第47話 「若者のすべて」

(いつかは、童子君は私の届かない世界に行ってしまう……薄々覚悟していた事)


 ――ジェラルドという男に襲われ、恩多き女性に連れられた時の事。

 歪む視界の中で詩桜里は見た。

 

(やさしくて、暖かくて、誰かを笑顔の為に何でも投げ出せてしまう、勇敢な人)


 ジェラルドが放った炎に立ち向かう、陰になった童子の背中を。

 今からメアという相棒を得て、世界を救わんとする勇者そのものだった。


(後は、童子君をちゃんと知ってる人さえ、横にいてくれれば、それで――)


 それでも、童子は普通の人間だ。

 家族の元を引き離され、未開の地に投げ出された赤子と変わらないのだから。

 

 だから誰かが、童子の帰る場所になってほしかった。

 童子は強い。それでも、孤独では戦える程ではない。

 だから自分はなりたくもなれなかった、帰る家の役割を誰かに担ってほしくて――。




 ノックの音に反応して、詩桜里は扉を開けた。

 メアだった。

 

 

「元とはいえ身内が大変ご無礼をおかけいたしました!!」

「ええええええええええっ!?」


 思いっきり土下座をされた。



「どど、どうしたんですか!? なんで急に」

「ジャパニーズ文化では、“DOGEZA”が最大限の謝罪行儀と伺ったのですよ」

「た、多分その文化は、誇張されてると、思うけど……」

「体調は、大丈夫ですか」

「はい。童子君とメアさんに取ってきてもらったお薬も効いてるから」

「……それは良かったです。本当に、ごめんなさい」


 しかし、大事なのは形だけではない。

 何より心が大事。これは敬愛すべき葛葉という母親から教わった事だ。

 その教えを思い出しながら、メアを見る。

 

 地に着いている拳が震えている。

 ならその拳を解くのが、詩桜里のすべき事だ。

 

「メアさん。寧ろ、助けてくれて本当にありがとう」

「……」

「それに……約束通り、ちゃんと童子君を守ってくれたから。童子君の横に、居て、見てくれてたから」


 それが、メアと詩桜里でかわした約束だった。

 約束というより、詩桜里の説得に近いものだ。

 童子がオムニバスの中で危険視されているからこその説得だ。

 

 だが、詩桜里はとても安堵したのも事実だ。

 童子と行動を共にする少女が、とても逞しく、心が綺麗だったから。

 

 メアはようやく顔を上げた。

 後悔と反省の念が残像として残されている顔を。

 

 こんな時どうしたらいいんだろう。

 詩桜里が、何とか取り繕う言葉をあたふたと探していると、メアの体が昨日の重傷具合とは打って変わって無傷になっている事に気付く。

 

「あれだけの傷が……もう消えている」

『これが聖剣使いが得られる恩恵、リジェネだ』

「しゃしゃしゃしゃしゃ、喋った!?」


 喋る剣を目の当たりにして、尻餅をついた。


『……うむ。その反応が正解だ』

「ええええええええええっ、えっと、えっと、え、ええええ!?」

『驚かせると思い、この前は口を噤んでいた。以後よろし……ってこら、触ってはいかん!』

「あっ、ごめんなさい……でも、剣が喋ってる、意志を持ってるって……ちょっと信じられなくて」

『く、くすぐったい、あひゃ、あひゃ、だから触ってはいかんと、あひゃ』


 童子の如く「そうかそうか、つまり君は、そういうからくりだったんだな」的な淡々とした反応の方が異常だった。

 詩桜里のようなパワーストーンでも摩る様な反応をしながら、四方八方から仕組みを眺める方が正常だ。

 だがこのままでは聖剣たる威厳が失われそうだったので、メアが笑い転げそうなレーヴァテインを後ろに引っ込める。

 

「と、とにかく、私の心配はご無用です。この通り、頑丈なものですから」

「……いえ、ここは心配させていただきます。リジェネっていうのが、よく分からないけど……メアさん、無理しているように見えるというか」

『確かに詩桜里の言う通りだ。リジェネは戦闘継続の為の回復を最優先にする。体に蓄積したダメージを癒すには、時間がかかる』

「レーヴァテイン! 余計なことは言ってはならないのですよ!」

『諦めろ。詩桜里は全てお見通しだ。正直に話した方がよさそうだ』


 メアが詩桜里に視線を戻すと、詩桜里が真剣な面持ちでこちらを見ていた。

 思わずメアでも視線を逸らしたくなるような真っ直ぐさだった。

 眼鏡の奥にある二つの眼を、大きく見開いて、メアの一挙一動を見逃さない。

 

 ボロボロの体で、童子を守れるのか。そんな眼ではない。

 童子とか関係なく、メアの体を心から心配するような顔だった。


「メアさんが、本当に私との約束を守って、童子君を気に掛けてくれているのは、本当に嬉しい……でも、メアさんにも命を、自分を、大事にしてほしいです」

「……生憎ですが、私は戦いしか知らないのです」

『詩桜里。メアが生きてきた世界に、冒険者ギルドに日本国憲法第9条戦争の放棄は存在しない』

「勿論、メアさんの価値観をを否定している訳じゃない……でも、戦い以外にも、世界は広がってると知ってほしいな、って」

「世界?」

「それも冒険だと、私は思う……例えば、こんなのがあるんだけど」


 スマートフォンがフリックされ、“世界”の例が表示される。

 それは宗教だとか哲学だとか教育だとかそんな異端ではなく、ただのファッションとかスポットとかの日常だった。

 ――メアにとってはその日常が未知の異端だと、知って知らでかのファインプレーである。

 



