしばらくは動けなかった。


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