第50話 土曜日の恋人

 その日の天気予報は、曇りのち雨だった。

 朝から雲行きが怪しく、今にも降り出しそうな様相である。


 天気予報なんて普段気にする事は無いのに、今日は何故だか晴れて欲しいと願ってしまった。


 いつの間にか心に住みついてきた彼。

 その彼と今日は本屋でデートすることになった。


「ごめんなさい。待たせてしまいましたね」


 志成は集合時間の10分前に現地に到着した。充分それでも早いだろうが、私が気合いを入れすぎて1時間前から待機していた。こんな日に志成より後に来るとか、私自身が許せなかった。

 せっかく誘ってくれたのだから、一分一秒を無駄にしたくはない。絶対に志成より前に集合場所に居なければならないと言う義務感が、この1時間前現着という驚異的な記録を作ったのである。


「いえいえ、今来たところです」


いくら早く着いたからとて、今着いたところと言うまでがテンプレ。

余計な罪悪感を相手に抱かせない。これ鉄則。


「すいません・・・・・・じゃあ、行きましょうか」


 志成の表情はとても明るい。私もそれを見て自然と口角が上がる。

 今日は一体どんな楽しい事が待っているのだろう。期待に胸を膨らます。


 志成に紹介され入った本屋は、森羅万象ありとあらゆる物事に関する本を取りそろえた『無燐堂』である。名だたる文豪や有名人も通い詰めた、本好きであれば誰もが一度は訪問することに憧れる本好きの聖地である。


 私もいつかは行こう、とは思っていたものの、独りで入る勇気は無かった。雰囲気がいわゆる上級国民専用みたいな、それなりの地位の人で無ければ入る事を許されない、そんなイメージを持っていた。


 今日は正真正銘の上級国民を引き連れているから怖い物なし。ビビる必要はない。

 虎の威を借る狐とはまさにこのことだ。


 本屋に入ってすぐに目に飛び込んできたのは、今オススメの小説本達であった。

 最近はミステリーものがよく売れているようで、大量にその類いが平積みされている。

 その奥にはビジネス本のブースが設置されていて、一流のビジネスマンの金言集やらノウハウ本やらが鎮座している。

 これを使えば今日からあなたも億万長者!とか、朝これをやれば必ず成功する!とか、科学的根拠に乏しい自己啓発という名のオカルト本が大抵ランキングを占めている。人生の参考には到底ならないであろうが、ギャグエッセイというジャンルとして読むと、なかなか面白くなる。

 

「こういった本が好きなんですか?」


 私がしばらくビジネス本の平積みを見つめていると、志成が声を掛けてきた。


「いえ、あまりこういったのは好みではないですね」

「そうなんですか・・・・・・私の祖父がよくこのような本を出しては一儲けしているのを見ていたので、私もなかなか読む気が起きなくて」


 そうか、成功者側だからこういった本で稼ぐ側か!

 ポエムのような成功者の金言が至るところに書いてあるんだろうな。

 関心があるのと思ったのか志成が恥ずかしそうに、その祖父が書いたというビジネス本を持ってきてくれた。


「一応これなんですけど」


 表紙で腕を組み偉そうにふんぞり返っている孝造じいさん。これはこれで面白い。

 中身は今までの仕事での苦労話や生き残るための処世術がこれでもかと言うほど書いてあった。財閥とはいえ敵は物凄く多く、苦労は本当に絶えないんだろうな。


「じいさんもいっぱい苦労しているんですね。人知れず独りで苦しんでいる時もあるんだと」

「なかなか窺い知る事の出来ない面を、本にして売るなんて自分では到底真似出来ないです」


 赤面しながら志成はそう呟いた。

 その表情がとても可愛く見えて、思わず悶えた。

 勢い余って、孝造じいさんの本を購入するハメになった。これが魔力という奴だ。 


『無燐堂』といえば、数々の文豪が残した足跡が名物である。

 建物の最上階には昔ながらの洋食レストランがあり、そこには文豪達の直筆サインや生原稿、ゆかりの物が所狭しと飾られている。

 その洋食レストランの名物がハヤシライスである。タマネギと牛肉を長時間煮込み、独自配合のデミグラスソースと合わせられたその一品は、様々な随筆で語り草となっている程の逸品だ。


 せっかく『無燐堂』に来たからには、ここに寄らないワケにはいかない。

 昼食はどこがいいと志成に聞かれたので、一瞬の間を置くこと無くこの洋食レストランをお願いした。


「ここに入るのは、実は初めてなんですよ」

「え?『無燐堂』に来た人なら、必ずここに食べに立ち寄るものだとてっきり・・・・・・」


 私の文句に志成がうつむく。興奮し過ぎて私がちょっと言い過ぎたかな?

