第15話 令嬢業は大変です

「まあ、まあまあまあフロル! 元気になったようで、本当に良かったわ!」


 馬車から降り立った大伯母さまは、出迎える私の姿を見つけた次の瞬間、私を抱き締めて歓声を上げた。


「ご心配をおかけしまして申し訳ございません。おかげさまでもうすっかり回復いたしました」


「あら、油断は大敵よ! 寒いでしょう? 早く中へ入りましょう」


 老いてなお美しい彼女は腕をほどいて私の額をちょんとつつくと、花開くように笑った。


 御年七十を数えるマリヴォンヌ大伯母さまは、平均寿命が五十にも満たないだろうこの国ではかなり高齢の部類に入る。だが三ヶ月に一回ほど、亡くなった母の代わりに遠路はるばる隣のロートリンジュ領から淑女教育に来てくれているのだ。


 城内に入ると、執事のクレマン、そして女中頭のルシーヌを引き連れ、おじい様が待っていた。


「お久しぶりね、ヴィルジール。ご機嫌よろしゅうお過ごしでしたか?」


「悪くはありません。義姉上もご健勝であらせられ、なによりです」


 ここのところいつも無愛想な義弟が、珍しく笑顔を見せたせいだろうか。大伯母さまは元々大きな目をさらに丸くして、驚きの声をあげた。


「まあ! あの年中しかめっ面な貴方がどうしたの!?」


「……悪いですかな?」


「あらあら、そういう意味ではなくってよ! 最愛の奥様に、そして息子たちに……立て続けに家族を亡くしてからというものの、貴方はずっとふさいでいたでしょう? 昔のやんちゃな弟が戻ってきたようで、わたくしは嬉しゅう存じますよ。何か喜ばしいことでもあって?」


「別に、殊更ことさら申すことはございませぬ」


 祖父は少し不満そうな表情を浮かべ、顔を逸らした。だがそれが照れ隠しであると気付いているのは、私だけではないようだ。


「ロートリンジュより遥々の旅路、ご老体にはこたえておられるでしょう。今宵こよいは足湯でも使い、ゆっくり休まれるよう」


「足の……お湯?」


 聞き慣れぬ単語に可愛らしく首をかしげる老女に、おじい様は少し得意気な様子で告げた。


「百聞は一見にしかずと申します。フロランス、義姉上をご案内して差し上げなさい」


「はい、おじい様。大伯母さま、どうぞこちらへ」



 *****



「初めは着衣のまま素足を晒すことに少し戸惑ってしまったけれど、足湯とは本当に素晴らしいものねぇ」


 大伯母さまはそう言って、上機嫌で香草茶ティザーヌを口に含んだ。


「この香草茶も足湯のあとに素晴らしい組み合わせだわ。今宵はぐっすり眠れそうよ」


「大伯母さまに楽しんで頂けて幸いですわ」


「明日からの予定だけれど、いつものように講義を行っても大丈夫かしら?」


 私は口中のお茶をこくりと飲み込むと、努めて元気に微笑んだ。


「はい! 旅の疲れも癒えぬ間に恐れ入りますが、お願いしたく存じます」


「では、少しずつ様子をみながら進めてみましょうか」



 *****



 この国の貴族令嬢が受ける淑女教育には、大きく分けて「法術」「社交」「家政」「教養」の四つの分野がある。


 まず地球では聞き覚えのないものといえば、「法術」だろうか。

 この世界には魔族の持つ「魔力」と、人族の持つ「法力」という、謎の力がある。謎力というとアホみたいだが、もう千年は利用されている割にその仕組みは「精霊が媒介しているのでは?」程度の認識でしかないのが現状だ。

 なぜ千年も研究が停滞しているのか不思議だが、原理が解明されていない以上、謎力としか言いようがないだろう。


 千六百年余りの昔。突然、魔族たちはこの世界中に同時多発的に現れた。当初異界の民アリエヌスと呼ばれた彼らは、魔力を背景とした長い寿命と高い戦闘力を誇っていた。そんな魔族に人族は対抗する術をもたず、瞬く間に魔族の支配域は拡大して行き、当時西大陸にあった人族の大帝国は滅亡したのである。


 しかしそれから五百年がたち。天啓を受けし神の子、勇者フィリウスが、魔族の支配下で虐げられている人々を救うべく立ち上がった。彼は魔術に対抗しうる力として神から法術を授かり、同様に法力に目覚めた仲間たちと共に、各地で魔族から土地を取り戻していったのだ。


 そんな人間の法力の有無は、全て始まりの法術師たちからの遺伝であるとされている。しかし持っているのといないのでは大違いのいわゆるチート能力で、法力持ちは各国でもれなく支配者層、つまり貴族の地位に収まっていた。


 ちなみにこの世界の魔法は、なんでもできるわけではない。基本的に地水火風の四大元素を操ることができるだけである。現代科学ではできる空を飛んだり遠隔通信したりといったことはできない、ある面では不便な能力だ。


 さらに人族の場合、ごく稀な例外を除いて一人一属性である。例えば私は火属性の術師で、たまに使っている点火イグニオの呪文は火術師が最初に習う初級呪文だ。


 攻撃力を火力と呼ぶこともあるように、火属性はその殆どが戦闘向きの呪文である。だが女に戦闘スキルは必要ないということで、この国の火術師の女には中級以上の教育を受ける機会は与えられない。

