カノン成長編1 最悪の勇者誕生

 勇者の印を持つ子が誕生したという知らせは、魔法、伝令、伝書鳥といったありとあらゆる手段でドルムト大陸中に広められた。


 この世界において、勇者の誕生イコール喜ばしい出来事であるとは限らない。魔王がはびこるところに勇者は現るというのが通例だからだ。

 さらに人々の不安を駆り立てたのは、魔王ゲラと勇者シャインが繰り広げた壮絶そうぜつな戦いから二年も経っていないということだった。



 ガルガリア王国のローアン辺境伯領へんきょうはくりょうにあるランスという小さな村で、ハンナと呼ばれる女性からその子は生まれた。やけに目つきが鋭く、人相の悪い赤ん坊だった。


「これは・・・勇者の印!?」


 夫のハンスは糸のように細い目をこれ以上ないほど見開き、我が子の額に浮かんだ印を凝視した。

 勇者の印は、宿主の感情がたかぶると光を放つと伝えられている。偶然にも額にアザを持って生まれてきただけなのではという考えもよぎったが、赤ん坊が大きく泣き声を上げるたびに、金色に輝くそれ自体が揺らぐことのない証拠であった。


 さらに不思議なことに、この赤ん坊は人間には珍しい紅い髪と紅い瞳を持っていた。それは魔物を連想させるような、深い、深い紅だった。

 とはいっても、印の存在に比べれば些事さじであったため、夫婦ともにこの時は気にもかけなかったのだが。


「あなた・・・」


 お産もまもなくベッドに横たわっていたハンナが、無理を押して起き上がろうとする。ハンスはそんな妻を再び寝かせながらひと通り考えを巡らせると、


「・・・まずは辺境伯様にお知らせしなければ」


 と口にした。



 勇者は同時に複数人が存在することはない。つまり、もし間違って亡くなるようなことがあれば、次の勇者が誕生し成長するまで世界は魔王の脅威にさらされてしまうのだ。大陸中に幼い勇者の存在が広まるということは、野盗のような小悪人にさらわれる危険はもちろん、魔族に襲撃しゅうげきされる可能性も否定はできない。

 また、勇者の印を持った子供は一般に青年として認められる十五歳までの間、生まれた土地で成長させるのが習わしとなっている。ハンスが勇者の誕生を知らせるや否や、すぐに領主である辺境伯へんきょうはくから十人ほどの手練てだれの兵士がランスへと送り込まれた。総人口で百人にも満たない小さな村には余りある人数だったが、それほどに事は重大であった。



 勇者の誕生から十日目の朝、すっかり体力の回復したハンナが朝食の用意をしていると、ドンドンと扉を強く叩く音がひびいた。


「あの〜、勇者の印を持った子が生まれたという家はここですか?」


 扉の前で待ち構えていたひと組の男女は、ガルガリア王国に隣接りんせつする神聖国家アストラールから派遣はけんされてきた使者であった。

 先ほど言葉を発したのが勇者の世話係を務めることになった女性だ。歳は二十で、名をルーアといった。実年齢よりも幼く可愛らしい印象を受けるのは、茶髪のおさげと柔和な口調のためだろうか。

 その隣に立つ男性がドランだ。ルーアよりも頭ひとつ分上背があり、筋肉質な体型が特徴の精悍せいかんな若者である。文武の両面における教育係という大役を任されたエリートだった。


 ランスの村はアストラールの聖都シャイロンから千カイルほど離れており、馬車を使っても数日がかりの移動となってしまう。そのため、ルーアとドランはひなびたランスの村に別宅を借り、カノンと名付けられた幼い勇者の世話をした。



 カノンは非常に優秀な頭脳の持ち主だった。才覚があるにしても早すぎるスピードで読み書きを理解し、五歳の時点で大人にも引けを取らないほど巧みに言語を操った。

 これだけ聞けば聡明そうめいな少年にほかならないが、一人として彼をそうは呼ばなかった。理由はその素行そこうにある。

 たとえば、いくらか年上の子供達にちょっかいをかけては相手を怒らせて楽しむ。相手が怒るとさらに挑発を重ねて喧嘩けんかに持ち込み、ボコボコにやり込めて泣かせてしまう。世話係ルーアのエプロンの内側に潜り込む。村一番の美少女として評判だった花屋の看板娘のシーナに飛び乗って抱きつく。

 枚挙に暇がない数々の悪行を繰り返しては教育係ドランに説教され、両手にバケツを持って立たされた。もちろん、村の子どもたちはカノンに関わろうとはしなくなり、彼は孤立の一途を辿たどった。


 そして唯一の抑止力だったドランも、カノンが八歳になると地獄を見ることとなる。

 二人の力関係は一気に逆転し、剣術の模擬戦もぎせんでもカノンがドランの実力をしのいだ。すると、幼い勇者はそれまでの恨みを晴らすかのように、躊躇ちゅうちょなく師であるドランを痛めつけた。


「やぁ、とうっ、おらっ!」

「ちょ、待て! まいった、まいったって!」

「まだまだぁ! うりゃあッ!」


 全身アザだらけになるどころか、ついには頭部から出血する始末。

 満身創痍まんしんそういとなったドランは自分の手に余るとして教育係の退任を申し出た。アストラールへ戻る日にはすっかり痩せこけ、精魂せいこん尽き果てた抜けがらのようになってしまっていた。



 何日かして、新しい教育係が聖都シャイロンからやってきた。口髭くちひげをたくわえた体格のいい中高年は自らをデュソーと名乗った。


「もしや勇者様の・・・」

「はい、そのデュソーです」


 名前にピンと来たハンスが問うと、彼は表情を動かすことなく答えた。

 デュソーはドルムト大陸でも指折りの剣術使いと名高い騎士である。ガルガリアが王国をあげて開催かいさいされる剣術大会で、アストラールからの参戦で十連覇という偉業いぎょうを成し遂げ、”殿堂でんどう入り”という体で引退させられたほどだ。


 彼はまだ年端としはもいかない勇者に対して、前任者ほど厳しい接し方はしなかった。悪戯いたずらをしようが叱りも干渉もしない。代わりに、一度たりとも剣術指南で手を抜くことはなかった。

 稽古けいこ初日のこと。デュソーはカノンの剣戟けんげきを完璧に受け流すと、強烈なカウンターで壁際かべぎわまで容赦ようしゃなく吹っ飛ばしたのだ。何が起きたのか理解できなかったカノンは、無意識のうちに恐怖でおらしをしてしまったことにも気が付かない。


「(勝ち筋が、見えねぇ・・・)」


 受け身を取る間すらも与えられず、危うく頭を打ちつけるところだったが、そんなことはもうどうでも良かった。血の味がしてくるほど唇をみ締め、悔しさに顔をゆがませることが彼にできる精一杯だった。



 勇者は渋々ながら教育係に従い、真面目に勉学と剣術の鍛錬たんれんはげむようになった。村の住民たちを悩ませていたタチの悪い悪戯いたずらもパタリと止んだ。

 相変わらず口は悪いし、やはり他人への対応も粗野だったが、最低限の挨拶あいさつだけはするようになった。

 ハンスとハンナはそんなカノンを微笑ましく見守る日々が続いた。

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