第42話 「俺が、イフリートと戦う」
太陽色の髪。
褐色の肌に包まれた、鋼を連想させる筋骨隆々の肉体。
人間を軽々しく踏みつぶしそうな、仰いでしまう様な巨躯。
八本突起する、阿修羅を連想させる腕。
魔法陣から這いあがった炎の神は、隕石を思わせる深紅の瞳でこちらを見て――。
「――っ」
小さな太陽が叩きつけられた。
苛烈な紅蓮が、爆発的に空間を支配した。
宏闊な一室が、瞬く間に火の海へと帰していく。
先程までのジェラルドの魔術が、まるでお遊びの様にさえ感じられた。
本当に、このイフリートという化物は神なのだ。
故に、召喚獣。
「……なんっ……だよ今の」
喉を鳴らしていた童子もメアも真田栗毛も、かわせたのは奇跡と言っていい。
否、栗毛の功績が大きい。栗毛と知り合っていなかったら、童子もメアも灼熱に溶かされていたに違いない。
イフリートが一本の掌から“小さな太陽”を放つ直前、自動的にアクセル全開になった栗毛が童子のフードをハンドルでひっかけた。呼応して、抱きかかえていたメアを離さないようにしながら、童子も栗毛にしがみ付いて――結果的に、三人ともイフリートの背後を取ることができた。“小さな太陽”の炎滅範囲から逃れる事が出来た。
だがこうして距離を取っても、灼熱が巻き起こす突風に煽られる。
眼を擦るのは熱風によるダメージだけではない。
部屋の壁や床を喰らう、焔が煌煌とさんざめく。
蜃気楼と黒煙で曖昧になる世界で、イフリートは凛として佇む。
「メアさん、炎の魔人って何だよ。ちょっとこれは俺も飲み込めないんだが」
「飲み込む必要はありません。人の身では神は測れない」
イフリートが、俺らの方向を振り返る。
『……まだ“寝起き”のようだ』
「寝起き!? これが!?」
辺り一面を呼吸でもするかのように容易く灰燼に帰させたあの“小さな太陽”が――寝起き?
『召喚魔術の弱点だ。彼らの肉体が現世に馴染むのには時間がかかる』
「完全な活動状態に入れば……この日本支部も危ない、です……。術者であるジェラルドもコントロールする事は出来ない、最終手段ですから」
メアが立ち上がろうとしたが、すぐに目を伏せる。
やはりこれまで受けたダメージが大きすぎた。戦おうという意志に対して、満身創痍の肉体が着いて行っていない。メアはまだ、戦闘が出来る体ではなかった。
「安倍童子、逃げてください。もうあれは、異端でどうにかなるレベルではありません」
欠伸をするかのように背を伸ばしたかと思うと、掲げた掌の一本に小さな太陽が宿る。
逃走は間に合わない。ならば闘争しかない。
死を覚悟した途端、自発的に空から曇天帰しの遺伝子が降り注ぐ。
“全焼アパート”。炎には炎。
灼熱に塗れていく六畳一間のアパートと、五体の焼死体が出現する。
加えて
アパートを中心に公園が描写されていき、その領域にイフリートも含まれた。
という事は、イフリートの背後に
イフリートと、遊ぼうとする。
「駄目です」
――だが、イフリートには関係なかった。
「あれに、
叩きつけられた二発目の“小さな太陽”は、アパートも公園も触れるもの全てを焼き払うのだった。
炎に溶けていく。
気のいい荼毘達も、まだ遊び足りなかったあどけない少女の歴史も――。
■ ■
『第八インタビュー室にて深刻な管理違反発生。超高温の異形存在がインタビュー室周りの部屋を完全破壊。対高温異形機動部隊“カイロ”、対炎熱異形機動部隊“
対高温異形機動部隊“カイロ”。
対炎熱異形機動部隊“
そしてこれからイフリートを鎮圧するために指揮にあたる――対策指揮部隊“無題”。
――暴走した異端を抑制する為の“部隊”の存在。
初めて耳にした、オムニバスの戦力という一面。
廊下中に響くアナウンスを耳にしつつ、ハンドルを握りメアを抱きかかえて聞く事はその“部隊”の存在――ではなかった。
「……メアさん。あのイフリートってのは、何なんだ。召喚獣やら神やら……もう俺にはよく分かんねえよ」
「私達の世界には……召喚魔術と呼ばれる、一握りの人間しか使えないものがありました。それによって呼び出されるのが召喚獣です」
「さっき、神って言ってたが?」
「そのままの言う通りです。私達の世界を作ったとされる、人間の上位存在です……そしてレーヴァテインも作ったのは、神です」