 フォローしなきゃと言葉を考えているうちに、志成が口を開いた。


「自分はあまりここのレストランの事を知らずに今まで生きてきたものですから。すいません」

「まあ、ちょっと庶民的ですからね」


 志成は高級レストランで尚且つVIP個室待遇されるのが当たり前の世界で生きている。こんな隣の席と間仕切りの無いようなテーブル席で外食をするなど、家がそもそも許してくれなかったのだろう。御曹司なのだから、いつ誰に襲われるか分からないのだから。


 そんな人を当たり前のように連れ回している私はだいぶ頭がおかしい・・・・・・のか?


 私と志成はこの店一押しのハヤシライスを頼んだ。

 志成はどうやら私のメニュー解説に洗脳され、口が勝手に動いていたようだ。


 料理が出るまでの時間、今後の仕事の話になった。


「私が会社経営とか、流石に無理ですよ」


 嘆息し、テーブルに突っ伏してしまった。

 そんな私を見かねたのか、手を取り語りかけてくる。


「自分は、出来ると思いましたよ。貴女なら」

「その根拠は?」


 優しく私に微笑み掛ける。握っている手に少し力が入る。


「貴女は既に『アロマジック』と動画宣伝と、2回も企画を成功させているじゃないですか!もっと自信持ってくださいよ」

「いや企画当てるのと会社経営するのじゃ、全然責任の度合いとかも違うでしょうに」


 正直企画で失敗しても、余っ程でない限り会社が傾く事はないが、いざ社長の立場となれば、判断一つで会社の運命が変わる。会社に所属している従業員を路頭に迷わす危険性が常に付きまとうのだ。責任の重さが違い過ぎるのだ。


「確かに、判断一つで大きな影響が出てしまうのは事実です。ですが、貴女は今まで企画の中で同じような重大な判断をいくつもしてきて、結果成功に導いたのでは無いですか?」

「いや、まあ、そう・・・・・・ですけど、うーん」

「企画でも、部下の人達の人生も背負って進めているはずです。それがちょっと範囲が大きくなっただけですよ」

「企画をやっている延長線で考えたらどうか、って事ですね。確かに私は企画についてなら今までの経験が生きそうですし」


 ちょっとずつ身体がテーブルから起き上がり始めた私を、更に手を強く握り眼前で話し続ける。


「実務とか会社経営については自分とか神でも見れますので安心してください。貴女は従業員が楽しく良い仕事が出来るよう、みんなを元気づける役に徹してください」


 もう志成や神という会社経営のスペシャリスト達をアドバイザーとして抱えているといっても過言ではないのに、何を怖じ気づいているのだ。

 もっと志成の仕事を間近で見て追いつきたい。隣で堂々と仕事が出来るような、最高の経営者になってみたい。

 

 そしてなにより、もっと志成と多くの時間を共有していたい。


 最初の出会いからが最悪だっただけに、こんなことになるとは全く想像出来なかった。人生ってどうなるか本当に分からない。

 一昔前までは人間観察して、傍から他人をほくそ笑んでいるのを生業としていたのに。

 今となっては仕事でそれなりの成果を残し、リアルをエンジョイしている。

 人と一線を引いて、離れた位置で俯瞰していたからこそ、今上手く行っているのかもしれない。


 そのまま人と距離を取る生き方をしていたら、多分こんな状況には一生ならなかっただろう。勇気を出して一歩を踏み出して良かった。


「私、頑張ってみます」


 そう宣言した頃には、出来たてのハヤシライスが到着していた。

 二人で美味しいと言い合い、笑い合えた。


 そのあとは打って変わって下らない話を延々と続けて、あっという間に一日が過ぎた。

 別れ際には、また二人で出掛けようと約束した。


 何気ない瞬間が、私にとっては宝物だ。

 もっと宝物を増やして行きたい。そのために私は頑張るのだ。


 平日は仕事のパートナー、土曜日は恋人として。

 日曜日はさすがにゆっくりしたい。休みだしね。

 でも家族になったら、休みも一緒なんだよな・・・・・・まだ気が早いか。

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