 そんなわけで、初級の習得が完了した私はこれ以上法術の勉強をする必要はないし、したくてもできないのである。


 さて、では家事や育児が使用人に任せられる貴族の女は仕事もせず着飾ってキャッキャだけしてればいいのかというと、そうでもない。家の社交は主に夫人の仕事なのだ。


「社交」というと一見楽しそうな響きだが、隅々まで貴族名鑑を暗記し、パワーバランスを考慮し、客人の趣味嗜好に合わせて気の利いたおもてなしを用意して、招待状を綺麗な文字で一通一通手書きする。

 今でこそロシニョル家は社交界から姿を消して久しいが、いずれ結婚でもすれば出来ませんでは済まされないだろう。


 では三つ目の「家政」はというと、もちろん炊事や洗濯などの家事全般は使用人の仕事だ。残る当主夫人の仕事は家計の管理なのだが、これが庶民と貴族の家計では、複雑さが大違いなのである。


 家族の生活費やお小遣いだけでなく、住み込みの使用人にも生活費や給金が必要だ。さらに交際費は庶民の比ではなく、パーティーやらイベントごとの予算管理も必要である。

 この不況のご時世に、たとえ貴族といえども無計画に散財していてはすぐに破産してしまうだろう。計算は苦手なんです~では、済まされないのだ。


 そして最後の「教養」も、社交界で恥をかかないためには疎かにはできない。その内容は語学、歴史、芸術など多岐にわたり、学んでも学んでも終わりはないのだ。


「では今日は久しぶりだから、軽く試験といきましょうか」


 大伯母さまは流れるような達筆で、B5サイズくらいの蝋板ろうばんの半分にサラサラと文を書くと、私に手渡した。


「この内容の招待状を受け取ったと仮定して、貴女はどうお返事すればいいかしら?」


 私は蝋板の文章と署名を確認すると、背筋をのばしてしばし考えを巡らせた。


 招待状の主は、アントワーヌ伯爵のご令嬢という設定だ。確か今年度最新版の貴族名鑑の情報によると、年齢は私よりもふたつ上で成人済みだが、未婚である。そして伯爵とくれば、こちらの方が序列は上……と言いたいところであるが、これは罠だろう。


 このアントワーヌ伯爵位を持つビアス家は、千年前の建国戦争から続く古い家柄だ。所領こそ小さいが宝石類の交易都市として発展し、その研磨技術には定評がある。確か国への上納金ランキングでも、アントワーヌ伯爵領はかなり上位に食い込んでいたはずだ。


 対するロシニョル家は独立してからほんの三十年ちょいの歴史しかなく、その上に王家への上納金も最低限という状況である。そんなうちは侯爵位を持ちながらも、現状では伯爵であるビアス家より格下扱いになるのだ。


 そんな訳で、この家格というパラメータ、実はかなり厄介だ。まず王家の血を引く公爵は別格。領地なしで国から家禄かろくという給料っぽいものを貰って生活している名ばかり公爵もいるが、上級貴族よりも社交界では格上である。

 特に王家のスペアとして王位継承権を持つ三大公爵家は徳川御三家のようなポジションで、ロートリンジュ公爵フランセル家はそのうちの一つだったりする。


 次に諸侯とも呼ばれる上級貴族として、侯爵と伯爵が存在する。ここで注意が必要なのは、ガリアの爵位は日本の華族制度のように家名につくのではなく、西洋の貴族制度のように地名についているという点だ。エルゼス侯爵領の領主を拝命して赴任した貴族が、エルゼス侯爵を名乗るのである。


 これを日本で例えるなら、エルゼスの国司……いや、エルゼス藩主に任命されたというと分かりやすいだろうか。

 侯爵が国主レベルの大大名で、伯爵は城主レベルの大名だ。基本は「侯爵>伯爵」だが、大名と同じく譜代や外様など王家への貢献度や家の歴史で「伯爵>侯爵」という逆転現象も起こりうるので、複雑である。


 ちなみに家名と名前の間に入る「ド」は、日本語でいうと『ふじわら「の」みちなが』の「の」にあたる。だから『エルゼス侯爵ヴィルジール・ド・ロシニョル』を日本風に言うと、『エルゼス藩主ロシニョルのヴィルジール』って感じかな。


 ──閑話休題。


 さて残る子爵や男爵はというと、こちらは下級貴族である。こちらも日本に例えると、城を持てない陣屋レベルの小大名や旗本のような感じだろうか。

 なお下級貴族の中には王家の直参ではなく公侯伯爵家の家臣である家も多く、貴族としての地位はあまり高くない。


 侯爵であるうちにとって、公爵や下級貴族との上下関係に悩む必要は殆どない。だが同じ上級貴族である侯爵伯爵あたりへの対応は、本当に気を遣うのである。


 私は慎重に言葉を選びながら招待状へのお返事を書き終えると、大伯母さまに差し出した。


「お願い致します」


 私の回答を読み終えると、大伯母さまは満足そうな笑みを浮かべて頷いた。


「さすがね、フロランス。これならばどんな名家に嫁いでも恥ずかしくないわ」


「恐れ入ります」


 私はほっと胸を撫でおろすと、緊張ですっかり乾いてしまっていた唇をそっと撫でる。そんな他人の細かな仕草も見逃さないことが、大伯母さまが社交界の華と呼ばれるゆえんだろうか。彼女はにっこりと笑うと、頬に手を当てて言った。


「なんだが喉が渇いたわ。一休みしてお話でもしましょうか」

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