二章
第14話 美形でも許せないことはある
『本日は、どうもありがとうございました』
いつもの淑女の講義の終わり。お迎えを待つ先生を応接室まで見送って、わたくしは左手でドレスをつまみ淑女の礼をとりました。
『フロランス、素晴らしいわ。貴女ももう立派な淑女ね。エドとロティも、きっと貴女のことを誇りに思っていますよ』
先生であり大伯母さまでもあるマリヴォンヌさまは、そう言って満足そうにうなずかれました。
『おそれいります』
老いてなお誰よりも美しい大伯母さまにほめていただいて、わたくしはようやく小さな声で答えました。顔が熱くなるのを感じますが、恥ずかしいと思うといっそう熱くなってしまうのです。
亡くなったおかあさまの代わりに、貴族の娘に必要な淑女教育を引き受けてくださったマリヴォンヌさま。もう七十も近いのにわざわざ遠く隣領からいらしてくださる大伯母さまには、感謝をしてもしきれません。
そのとき、扉のない入口からこちらをのぞきこむように、じいやが声をかけました。
『マリヴォンヌ様、大旦那様がお呼びでございます』
『まあっ! 年長者を呼びつけるなんて、ヴィルは本当に困った子ね』
そう口では言いながらも、マリヴォンヌさまは笑いながらソファから立ち上がりました。
『まったく、何の用かしら? フロル、もうお部屋に戻っていてよろしくてよ』
『いいえ、あの、よければ待たせていただきたくぞんじます』
またもやほほが熱くなるのを感じながら、わたくしは勇気を出して言いました。
『あらまあ、フロルは本当に可愛いのだから。では少しだけ待っていてね』
敬愛する大伯母さまにかわいいと言っていただいて、わたくしはうれしくなってソファにぴょんととび乗りました。
でも、思わず鼻歌まで歌ってしまったのは失敗でした。うしろから大きなため息が聞こえてきたからです。
『わざわざおばあ様が講義にいらして下さっているというのに、相変わらずの不調法ぶりだな。栄えある貴族の令嬢として、恥ずかしいとは思わないのか』
わたくしは顔から血の気がひくのを感じながら、慌ててソファから立ち上がりました。
『これはジャン=ルイ公子、ごきげんよろしゅう……』
消え入りそうな声をなんとか絞り出すと、わたくしは淑女の礼をとりました。ですが緊張で冷たくなった指先が、こきざみにスカートをふるわせてしまいます。
『挨拶ひとつまともに出来ないとは。兄妹揃って酷いものだ』
ジャン=ルイ公子は彫刻のように整ったお顔をみにくくゆがめると、はき捨てるように言いました。
『もっ、もうしわけ……』
『口先で謝るだけなら下民でもできる。何故何度言っても直すことができないのだ。分家といえどもロートリンジュ公の血を引く娘が嘆かわしい』
公子の前でなければちゃんとできるのです。とは、言い訳でしょうか。それでも、どうしても。公子の前だと怒られることを想像してしまい、緊張して失敗してしまうのです。
入室したジャン=ルイ公子は、苛立ちを隠そうともせず部屋中を歩き回りながら言いました。
『全く、この私がわざわざ声をかけてやったというのに、アルベールは返事ひとつ返さないとは! 一体どういう了見なのだ。この優秀な私自ら領主代行官として赴任してやっていなければ、今頃ロシニョル家は御取り潰しとなっていてもおかしくないのだぞ!?』
公子はそこでいったん言葉を切るとわたくしの方へ近づき、うで組みをしておっしゃいました。
『お前からも言ってやれ! 侯爵家嫡男のくせに家門どころか妹一人すらろくに守れないのか? とな!』
わたくしは悲しくなって、下を向くしかありませんでした。公子のおっしゃることも、もっともだからです。
『お前たちがこんな有り様では、本家であるフランセル家の名誉に関わるということを忘れるな。フロランス!』
『はっ、はい!』
強い口調で名を呼ばれて、わたくしはとっさに背すじをピンとのばしました。
『おばあ様はお前に良縁をとかねがね考えて下さっているというのに、何だその貧民のようにみすぼらしい
『あの、わたくし、オルガノンの演奏が得意です。特に和音の演奏は……』
わたくしは少しでも認めてもらおうと勇気を出して声をあげましたが、みなまで言い終える前に公子の深い溜め息にさえぎられました。
わたくしが黙ると、公子は目を細めてこちらを見つめました。おそらく精霊視をつかい、わたくしのまとう精霊さまの数を確認していらっしゃるのでしょう。そうして、ありえないと言わんばかりに首を左右に振りました。
『その程度の加護では法力量もたかが知れているだろう。法力で演奏するオルガノンが得意だなどと、言う方が恥ずかしいとは思わないのか?』
『でも、大伯母さまにもいつもほめていただいて……』
『無能のくせに浅はかにも口答えだけは立派だとは。こんなはしたない女を嫁に出したら、どんな
わたくしは再び押し黙って、顔をふせました。
輝くような美ぼうと知性あふれる会話で、社交界の華と呼ばれたマリヴォンヌ大伯母さま。そしてその祖母にうりふたつと言われるのみならず、大精霊さまの加護を受けられたジャン=ルイ公子。
おふたりに比べたら、わたくしはなんて不出来な娘なのでしょうか。いっそわたくしもおにいさまみたいに、閉じこもってしまうことができたらどんなにいいか。
ひとりだけ逃げるなんて、おにいさまはずるい!
……そう叫んでしまえたら、どんなに楽になるでしょう。
わたくしがうつむいたままでいると、ご不きょうを買ってしまったのでしょうか。誰もがうらやむ才能を持つ公子さまは、わたくしに一歩つめよりました。これ以上なにをおっしゃるというのでしょう。
わたくしが恐怖で身を固くした、その時──
◇◆◇◆◇
「嫌な夢を見たわ……」
のっそりと起き上がった私は、寝起きなのによほど疲れはてた顔をしていたのだろう。いつもの頭をスッキリさせる用の香草茶を差し出す手を止めて、リゼットは心配そうに私の顔をのぞきこんだ。
「すぐに夢見に良い香草茶をお持ちしますので、もう一度休まれますか?」
「いいえ、大丈夫よ。もう起きるわ」
私はリゼットに心配させないよう笑顔を作ると、香草茶を受け取り一気に飲み干した。
今日から数日間の日程で、大伯母さまが滞在しにやってくる。その名目は、私の快気祝いと久方ぶりの淑女教育再開だった。
大伯母さまが来ること自体は大歓迎なのだが、きっとあの再従兄どのはまた、祖母の迎えを口実に嫌味を言いにくるのだろう。まったく、領主代行の仕事が上手くいかずストレスがたまっているのか知らないが、人をサンドバッグにして解消するのはやめてもらいたいものだ。
私は笑顔の仮面をはりつけたまま、なんとかリゼットの退出を見届けると。額に手を当てて大きなため息をついた。
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