第44話 「野球少年たちの夢と魂は、イフリートを穿つ」

 ピッチャー。

 大きく振りかぶって。

 投げた。

 

『グ――』


 体を深く深く沈めた独特のピッチングフォームからリリースされた白い球。

 音も空気も置き去りにして、一隕石となってイフリートの頭蓋に直撃する。

 それも、野球ボールが一つではない。

 野球ボールが十。

 物理法則も数学的法則も無視して、野球ボールが増殖したのだった。

 

 “分裂魔球ナックル”。


 破裂音。

 凄まじい勢いと、イフリートの肉体の硬さに挟まれた野球ボールが爆ぜた。

 音の高さとは裏腹に、鈍重な衝撃。

 立ち上がりかけたイフリートが、再び壁に叩きつけられた。

 熱で溶けかけた後ろの壁を破壊し、中の部屋まで押し込まれていく。

 

「はぁ、やっべえな」

 

 しかし十個がかりでも、野球ボールが出していい威力ではなかった。

 異世界の人間達も、野球ボールにイフリートが叩きのめされる未来は想定しなかっただろう。

 

 “魔球”。

 物理法則に閉じ込められた凡人が笑う、異端の代表格。

 かつてメアすらも最後まで攻略できなかった高威力かつ変則的な魔球を放つ者こそ、今まさにグローブで第二球を構え始めたMartis異端番号#16089“壊幕投手バッドスロー”――鈴城累すずき るいである。

 

(……けれど)


 童子は童子で攻撃手段を得る為に、辺りに散らばっていた光線銃を拾い上げる。

 トリガーを引けば、どうやら童子でも撃てるようだ。

 あの光線の“原材料”は不明ではあるが、超越的な熱に遮られない限りはイフリートにも有効だろう。

 

(分裂魔球はメアさんでも倒れなかった。加えて“今の再現度”では、イフリートにはジャブくらいにしかならないか)


 熱い夢を再現する“烈火寿命オーバーバッテリー”二人に対して、童子は状況の分析を続ける。

 心は熱くしていたが、脳はあくまでも冷たく設えていた。

 いつかこの二人が言っていた、高校野球時代の監督の様に現状を分析し続ける。

 “二人を召喚し続ける事によって、通常の曇天帰しよりもとんでもない負担がかかっているが、そこはアドレナリンで何とか誤魔化す”。

 

 童子の想像通りだった。

 イフリートはまだ生きている。

 童子の視線の先で、立ち上がるイフリートがあった。

 

 腕を二本失ったダメージ、更に分裂魔球によって頭部に無視できない打撲を帯びている。

 栗毛の様に心を通わす事が出来なければ、言葉も通じる訳ではないが、童子はそう判断するだけだった。

 

 だからこそ、次のイフリートの感情も理解できた。

 炎の様な憤怒。

 

『ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』


 低俗で下劣な人間どもが舐め腐りやがって。

 憤怒と咆哮の陰にそんな傲慢が見える。

 

 陰で暗くなっていた一帯が、突如蒼く燃え広がる。


 召喚獣の叫びに呼応して。

 蒼に染められた炎の波が拡散した。

 

 童子は与り知らぬ事だが――神としての成分を絞りつくした、“ブルーフレア”と呼ばれる奥義。

 ゲームで言う所の、必殺コマンドである。

 

「やっ、べえっ」

 

 遮る障害物がいともたやすく消滅していく。

 壁は一瞬で蒸発し、イフリートが立っていた床もクレーター状に気体へと成り果てる。

 凄まじすぎる熱量。

 先行する熱風が“烈火寿命オーバーバッテリー”を飛び越え、童子をも包む。

 

 目を瞑って、口を瞑って、少しでも遮蔽物がある所を求めて駆ける。

 メアの様な先見性も、脚も無い。

 ただここは、生きなければならない。

 

 逃げろ。

 手も足も使って這ってでも逃げろ。

 逃げろ。逃げろ。逃げろ。

 燃え上がる死神の手が沢山、来ているぞ。

 

「……やるしかねえな。俺の中は居心地が悪いかもしれないが――力、貸してくれ」


 逃げきれない。

 熱風は目に見えなくとも、途上にある物を焼いていく。

 それが目前に迫った時――全焼アパートの悲劇が脳裏に浮かぶ。

 

 曇天返しの光。

 “烈火寿命オーバーバッテリー”を召喚した時とは違い、蒼と黄色の螺旋。

 それが童子の中に、燃え上がる立方体アパートを創り出す。

 

 一方で、鈴木晋がその蒼炎の津波飲まれて消滅する。

 “戦闘打者バットボーイ”の能力は面として迫る波には通用しない。

 一つの物ではなく、無数の波として来られては、バットに当てる事さえ敵わない。

 

 遅れて、鈴城累も同じ末路を辿る。

 所詮野球ボール――太陽の如き灼熱の波に投げても、暖簾に腕押しにさえならなかった。

 

 生き残ったのは。

 

