第45話 「ただの魔法少女、だよん! はぁと」
血流に流れる電流が、ジェラルドに訃報を告げた。
「イフリートが……敗れた、だと」
人目を避け、外を目指していたジェラルドは誰もいない廊下で忌々しそうに呟く。
自らの血を媒介にして召喚したイフリートだ。制御は出来ないが感知は出来てしまう。
イフリートがやられた。
信じがたい訃報をようやく理解し、ジェラルドは歯を軋めた。
(誰にやられた……? メアか? いや、俺の魔術で確実にダメージを負っていた。リジェネが間に合うとも思わねえ……そうなると)
あの場には、もう一人いた。
世界を一つ滅ぼした、悍ましい陰陽師を名乗る者。
一介の高校生を自称していたが、これで彼の正体は判明した。
「……安倍晴明。またしても、俺の望みを、壊すのか」
イフリートを屠る程の強さ。
だがこれで、間違いなく安倍童子を名乗るあの少年こそが、安倍晴明であると確信が持てた。
追い詰められているにもかかわらず、右腕一本消失しているにもかかわらず、難問の証明問題を解ききったような清々しささえジェラルドの中に発生する。
「へへ……許せん」
遅れて蘇るのは、異世界で安倍晴明と対峙した時の無力感。
絶対零度の視線に踏みにじられた誇りの痛みが、蘇る。
「俺の世界を、また壊しやがって。許せん。俺を、俺を、この俺をコケにしやがって」
壊れた様にぶつぶつ呟くジェラルドは、自分の世界の最期を思い出す。
詩桜里を助けに来た時の安倍童子の視線と、世界を滅ぼす安倍晴明の視線が重なる。
確かに完全に、ではないが――その凍てつくような眼差しに、心当たりがあった。
『やむを得ぬ。滅びよ、この世界も』
何度もあの言霊が、ジェラルドの脳内で残響する。
「許せん、許せん、許せん、許せん」
果たして、この憤慨は勇者としての価値観故か。
ただ自分の酒池肉林が壊された、逆恨み故か――。
「安倍晴明……お前を殺さないと、この苛立ちは晴れない。見てろ、今に見てろ、忌々しいその顔が悲痛に眩む様に何もかもを……」
「――だから安倍童子と安倍晴明がイコール説は確定してないっつーの。わっかんねー奴だね。ギルドリーダーさん?」
反射的に飛び退いた。
今の今まで、接近されている事に気付かなかった。
誰もいない筈のルートを選んでいたのに、何故――。
「お前、は」
眼に入ったのは、華々しいデザインに装飾された奇異なコスチュームだった。
草葉に紛れても分からない様な緑を基調とした、フリルだらけの衣装。豊満な胸部に埋め込まれたエメラルドの光沢。
この世界では間違いなく、異端の格好だ。
「そうだよあたしだよー。どうもー、夢見て恋する乙女が強くなった魔法少女、“
テンションノリノリで決めポーズまでかました魔法少女――森木林は「決まった……」とご満悦の様子で鼻を鳴らしていた。
「いや、待て……」
声を漏らすジェラルド。
別段、その決めポーズやコスチュームにコメントがあった訳ではない。
そもそも、ここに林がいる事が問題なのだ。
何せ、イフリートの召喚よりも秘中の秘で、このオムニバス日本支部長は閉じ込めていた筈だ。
外どころか、廊下に出られない様に、監禁していたはずなのだ。
――“世界を隔離する箱に閉じ込めていたのに”。
「お前……どうやって俺の、魔術から抜け出せた……」
わなわなと震える声になるのも無理はない。
“
それを応用して、支部長室の周りに空間の連続性を断つ魔術を放ったのだ。
要は、支部長室を世界と切り離したのだ。
部屋から外に出ようとしても、“もうそこで世界が終わっているから”、見えざる壁に阻まれて出る事が出来ない筈だ。
安倍童子よりも、メアよりも――一番の不確定要素であった林を、いの一番に除外するために、膨大な魔力を注いででも準備したのに。
けろっとした表情で、林はこちらの世界に侵入してしまっている。
