第43話 「炎」
“朱炎の魔神”イフリートと聞いて、童子が思い浮かべた事があった。
注目したのは魔人でもイフリートでもなく、“炎”だった。
何故なら炎は、熱いから。
確かにイフリートは見るからに異端だ。人間じゃない。
髪から煌煌とはためかせる火の粉を仰げば、童子じゃなくても辿り着く結論だ。
全焼アパートの心霊現象も丸ごと灰燼に帰す太陽を、片手間で生み出す様な化物だ。
けれど、童子には本当に目の前のイフリートが異世界の神であったとしても、“一番熱い存在”ではないと薄々ながら思い至っていた。
“一番熱い存在”には、二日前に出会ったばかりだ。
それこそ、“
漫画にしか出ない様な魔球を放つアンダースローピッチャー、鈴城累。
全てを場外ホームランにする剛腕スラッガー、鈴木晋。
行為こそ認められずとも、その中身は野球への熱意とか、情熱とか、熱血とか、愛で溢れかえっていた。
勿論、許せなかった。
彼らのせいで、あるアパートの住民達にはもう会えない。仇と、憎む気持ちが大いにある。
さりとて、童子にはどうしても嫌いになれなかった。
コロナウィルスから始まる悲劇さえなければ、もしかしたらベーブルース以上の野球の神にだってなれたかもしれない。
それくらいの真っ直ぐな熱さが合った事は、童子も脇目も降らず頷く所だ。
そうだ。
童子は、あの二人を――かっこいいな、って尊敬していたのだ。神よりも。
さて、ここで童子の中に一つの疑問が沸く。
野球少年の魂と、イフリートの炎は、どちらが“熱”いのか。
■ ■
結論から言えば、童子が“曇天帰し”で召喚した歴史達は全て炎に消えた。
遊具にする暇もなく、
自分と同じ口する前に、
縛り上げようとした髪の毛ごと、
色は失せても辛うじて形を保っていた“全焼アパート”の住民たちは、灰になった。
皆、火の粉になって消えていく。
花火にもなれず、圧倒的な炎に飲まれていく。
イフリートが発する太陽がぱっと光る度に、圧倒的灼熱に喰われていく。
火力が違い過ぎる。数の理論でどうにかなる問題ではない。
光になっていく歴史の名残達を目の当たりにしながら、眼を細めて童子が呟く。
「駄目か」
呟けるだけ童子が辛うじて生き延びていたのは、イフリートの認識がずれていたからだ。
童子の体に同化していた、“妖狐”――葛葉の力で。
イフリートが“小さな太陽”を放つ度、童子も一つ一つ光を失っていく気分がした。
決して曇天帰しを使う度にかかる未だ理解不能の負担だけじゃない。
親しくなった同胞達が光になっていくのは、悲しい。
「……っ!?」
それが一瞬の隙になったのか、童子を破片の礫が襲う。
血飛沫が舞い、肉が解れていく。
一番辛いのは、跳ねた熱風と火の粉だ。
左腕に参った
「う、があああああああああああああああああっ!?」
熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。
冷や汗が全身から溢れかえる。痛い。
全身が沸騰するようだ。
奇天烈なまでの超高熱。
血液が全てマグマになって沸騰したかのようだ、。
認識をずらしているだけであって、範囲攻撃をされればいつかダメージを喰らう。
死んだ方がマシと言わんばかりの灼熱を浴び続けられる。
“小さな太陽”の温度が高すぎて、破壊力も凄まじい。廊下が辺りの部屋と同化してみるみる内に広場になっていく。そして溶けた壁がマグマへと変貌し、跳ね上がって童子に襲い掛かる。
レーヴァテインが言っていた通り、イフリートが“神”を称する存在である事は分かった。
ここまでの灼熱を自分の体一つで生み出せる動物は聞いたことも無い。
水素爆弾や原子爆弾、ナパーム弾などなら出来なくも無いだろうが、思考し生命がある有機体で出来る存在などいない。
その昔、火を見て慄いた人間がイフリートを見れば、喜んで儀礼を整え、犠牲を差し出す事は容易に想像がつく。
「……っていうか、イフリートさん……俺の場所、本当は分かってんじゃないの?」
更に、童子は最悪な確信に辿り着いていた。