「アツイ……アア、煙、苦シイ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、あああああああああああああああああああ、デモ、でも、デモ、でも」

 

 背中から、深紅の焔を背中から伸ばしていた安倍童子のみだった。

 “全焼アパート”と融合した、童子のみだった。

 怨霊と悲鳴の残像で組成された、命も魂も喰らう焔。

 だが“ブルーフレア”からも完全ではないにせよ、童子の肉体を守ったのはこの焔に違いない。

 

「……でも、こいツ、を通したラ、メアさんも、詩桜里も……殺される」


 最早夢か現かさえ分からない全身火傷に喘ぎながらも、その炎にメアと詩桜里を見いだす。

 二人とも苦しんでいる。

 あの炎の中で、死にかけている。

 死んでしまう。

 焼かれてしまう。

 あのジェラルドに。

 あのイフリートに――。

 

「い、やだ」


 嫌だ。

 嫌だ。

 そんなバットエンドだけは、嫌だ。

 

「俺は、嫌だ」


 不安に埋め尽くされる心と反比例して、曇天帰しの暴走さえ抑え込んだ童子は、再度状況を演繹する。

 追い込まれる程冷静になる――童子が気付かぬ、自身の長所の一つである。

 確かに名監督のようだと評した、鈴城累の言葉がぴったり当てはまる。

 例え死地に追い込まれても、その場その場の最適解を叩きだす事に専念する。

 そうやってガスマスクに囲まれたときも、“烈火寿命オーバーバッテリー”と対峙した時にも、最後まで藻掻く事を諦めなかった。

 

 “烈火寿命オーバーバッテリー”はブルーフレアの前に消滅。

 イフリートは遂に“寝ぼけ状態”から本気になったのか、ブルーフレアを体中に纏いながらこちらに向かってくる。

 ブルーフレアは、全焼アパートと融合した童子でさえも防ぎきれない。

 朱炎の魔神が放つ蒼炎は、一介の心霊現象の鬼火では全く歯が立たない事は分かった。

 直撃したら、この状態でも一巻の終わりだ。

 

「攻守全て完璧にやりつくす炎か」


 あのブルーフレアのせいで、童子側からの攻撃は全部封殺されている。

 全焼アパートの炎は、逆に蒼炎に焼かれて無意味と化す。

 鈴城累の魔球は、蒼炎に阻まれて溶ける。

 鈴木晋は、波の如きブルーフレアには相性が悪すぎる。

 後ろポケットに入れた光線銃も、火力不足だ。全焼アパートと融合した同時にさえ敵わなかったのだから。

 

 詰みだ。

 ――とは、思わなかった。

 

 

「“だが、攻略済みだ”」



 この言葉を、全焼アパートの怪を肉体から解いて元の状態に戻りながら、童子はある人間の言葉を反芻する。

 イフリートから目を離さないまま、目前に転がっていた野球ボールとグローブを拾い上げ、それを装着する。

 

「圧倒的熱量のバッターに対して、既にそうやって攻略法を出した人がいてな」


 童子は野球を知らない。やった事もない。

 精々30m先に遠投するのがやっとだし、ストレートの握り方も知らない。

 打てば得点に繋がるという抽象的な概念とか、4つのベースでできた四角形の環を駆け巡る球技という事しか知らない。

 

 だけど最近、頭に焼き付いて離れない野球そのものの似姿を見た。

 ひたすらに夢を追いかけ、ひたすら野球になり切り、ひたすら魔球を磨いてきた投手のピッチングフォーム。

 蒼い炎よりも、その生き様そのものが――頭に強く、強く、強く焼き付いて離れない。


 鈴城累が最後に投げた魔球が、それを投げる鈴城累自身が。

 不発に終わった“消える魔球クロスファイヤー”を投げる、その一連の原風景が――脳の皺の一部になったかのように、深く刻印されている。

 

 しかもそのピントの中に、ちゃんとヒントがあったのだ。

 伏線はあったのだ。

 

『光線銃すらも防ぐ程の熱量! 確かに恐れ入ったぜ安倍晴明……! この分じゃボールが直撃しようとも一瞬で溶かしちまうだろうよ』

『だがそれは皮膚に直撃した時の話であって、例えば“突如内臓で出現した”攻撃には手も足も出ねえよな!?』


 それが、“消える魔球クロスファイヤー”の能力。

 例え炎を司る神の蒼炎が相手だろうと、ちゃんと内臓(ミット)を貫く究極の魔球。

 

 童子が再現しようとしていた業は――“消える魔球クロスファイヤー”だった。

 ただ召喚するだけでは、まだ鈴城累の事を理解していないが故に、“消える魔球クロスファイヤー”は再現されない。

 

 試しに全焼アパートに対して融合したように、鈴城累も曇天帰しで一体化しようとしているが――それも上手くいかない。

 また目前に、蝗のような灰色の点の集合体になって集まり、不完全な存在として出現しようとするだけだ。

 

