カノン成長編5 ルーアとチェリーパイ

 ランスは村の規模きぼこそ小さいものの、ローアン一帯の穀物庫こくもつことも呼べる小麦の生産地であった。特にブラックチェリーなどの果物については甘みの強い最上級品がれるため、野盗やとうおよび害獣がいじゅう対策に抜かりはない。

 そんな風土的背景もあって、十五年に渡る勇者の育成場所としてはなかなかにてきしていた。欠点を挙げるとすれば、アストラールの聖都せいとシャイロンまでやや距離があることだろうか。


 カノンが生まれ育った地を出発した馬車は、千カイルの道のりを進み始める。

 途中、街道の三叉路さんさろを南に折れてローアン辺境伯へんきょうはく屋敷やしきへ顔を出す手筈てはずとなっているらしい。

 ここまでの道中は魔除まじょの香水が定期的にかれており、中間地点に砦もある。中下位レベルの魔物は近寄ることすらできない、いわゆる安全な道だった。


 御者ぎょしゃを務めるのは辺境伯へんきょうはくからの使いとしてやってきた、アーミットという名の初老の男性だ。三十年もの間ローアン家に仕えてきた古株であり、物腰ものごしの柔らかな人物だった。



退屈たいくつだ〜」

「もう、カノンちゃんったら」


 早くも狭いほろの中でられることにきたカノンが、欠伸あくびとともに行儀ぎょうぎ悪く足を伸ばす。顔をしかめたのはデュソーのみで、とがめの言葉とは裏腹うらはらに、ルーアはニコニコしながら見守っていた。

 チェリーパイは移動を始めて二刻ふたこくたないうちに、自分のものは食べ切ってしまった。


「ルーアの分ももらうよ」


 そう言って袋に手を突っ込もうとしたが、お見通しだったルーアにパシッと手の甲を弾かれた。


「カノンちゃん、いけません。これは私の分です。・・・ふふっ。こんなこともあろうかと、私もカノンちゃんのためにチェリーパイを焼いておいたんですよ〜」


 そう言ってルーアは自分の荷物にもつから包みを取り出した。

 確かにルーアのチェリーパイは美味かった。本人に直接言ったことはないが、カノンの好物こうぶつの一つだ。アストラール風らしく、母が作るものとはまた異なる美味しさがあった。


「紅茶もありますからね。まらせないようにゆっくり食べて?」

「いただきます」


 カノンは悪態あくたいをつくことも忘れ、がらにもなく素直に返事をしてしまった。

 ルーアと話していると、シーナとはまた違った意味で調子が狂う。特別な美人というわけではなくとも、愛嬌あいきょうがあって可愛らしいところは昔から変わらず魅力的だった。また、これも昔からなのだが、空気感というか、語尾ごびと会話の間が独特どくとくでペースを乱されてしまうのだ。



 そんなほがらか彼女にも、やり手な一面があることをカノンは知っている。

 魔王の記憶がよみがってからしばらくの間、カノンの心はささくれ暴力的になっていた。そうした折に、彼に過去の仕返しをするべく数人の悪ガキにおそわれたのだ。当然のごとくまとめて返り討ちにし、本気で殴り殺しにかかってしまったことがある。

 止めに入ったデュソーは、その後カノンを倉庫で監禁かんきんしようとした。頭に血が上った頑固がんこなオヤジをさとし、カノンを出してくれたのがルーアだったそうだ。

 代わりに、カノンをおそった悪ガキどもの家庭を訪ねて回っては、”勇者反逆罪ゆうしゃはんぎゃくざい”で辺境伯へんきょうはくとアストラールに突き出すぞと笑顔でおどしたらしい。さらには、二度とカノンに手を出さない旨の念書ねんしょを書かせていた、と父親のハンスから聞かされた。


 それにしても、デュソーとルーアは七年間も別宅べったくで共にらしていたというのに、浮ついた雰囲気ふんいきが全くない。

 いや、カノンの目が届かないところでどうごしているのかは微塵みじんも知らないが。


 一度だけルーアがデュソーのプライベートについて教えてくれたことがあった。

 意外にも、彼はお酒にめっぽう弱いらしい。少しでも酒を飲むと途端とたん面になり、エロオヤジに変身するとんでもない悪癖あくへきを発動させるという。街で飲んできた後は、かなりの高確率で顔面に平手打ちのあとがあったとか。

 驚いたし爆笑もしたが、カノン的には正直どうでもいい。勝手に嫌われててくれ。



 長い期間をともに過ごしたルーアも、アストラールに戻ればお役御免ごめんだ。

 一年に二度の休暇きゅうかを使って、聖都に帰郷ききょうする以外は自分に付きっきりだったため、恋人もいないだろう。もう三十五で若くはないし、お見合いでもするのだろうか。

 彼女がこの後どうするつもりか聞いてみたいという好奇心が首をもたげたが、意地っ張りのカノンは言い出すタイミングを見失ってしまった。


「・・・世話になったな」


 カノンは思わず口に出してしまい、顔を赤らめた。まさか自分が感傷かんしょうに浸るなんて。

 ルーアはカノンの言葉にうれしさを感じながらも、あえて気が付かないふりをした。代わりに、目の前の勇者が、ひどく不器用ぶきようで大人びた彼が、年相応としそうおうの少年らしくチェリーパイを頬張ほおばる様子をニコニコとながめていた。

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