「手を動かせ」とは言うけれど

 いま新作のラノベを書いている。

 テーマ決めから始まり、ジャンル、作品のテイスト、キャラやら世界観やら色々やってたら3ヶ月くらいが経過した。3ヶ月かかって書き始められるくらいになった。つまりプロットの完成が近づいたのだ。

 正直、ラノベを書いている知り合いがゼロなのでこのペースが遅いのか速いのか分からない。ただ僕は人間スペックが非常に低いので、それを体現するかのように原稿を書くペースが遅い。それはプロット組みやキャラ作りでも言えることで、あれこれ考えてしまってペースが遅い。てか単純に要領が悪い。

 できる人間が何事そつなくこなすが、できない人間はマジで何事もそつなくこなせない。僕と同じようなポンコツ人間ならきっと分かってくれるだろう。


 まあそんなことを言ってても作品は完成しないわけで、そうなると手を動かして「あーだ。こーだ」とネチネチこねくり回すしかない。頭が働かない人間だからこそ、常人よりも手を動かす必要がある。つまり「この工程(考えの方向性)が正しいかどうかわからんし、とりあえずやってみよう。ダメなら一からやりなおそう」てな感じでトライアンドエラーで正解率を引き上げるしかないのだ。

 とはいえ、この方法は非常に疲れる。時間を食うことはもちろん、身体的にも疲れるし、なにより精神的な摩耗が激しい。考えの方向性が間違っていて白紙に戻ったときはマジで絶望しかない。こんなことを書くと「小説書くの向いてなのでは?」と思われそうだし、実際僕もそう思ってるし、おそらく周知の事実ではあるが、楽しい瞬間もあるのでやめられない。


 特に勇気を出して「えいや」と、藪を叩いてみたら、予想外に面白いものが飛び出してきたときは非常に面白いし、小説の神様に愛されてる感じがする。逆に藪を叩いてもなにも飛び立たない場合もあるし、下手をすれば蛇が出てくることもあるし、そういうときはふて寝するしかない。

 ようわからん話をしていると思うが、ここで言う藪ってのは、物語になる前のドロドロとした感じのものだ。それは頭の中の思考であったり、思想であったり、経験したことだったり、過去の痛みだったり、思い出の中の記憶だったりする。それらが混じり合って、形にならずぷかぷか浮かんでいるモノを僕は藪と呼んでいる。てか、いまそう名付けた。


 ただ藪とは言っているが、イメージ的には日本神話だか古事記だかの天地開闢に近い。天も地もなく、混沌が渦巻いているそんなビジュアルだ。まあ、神代に生きていたわけじゃないので知らんけど。

 ただし、その世界の神は俺だ。昔、レクリエイターズってアニメがあったがあれと同じで、物語を作ったことがある人間なら否応がでも己は神だと気づかされる。同時に神様である己の無力さに悩むこともある。つまりお腹が痛くなって神様に祈ったことろで治らないのと同じように、神様にもできることとできないことがあるってことだ。そしてこの国の宗教観で言うのであれば、神様にも色々なタイプがいるってことだ。そして僕はそこまで格の高い神様ってわけではないってことだ。


 話を戻そう。とりあえずなにが言いたいのかと言えば、手を動かすことの重要性だ。最近はそれを実感している。僕は小説を書くとき(プロットを作るとき・キャラを作るとき)に考えまくって手が止まることが多い。ただそうやって考えまくった結果、良いアイディアが生まれるかと言えばそうでもない。どちらかと言えば、とりあえずで手を動かしたほうが良いアイディアが作れる割合のほうが多い。であれば積極的に手を動かすべきなのだろうが、そのためには、その選択(こうしよう、という自分の決断)に納得(多かれ少なかれ腑に落ちる感じ)が必要なのだが、これがなかなか難しい。昔から何かにつけて折り合いをつけるのが苦手だったが、まさか作品作りにまで影響するとは思わなかった。そして、そんな僕の癖は、僕の作品性にも影響しているのだろうと思う。小説には他人の人生が詰まっているとはよく言ったものだ。

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