「ジェラルド君。残念だけどね、君がやった魔術ね。空間を分断する面で多い囲む技かな――オムニバスはずーっと前から使っている異端なんだよね。時代遅れだねぇ」
「何……?」
「このオムニバス日本支部を始めとした、世界中の支部、そして本部全てで駆使されてる異端技術さ。都合よく好きな都道府県に出られる時点でおかしいと思わなかった?」
辺りの壁に画像が映し出される。
とはいえ映し出されたのはある異端番号とタイトル。
ジェラルドも名前だけは見た事がある。
“ユークリッド原論”。
画像欄には、古代ギリシャ語で4行だけ文字が並んでいた。
何の変哲もない文字なのに、悍ましい魔力があるように思えた。
線は点によって区切られる。
面は線によって区切られる。
立体は面によって区切られる。
世界は、上記三法則の境界を司る学問に鎮座する。
「……ってのが、当時
スクロールしていく画面。機械的にただ文字だけが流れていく。
既に世間に流布してしまったユークリッド原論の“焚書”方法。
焚書が完了した後の管理方法が更新された紀元前1世紀を示す年号。
そして一番下の行に表示されていた“世界の境界を操る、5つの公準と9つの公理”――が、それ以上は進まない。
『セキュリティクリアランス:各支部長クラス』と書かれた警告文のみが記載されている。
「って残念でしたー! ここから先は平社員は進めませーん! 昇進目指して仕事頑張ってねー!!」
「……おのれ」
馬鹿にするような態度に、ジェラルドの眉間に皺が寄る。
「魔術だろうが魔法だろうが異端だろうが、出来上がってる結果は大体同じだ。なら、この異端に沿って紐解いていけば、面の境界如き、簡単に破れるって訳。理解した?」
「……くそっ」
吐き捨てるジェラルドの目線に合わせるように、しゃがみ込む林。
視線の逃走を、見逃さない。
「で? ジェラルドさんや。お前がこんな回りくどいことまでして欲しかったのは、地位? 名誉? そんなもん得た所で、いくつかの文書のセキュリティが解けるだけだぞ。で、得られるものはレンタル店の18禁コーナーより多分少ないぞ。なんでこんな事したのか、怒らないから正直に話してくれないかな?」
「……お前みたいな能天気には一生わからんでもいいさ」
最初は狼狽したジェラルドだが、徐々に落ち着きを取り戻す。
林は空間の孤島から抜け出し、目の前にいる。
更に
不戦勝は望め無さそうだ。
「正直に言えよ。お前、俺を無力化しに、殺しに来たんだろ?」
歪んだ微笑を浮かべて、見開いた大きな目。
天敵に出くわした、猫の喉を引き千切る窮鼠の瞳。
だが百戦錬磨のジェラルドを押して、空間が歪むほどの眼光を見せつけられる。
「ばーか。あたしは支部長だぜ? オムニバスの見本になるべき自由の女神さ。ちゃんとルールは守るよ。無力化指定を受けてない異端は殺しちゃならねえ」
「じ、じゃあ」
「って訳で、“
ジェラルドの体が、蒼い炎に包まれた。
この瞬間、ジェラルドの選択肢は一つになった。
全てを振り絞って林を焼殺し、このふざけきった
「おぉ、なんだそれは。ゲージ満タンのリミット技?」
煌煌と天井へ伸びていく蒼炎を瞠目する林。
「メアの馬鹿、肝心な事を思い出せていなかったようだな」
青色のゆらめきに覆われたジェラルドの瞳。
じっと、林を睨みつける。
「俺は血にイフリートを混ぜている……という事はだ、“俺もイフリートの技が使えるんだよ”」
けたたましい笑い声と共に、ジェラルドの頭上に光が集中する。
炎ですらない。灼熱そのもの。
しかもそれは、蒼い。
「イフリートってあれか? ゲームに出てくる召喚獣じゃん……おいおい。ちゃんとそういうのは報告しようぜー」
「うびゃびゃびゃびゃ、俺様は紅玉の蹄のリーダーにして、Sランクギルドを治める男!! このジェラルドの名を、青天にまで轟かせろおおおおおおおおおおお!!」
「脳が蕩けてんじゃねえか。コントロール出来てねえぞ。おーい、大丈夫か」