 だが、きっと召喚された鈴城累は、構築されながら見ている。

 自分が放った夢の向こうを、観ている。

 

「……そもそも夢の集大成なんて言うなよ、鈴城累、鈴木晋」


 イフリートが咆哮する。

 ブルーフレアを拡散させる。

 もう逃げ場はない。喰らえば鈴城累と晋の仲間入りだ。

 

 ブルーフレアは自然発生するものではない。

 イフリートの詠唱おたけびに合わせて出現していると仮定できる。

 その通りなら、イフリートが叫べない程の大ダメージを先に負わせるしかない。

 

 つまり、ここで“消える魔球クロスファイヤー”を成功させるしかない。

 ブルーフレアが到達する前に、その夢の続きを見させるしかない。

 

「今更そんな事、俺が許さねえよ。身の程知らずの夢の続きを、俺が見せてやる」


 童子は、曇天帰しを発動した。

 

 発動しながら、鮮明に想起出来る鈴城累のピッチングフォームを再現する。

 ここから先の投げ方なんて知らない。

 だけど、まるで二人の野球少年と対話するように、分かろうとして、“サブマリン投法”を始める。

 

 全身を深く、深く沈める。

 リリースポイントを、1ミリでも下に持ってくる為に。

 一球入魂。

 ――そのリリースの瞬間だった。

 

 灰色の点として集まりつつあった鈴城累の体が、光へと変換される。

 遺伝子状に絡み合った、青と黄色の直線。

 それが投球行動を終えていた童子の体に纏わりつく様に――一つになる。

 


『晋。俺な、いつか投げるんだ――漫画で見た、“あの球”を』

 

 ふと、他愛ない子供の戯言が聞こえた気がした。

 走馬灯のように蘇る、遠い遠い子供の頃の夢物語――には童子がさせない。

 

 この二人の物語は。

 投げるボールの先に、打ち上げたボールの先に何があるのかという野球哲学の物語は、終わらない。



 重なった累が、笑った。

 今回も、見知らぬ野球帽が落ちる。

 それも構わず――。


 

「“消える魔球クロスファイヤー”!」

 

 

 童子が放ったとは思えない速度と球威で、白い球は突き進む。

 稲光の様な速度も威力。

 すっかり折れてしまった右腕を抑え、曇天帰しで融合した鈴城累と共にその結末を見届ける。

 

 蒼炎の壁と、野球ボールが交わる直前。

 “野球ボールは、漫画の様に消えた”。

 

 

「すげえな。あんた達が目指した野球って」


 鈴城累が、心の中から消えた。

 満足そうに頷いて。


 ブルーフレアが童子の目前まで迫る。

 もう逃げない。逃げる必要は無い。

 一切の感情の機微を見せない童子の前で、ブルーフレアは――消滅した。

 

『ガッ、バッ!?』

 

 イフリートの背中から、肉塊と緑の血飛沫が溢れかえった。

 撒き散らかされる内臓物。

 その最中に、確かに童子が先程まで握っていた野球ボールがあった。

 

 イフリートの中身を駆け抜けた野球ボールの球威は留まることを知らず、飛び散る肉組織から流星の様に飛び出す。

 その先には、これを予見して追撃の為に配置した鈴城晋がルーチンワークを終えていた。

 

 ――累。そんなんじゃ、甘いぜ。この剛腕スラッガーが教えてやる。

 

 そんな魂が見えた。

 まるでライバルと競い合うように、楽しむ笑みを一瞬浮かべていた。

 その瞬間だけ、灰色で構成されていた晋の体が、発光した。

 

 曇天帰し特有の遺伝子状の光。

 刷新された晋は変わらず緑血に塗れたボールのみ集中して、バットをいつものバッティングフォームで返す。

 

 タメの動作。

 後ろに半分ステップ。

 後方の体重を、前に移動。

 その最中で、振り抜いた金属バットが太鼓のような音を発して――いともあっさりと野球ボールを弾き返した。

 

『ゴバババッババッ!?』

 

 魔王の一撃にすら匹敵する打球。

 その球威と速度は、イフリートの頭蓋を完全に砕いた。

 頭蓋の後ろ半分を削られたイフリートは、そのままよろける。

 

 脳半分を削られても死なないのは、神ゆえか。

 肉体の構造が人のそれとは違うのか。

 しかし胴体と頭蓋が急所である事は明白だった。

 

 だから童子は最後の手として、最初から用意していたものを掲げた。

 眼が飛び出しそうなイフリートの頭を目掛けて、突き付ける。

 “光線銃”を。

 

 “ブルーフレアが消えてしまっているこの状況では、光線銃が何より有効なのだ”。

 何故なら光線銃は、“オカルトすら科学で解明した”知の結晶なのだから。

 

「悪いな。異世界の魔物」

 

 照準は合わせる必要は無い。

 その巨体が、仇だ。

 

「努力とか友情とか、情熱とか熱血とか、そういう何かの勝利だ」


 

 一条の光線が、遂にイフリートの脳を貫いた。

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