葛葉の“認識操作”が――これまでオムニバスから自分を覆い隠してきたらしい認識そのものを操る力が、イフリートにはどうにも正常に働いていない。効いていない事はないだろうが、しかし十分に効いてはいないのは明らかだった。
妖怪と異世界の神とでは、神の方が圧倒的上らしい。
本体の自分と、イフリート。目と目が合う。意図した回数よりも多く。
「でも、その方が好都合かもな」
童子が逃げると、イフリートも追う。
イフリートが駆けてきた。素早い。巨体に似合う脚力で床を割りながら追い詰めてくる。
しかし敏捷性だけでいえば、メアや栗毛の方が何倍も速い。だからこそ、童子はすぐさま行動に移り――灼熱にさらす事を詫びながら、“それでも納得してくれた”業達を出現させて、足止めを図る。
火の粉を散らす様に鎧袖一触ではあるが、一瞬ならイフリートの速度を緩めてくれる。
――太陽に焼かれると分かっていながらも、その鋭さを増していく親友たちによって。
特に全焼アパートの住民は、果敢にイフリートに突っ込んでいく。
『童子君。生きろ』
擦れ違いざまに、“おやっさん”の声が聞こえた、気がした。
喋ることも語る事も無い、記憶の残滓にもかかわらず。
「悪い。絶対生き延びる」
そう言い残しながらも、童子は途中で発見する。
イフリートと戦い、そして死んだエージェントたちの“欠片”を。
その殆どがすでに固まってしまったマグマに塗れて液状化していたが、嫌な匂いで分かってしまう。更に成仏していく霊の泡沫を見て理解してしまう。
十人はいないと思われる。先遣隊だったのかもしれない。
それでも、先程アナウンスで読み上げられていた、“部隊”は全滅した。
その数だけ、イフリートに殺されてしまったのだと理解した。
「……悪いな、お袋。それでも、俺は退くわけにはいかないんだ」
目の当たりにした死体を見て、童子の中に一抹の不安がよぎる。
その不安は、憑依していた葛葉のものと紛れ込んでいた。
母親の歴史故に、子供を心配する気持ち。童子は知っている。
平安時代から知っている。“タイムスリップの発端になったから知っている”。
自分のお袋は、子供が死にそうなのを目の当たりにして、正気で入られない、と。
人としても、妖怪としても弱みがある事を。
でも、その弱みこそが、童子にとっては嬉しい暖かさだった。だから鬱陶しいと思わず、諭すように返す。
「あいつを倒さないと、詩桜里も危ないんだ。後、沢山友達とか相棒が出来た。そいつらも危険に晒したくねえんだ。悪いな、本当、親不孝者で」
誰もいない廊下で口にしながら、御馳走を求めるがごとく疾駆してくる橙色の巨体を目視して続ける。
野球部が打ち上げた外野フライを見上げるように、淡々と。
「あと、人はNPCのように殺しちゃいけないって、そんな当たり前の事を神様気取りのイフリート様に叩き込んでやらなきゃいけないからさ」
焦がされた左腕はまだ生きている。
まだ痛みに喘いで、倒れている暇はない。メアならきっとそうしている。
人外になった気持ちで、童子はイフリートへの怒りを燃やしながら逃げていた。
実は先程の曇天帰しで、“とある2人”の召喚に失敗していた。
どうやら曇天帰しにも発動のしやすさという概念が存在するらしい。
曇天帰しは、対象の業を再興する異端だ。まだ仮説だが。
その為には、対象の業を理解し、納得する必要がある。
故に、まだ理解できていないらしい。納得できていないらしい。
“あの2人”を理解し、納得するにはアイテムが必要だ。
例えば、野球道具とか。
童子が走っているのは、そのアイテムが封印されている場所だ。
“あの2人”は、メアに殺された筈の場所では発見されなかった。
魂の一部と言っても過言ではないホームランバットと、グローブと野球ボール以外は何も――。
この戦い、“とある2人”の業を借りなければ勝機はない。
だからこそ、そこに勝算を見出し童子は駆ける。イフリートが区画を寸断したシャッターから遠のいている事を確認しながら、捕まらない様に曇天帰し遺伝子を撒き散らかしながら、体中に負担を強いられている事にすら気に留める暇もなく、イフリートとの“かけっこ”を演じていた。
