第16話 湖上のライムスター

 カノン一行は、ホスの森を抜け出した。無事とは言えなかったが、一本道のため迷うことはなかったし、三度の戦闘によって多少なりとも実戦感覚は養われたはずだ。


 空が真っ赤に染まっている。日暮れまでもう一刻もなかった。

 半刻ほど歩き、迂回路うかいろとの合流地点を過ぎた草原で小休止を取る。またミラがモジモジとし出したためだ。例の配慮はいりょをしないといけなかったが、今度はカノンの方も必要になったので、その間はミラに耳をふさいでもらうことにした。

 カノンの指示にふふっ、と笑うミラ。正直、カノンとしては音なんて聞かれても構わないのだが、聖女という立場もあることだし、この辺は気をつかっておくに越したことはないだろう。



 さらに半刻で陽が沈み始める。代わって地平線から昇るのは、夜の到来を告げるライムスターだ。

 旅の相方がデュソーであれば多少の無理はきいただろうが、相手がミラである以上はこのあたりで野営地を決めるべきだろう。野営の経験がないカノンとミラでは、テントを張るのにも手間取るかもしれない。


 カノンは、野営にてきした場所はないかとキョロキョロしながら歩を進める。まもなく左手に大きな湖が見えてきた。


「ハールン湖ですね」

「知ってんのか?」

「はい、何度か聖護院せいごいんのシスターたちと来たことがあります。もちろん迂回路うかいろを使いましたし、馬車でですけど」


 ミラは肩をすくめ、はにかんだ。


「シャイロンから往復したら丸一日かかるだろ。わざわざ来るようなところなのか?」

「アストラールでは神聖な湖とされているので、時々ですけど祈祷きとうに。あと、ライムスターが最も美しく湖面に映る時期には、国内外から観光客がたっくさん訪れるんです! その時期になると、安全な行き来のために聖騎士団が街道の警備けいびにつきますし、魔物除けの聖水も毎日かれますよ〜」


 まだ真っ暗にはなっていないが、湖面にはライムスターが反射し、らめいている。


「今はその時期ではないんだな?」

「ん〜、もう少し先ですね。真夜中ちょうどに、ハールン湖の真上にライムスターが昇ることを『ライムナイト』と呼ぶんです。アストラールでは聖なる夜の一つとされてます。一週間前からシャイロンではお祭りがもよおされて、大聖殿だいせいでんを訪れる人も増えるので私たちは大忙しです」

「そうなのか」


 大忙し、とは言いながらもミラはうれしそうだった。きっと祭りのたぐいが好きなのだろう。あるいは人々の笑顔や楽しそうな様子かもしれない。

 カノンは、これまでゆっくりと景色をながめたことはなかった。そもそも、ランスの村から出ることのない十五年間だったのだ。一度だけ幼少の頃に村を抜け出そうとしたことがあったが、辺境伯へんきょうはく派遣はけんした護衛兵ごえいへいに捕まり、教育係のドランにはこっぴどく叱られた。


「(そういや、ドランはどうしてっかなー)」


 カノンは今やうっすらとしか記憶きおくに残っていない彼のことを思い出した。剣術の訓練くんれんでカノンがめった打ちにした数日後にランスを去り、代わりにやって来たのがデュソーだったのだ。今になって考えると悪いことをした気がしなくもない。



 湖畔こはんにちょうど良い岩場を見つけたため、そこを野営地とすることにした。あたりはすっかり暗くなっていた。

 テントの設営を始めたその時、ミラが声を上げる。彼女が指さした方向を見ると、水辺の木陰こかげに黄緑色のド派手なテントを見つけた。


「あらっ、先客がいらっしゃいますね! ご挨拶あいさつに行ってみましょうか」

「いや、もう少し先に進んで、適当なところで設営しよう」

「あれ〜? カノン、ずかしいんですか?」


 こうして顔をのぞき込まれるのにも慣れてきたものの、相も変わらずひたいの印は赤くなるらしい。自分で確認することはできないが、ニヤニヤしながらひたいの印を見つめるミラの顔がすべてを物語っていた。


「んん? あなたたち、旅の途中かしら?」


 茶番にきょうじる二人に声をかけて来たのは、緑色の長髪とエメラルドのようなひとみが印象的な女性のエルフだった。あまりの美しさに放心したのか、ミラは口を開けたままほけーっとしている。

 カノンもただ一つの違和を感じなければ見惚みほれていただろうと思う。しかし、その異常さに気がついてしまった以上、カノンの中では美しさよりも気持ち悪さが勝っていた。


 そばに立たれれば多少なりとも感じるはずの"気配"が、彼女にはなかったのである。

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