「むむむ……さっきのバックが何万円もしたのに、こっちのバックは桁が一つ下がっている、ですと?」

「こういう節約も覚えると楽しいから。最近はアプリも充実してきて、探しやすくなってきたもの」


 いつの間にか一つのスマートフォンを一緒に眺める聖剣使いと、一般少女の図が完成した。

 

「しかしやはりスカートなるものは承服できかねます! こ、こんなひらひらして、秘すべき部分が見えたらどうするのです!」

「ひゃ、ひゃっ、め、めくらないで! 大丈夫じゃないけど、一応下着ってものが……」

「失礼しました。私達の世界には下着なるものが無く」

「えーっ!? す、スカート履いた時とか……」

「スカートなんて概念はありませんでしたが、このような軽装備を着る冒険者もいました。勿論下から見れば丸見えです」

「……………………………………………………………………………………そ、そうなんだ」

「どうしたのですか、思考回路がショートしたような顔をして」

「なんでも、ない」

「それに下着というのもこの世界で初めて身に着けましたが、しかしこれだけで公に出ようなんてとても思えません。何というか、恥ずかしさは拭えていないというか」

「まず公に出るって発想をしないよ!?」

「林は全裸で公に出ているので、この世界の女性は、根本から性に対する考えが違うのかと」

「即逮捕の事案案件だよ!?」

『オムニバスは治外法権らしいぞ』

「…………オムニバスって、すごいね」

「むむむ……」

「でもメアさん、スカートに注目してる……着たいの?」

「べべべべ別に! そんな事! 来たら可愛くなるかな、なんて思ったことありませんので!!」

「スカートの隠し方ならすぐに慣れるから大丈夫……それに、スパッツっていうのもあるから」

「むむむむむむ……」

「……」

「ど、どうしたのですか、どうして私の顔を見てるのですか」

「いや……悩むメアさんの顔、本当にお人形さんみたいで可愛いなって」

「ふ、ふむ。私の魅力に気づくとはさすがですね。ならば、私からも、あなたの魅力を褒めてあげましょう」

「ひゃ、ひゃああああっ! む、胸、も、揉まないで」

「戦闘には不要だと分かっているんですが、何ですかねこの憎悪とか羨望とか!」

「それ褒めてないよぉ!」


 この二人は、分かっている。

 詩桜里の記憶は、近い将来において、消えてしまう事を。


 それでも、何の屈託もない笑い声を溶かしながら、一つの些細な思い出を作り出す。

 決してその光景は、異端なんて野暮な分類はされない。

 教室の片隅でかわされるような、何気ない会話と同じ。

 

 異世界の聖剣使いも。間もなく愛しき人の記憶を失う女子高生も。

 過去も未来も関係なく、ただ平和に少女していた。

 

 メアにとっては異世界の価値観の中だったけれども。

 詩桜里にとっては、いずれは過去に消えゆく現在だったけれども。

 そんな事関係なく、生の楽しむ声が木霊していた。

 

「そうだ。そろそろ料理作ろうかな、と思って。メアさん、食べていきます?」

「食べるのですー!」


 と両手を上げて応答したメアのウェアラブルデバイスに、反応が合った。

 左腕を見て“仕事”モードに戻る表情。詩桜里もそれを察する。


「林から呼び出されました。私はこれにて」

「分かった。また今度」


 ウェアラブルデバイスには、“Martis異端番号#44444について”の文字があった――。




 部屋から出かかっていたメアに、詩桜里が最後に話しかける。


「メアさん……もし出来るなら、2つだけお願いがあるの。これは約束じゃなくて、出来れば、のお願い」


 オムニバスさんの事情もあると思うから、と詩桜里が付け加える。

 

「分かりました。何でしょう」

「一つは――」


 若干言い淀みかけて、ある油断を連想しながらメアに伝える。

 『これくらいなら、いいよね』という我儘だった。

 

「私の記憶が消える前に、一回でいいの。一回でいいから……私と童子君を外に出してほしいの。勿論、メアさんの監視付きで」

「外に?」

「ある公園の桜を、毎年二人で見に行ってて……せめて、記憶が無くなる前に……」

「……確約は出来ませんが。林に話を通してみましょう」

「ありがとうございます。それだけでも、嬉しい」

「もう一つは何でしょう?」


 2つ目のお願いを、詩桜里が綴る。


「毛糸と編針、私のお金で取り寄せてもらえない、かな」

「毛糸と編針……? もしかして」

「マフラー。作って遺しておきたいの。童子君、結構寒がりだから」

 

 メアが戦士の眼に戻ったのと同じく。

 詩桜里も、記憶を失う準備を進めるつもりだった。

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