「俺は、俺が、俺を、俺に、中心を、重心をおおおおおおおおおおおおおおおおお!! 寄越せええええええええ!!」
眼球が左右ばらばらに回転している。
精神力を頭上の蒼い光球に喰われているようだ。
まさに、魔物に成り果てていた。
天に翳す蒼き光球は、辺りの天井を飲み込んで遂に完成する。
昂然たる清き星――地球があった。
「だらああああああああああああああああ!! “ブルーフレア”っ!!」
咆哮と共に、地球が一つ落っこちる。
林はオムニバスの施設を破壊していく蒼球に、右手のステッキを振るった。
「木属性魔法“ツリーマジック”、てい」
捻りも無い技名と共に、ステッキの先端から葉っぱ模様の光線が放たれる。
“ブルーフレア”に直撃した瞬間だった。
“ブルーフレア”の中から大量の樹木が這い出てきて、ブルーフレアが飲み込まれて鎮火した。
「えっ」
その瞬間、ジェラルドは正気に戻った。
でも遅かった。
『安倍童子は無事でした。怪我はありますが、命に別状はありません』
「お、良かった良かった」
座っていた林は、脚をぶらぶらさせながら左手首に巻き付いたウェアラブルデバイスに話しかける。
『メアも無事です。真田栗毛も故障などの異常はありません』
「今の所、殉職者は“部隊”の先遣隊達か」
『はい。“カイロ”と“
「完全に私の采配ミスだなー。ジェラルド単体ならどうにでもなったけど、そりゃイフリートなんて反則だよなぁ」
愚痴っていても仕方ない。
亡くなった事実は受け止めなくてはならない。感情的な面でも、組織的な面でも。
『そちらには派遣は必要でしょうか』
「後欲しいのは医療班かなー。ほら、私は研究は出来るけど、治療はまったくの専門外だから。でも天成先生は忙しいからそれ以外で。じゃ、よろしくー」
そう言いながら通話を切った林は、別段怪我はしていない。麗しいその肌に、一切の擦り傷さえない。
それでも、医療班が必要だった。
「がふ……な、なんで……なんで……火が……木に……負けた、だと」
「私が注目してたのは、ジェラルド。お前の空間魔術だったんだよ――だって、その魔術だけが、
林の横で、血反吐を吐いていたジェラルドの為だった。
彼は今、“樹に挟まれ”下半身から下が潰れている。
「お前を敢えて登用してたのはさー。安倍童子プロジェクトの人間は、そのまま安倍童子ごと
視界の全てが、樹に置き換わっていた。
茶の鱗を持つ太い線が絡み合い、重なり合い、潰し合っている。
だれもこの場所が、かつて何かの建物だったと弁明しても誰も信じないだろう。
木属性魔法“ツリーマジック”。
幾重にも、幾層にも張り巡らされた樹根の中心で、嘆息しながら林は続ける。
「けど……やっぱリスク高すぎるんだよなー。こんな反乱まがいのことまでして。残念ながら、お前は管理される側の方がおあつらえ向きだな」
すっかり白目をむいて、天を仰いで仰け反っていたジェラルド。
ぱくぱくと、口だけが動く。下半身の痛みすら感じない程、体は死んでいるのかもしれない。
勿論、林もジェラルドの命だけは失われないように心掛けていた。
ただしそれ以外は、下半身不全とかになっても与り知らぬ所である。
「くそ……嘘だ……あんな、魔法、とか、ちゃちいものに……」
「現実見ろよ。世界は広いんだって事だ。Sランクギルドだか何だか知らねえが、所詮井の中の蛙ってこった……いやー、本当に出も拍子抜けだよ。この分なら私、HランクギルドとかXランクギルドとか作れちゃうんじゃねーの?」
「お前……本、当に……何、もの……」
「言ったじゃん」
嘲笑交じりで、林が返す。
「ただの魔法少女、だよん! はぁと」
この後、ジェラルドからエージェントの刺客が剥奪された。
管理対象の異端として、監禁されることになる。
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