「……!」
背後で光があった。
曇天帰しによって出現した親友たちが、影も形も無く消えていく。
じゅわ、という音もなく蒸発していく。
次々に、心に冷たいものが当てられる。
あれだけ思い出のある似姿が、残虐に蒸発していくのを見たくない。
でも感じてしまう。
それが曇天帰しを扱う人間の、責務であるかのように。
(俺も、貴方達の様に出来るかな)
しかしあらゆる怪異達の業は無駄には終わらなかった。
童子は辿り着いた。
両肩で息を鳴らしながらその扉を開き、その先を見つめる。
(貴方達が魂をかけるだけあった、燃えるような戦いを――)
背で、追いついたイフリートがしびれを切らしたとばかりに四本の腕で更に大きな太陽を創り出す。
その出現過程で見る見るうちに廊下が溶けていく。
紅いマグマで視界がいっぱいになる。
童子は、炎と消える前に――その熱い魂目掛けて最後の疾駆をする。
ガスマスクから押収した光線銃の群れの中にあった、その野球道具を。
グローブと野球ボール。
そして、金属バットを――。
「ぐ、あああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
頭の中に浮かんだ想像が、脳内を食い破る様に暴れまわる。
だが、やるしかない。
今度こそ、この野球道具を蜘蛛の糸に、“あの2人”を呼ぶしかない。
空から、太陽が降ってくる。
しかしそれよりも一瞬早く、光が落ちてきた。
さりとて、今までの曇天帰しとは異なった、灰色の光。
明らかに不完全だ。イフリートが掲げた太陽よりも、儚く淡く色彩に欠けている。
それも、線ではなく、点の連続。
線が描くのではなく、点が無理矢理くっつきあって象っている。
(なん、だよ、これ……!!)
やはり、“あの2人”とは相容れなかったからなのか。
表面しか理解していなかったのか。結局、何もかもを破壊したあの二人への憎しみが勝ったのか。
それも、真実だと認めるしかないだろう。
実際ここで自分勝手に召喚しようとするのも、童子が生きたいからという自分勝手な理由に他ならない。敵だった二人からすれば、童子を助ける理由が無い。
曇天帰しの限界。
それを覗いても尚、太陽が落ちてきても尚、童子は確かに願っていた。
童子は、一瞬だけ、彼らの夢になっていた。
「それでも、俺は見てみたい。あんた達の、夢の続きを」
太陽が投げられる。
ストレート。
障害物は、五千度の焔で蒸発する、とんでもないボールだ。
しかし、そのボールは童子を咀嚼する直前で――“打たれた”。
『ゴアアアアアアアアアアア!?』
明らかに激痛に悶える獣の声。
跳ね返った太陽が、イフリートの中心で消えた。
受けきったのだろう――だが、八本あった腕の内、二本が消えている。
自分の太陽に、焼き尽くされてしまったのだろう。
だが、童子はそんな音は聞こえていなかった。
――かきーんと、今まさにヒットを放った音だけが聞こえていた。
よろめいて、自らが溶かしたマグマの壁に背を預けたイフリートに、向けられている視線が二つあった。
野球帽を治して、初級の球筋を脳裏に描くピッチャーの眼。
踵の土埃を落として背伸びして、独特のルーチンワークを描いて二打席目に望むバッターの眼。
今、太陽を打ったのは後者。
“全てをホームランにしてしまう”。
そこまでは再現出来ていなくとも、それに近いレベルまで辿り着いていた。
「“おねしゃーす”。だったよな」
童子の前に佇んでいたのは、二人の野球そのもの。
野球に魂を注いだが故、歪みはしたものの、どこまでも四角形の環に愛を込めていた二人。
「さあ、間に合わなかった夢の続きを、ゼロから始めよう」
童子が遂に曇天帰しで召喚した二人は、不完全ながらもその心だけは忠実に再現されていた。
野球少年、イフリートによる異種親善試合が、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます