カノン成長編4 カノンの緩んだ頬

 勇者の送別会がもよおされたのは、出発の三日前のことだった。

 村じゅうから百人ほどが広場へと集まる。この日は十五年にわたって護衛ごえいを務め上げた兵士たちも見張りを交代しつつ参加した。


 会の始まりは、村長からの有り難く目眩めまいがするほど長ったらしいお話だ。それが済むと立食形式での歓談かんだんが始まり、広場は賑わいを見せた。

 カノンは勇者の資格を持つ者として尊重こそされていたものの、態度の悪さから好意を持っている者は少ない。代わる代わる掛けられるのは型通りの挨拶あいさつと月並みな言葉ばかりで、カノンの身を案じる者や別れを惜しむ者は一人としてなかった。


 分かりきっていたことだが、村の人々は自分を見送りたいわけではない。単にバカ騒ぎをする口実が欲しかっただけだ。

 開会からほどなくして、カノンは早くも喧騒けんそうから取り残された。



「カノンちゃんっ♪」

「あ? うるせぇ花屋。カノンちゃんはやめろ」

「シーナよ、シ、ー、ナ」


 一人黙々と食べ続けるカノンに声を掛けてきたのは花屋のシーナだった。

 カノンが生まれた当時は十三歳ほどの娘だった彼女も、今ではすっかり大人だ。金色の長髪にカチューシャがよく似合っている。シーナは三年前、村全体を巻き込んだ"争奪戦"を勝ち抜いたグラバンという村役場の職員に嫁いだ。


「本当に行ってしまうのね」


 シーナは心底寂しそうに言った。唯一カノンの粗野そやな態度にも嫌な顔ひとつせず声を掛け続けていたし、誰から見ても本当に変わった女である。

 カノンは彼女と話していると燃えたぎる熱情を少し冷ませるような気がしたものの、魔王の意思が勝ってか、恋心には発展しなかった。なんとなく腹が立ったので、グラバンのことは結婚の話を聞いた晩に罠を仕掛けて肥溜こえだめに落としてやったが。


「これ、チェリーパイ焼いてきたの。カノンちゃん好きでしょ? ハンナさんが作るのには到底とうてい及ばないけど、良かったら出発前に食べてね」

「・・・食ってやるからよこせ」


 カノンがチェリーパイが入った袋をふんだくろうとすると、シーナはサッと背中に隠した。


「ダメよ、ちゃんとシーナって呼んでくれなきゃ」

「はいはい。シ、ー、ナ、さん」

「まあ、照れるわね! あと五年して立派な勇者様になったら迎えに来て? その時は愛の逃避行とうひこうを」

「それはゴメンだ」


 記憶を取り戻してからも、シーナとのやりとりはどうも調子が狂う。

 人を殺したり傷つけようと考えると決まって勇者の印に邪魔をされるのだが、それとは別の何かに思考を歪められている気がした。


 この十五年間で手に入れた、忌々しくも心地よい感情。魔王ゲラとして生きていた頃には感じることもなかった。これが人間の身体に生まれ変わった代償だいしょうとして手に入れたものなのであれば、いずれは捨て去らねばなるまい。

 しかし、魔王の器を取り戻すまでは。今この時だけはこの感情に身を預けよう。



 出発の日。

 村の門まで見送りに来たハンナは、カノンに殺されかけた日のことなど全く覚えていないかのように、別れを寂しがりながらも気丈きじょうに振る舞っていた。そんな母の隣には、普段と変わらぬ穏やかな笑みを湛えた父ハンスの姿もあった。

 シーナが焼いたチェリーパイはとっくに胃の中だったが、ハンナが道中の弁当として人数分のサンドイッチとチェリーパイを用意してくれていたようだ。


「では、行ってらっしゃい。寂しくなったらいつでも帰ってきなさいね」

「立派な勇者に成長するんだぞ。お前は誰がなんと言おうと、ハンナと私の自慢の息子だ」

「っ、調子狂うからやめろ!」


 最後まで悪態をつきながらも、少しだけ緩んだ頬で村を去るカノンなのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る