「もっとこう、宗教の頂点に立つ架空の存在とか、人の視線をひとところに集める虚構とか、そういう平穏なものであってほしかったんだけどな――で、イフリートはジェラルドのいう事も聞かないってなると、一体全体自分に従って何をするんだ?」
『イフリートは、罪人を地獄の業火で焼き尽くす破壊神だ。彼が目についた存在は咎人と見なされ、一人残らず焼き払われる」
童子の瞳が曇り始める。
忌々しい存在を知った時の顔だ。
「神のくせに思考停止してやがるな。信条も何もあったもんじゃない。ブッタでもキリストでも見習え」
『恐らく永遠に現界はしていられまい。1時間がいい所だ――だが、少なくともオムニバスの日本支部は跡形も残らないだろう」
「そうは……させません。安倍童子、降ろしてください」
メアが童子の腕の中で、必死に頭を起こそうとする。痛みに喘ぐ一方で、眼は全く死んでいない。戦意は留まるところを知らない。
だが、童子が抱きかかえている小さな体は、明らかにあちこちが重度の火傷を帯びており、あらゆる骨が折れている。
ホームランされた時よりも酷いかもしれない。逃げ場のない爆炎をまともに喰らった為に、何度も反射した炸裂を食らってしまったのだ。
「あれを出したのは、元とはいえ私の身内です……ジェラルドが出した火の不始末は、私が……!」
それでも、メアは成し遂げようとする。
かつて西洋に存在した救国の女騎士、ジャンヌ・ダルクのように。
聖剣に選ばれた人間の義務として。
一度は世界の滅亡から逃げ出さざるを得なかった負い目もあって。
そして今、エージェントとして二度目の命を果たすために。
致命傷を受けていても、メアは止まる気はなかった。
リジェネによる回復なんて待つ気はない。リジェネなんて、メアにとってはスキルの一つでしかない。
死んでいない限り、死んでも役割を全うしようとする、意志という心の剣。
それがメアがメアたる所以であり、メアの強さを支えていた根本である。
「で、それで俺がおいそれと、あんたに任せるって放るとでも思ったか」
「四の五の言っている暇は、無いのですよ」
「男として誇れる行動をしろ。そうやってお袋から教わってるんでな。例えあんたがどことも知らぬ異世界からやってきた聖剣使いだろうと、それ以外は普通の女の子だろう。女の子が端っこで泣きながら殺されていくのを無視するなんて、俺は俺を許せないね」
「安倍童子……」
「もし動けるってんだったら、寧ろ頼みがある。いいか、よく聞いてくれ。詩桜里の安全を確保してくれ」
童子は栗毛のボディを左に傾け左折しながら、後ろで連続して轟く悲鳴と爆発音に耳を傾ける。
先程アナウンスのあった“部隊”がイフリートと戦闘に入った。そして敗北し、駆逐された。
嫌な勘程、平安にいた頃から良く当たる。
「さっきアナウンスで管理している異端を避難させろってあったよな。異端の管理は、即ち情報提供用に一時保護している普通の人間にも適用される筈だ。だからこそエージェントたるアンタの出番だ……頼む。詩桜里と、さっき詩桜里を助けてくれたエージェントの安全を確保してくれ」
「それは勿論ですが……」
「助かる。詩桜里とはいい感じに親しくなってくれたしな。友達同士、気が合うだろ」
『だが、童子君、今君がそれを話すという事は――』
レーヴァテインの疑問に答える直前に、ちらりと流れゆく風景に眼をやる。
エージェントの指名を受けた時から、広大なオムニバスのフロアは目ぼしい所は叩き込んでいた。
脳内地図が指し示す通り、確かにあった。
――緊急時、エリア間を遮るシャッターの境界線。
『無理だ、もう一度よく考えろ!! イフリートは受肉しているが、それでも元は神だ――故に奴の攻撃は霊に干渉可能! 君の曇天帰しは、奴の前では』
広すぎるが故に、オムニバスの日本支部はエリアと呼んで区切ってある。
更に言えば緊急時、暴走した異端を閉じ込める為に、特殊な巨大シャッターが降りる仕様になっている。
シャッターの仕様、耐熱性如何までは知らないが無いよりは安心するに違いない。
「栗毛――お前も詩桜里を探してくれ!!」
「安倍童子、君は――」
メアも感付いたのか、童子に手を伸ばした。
だが、童子は既に栗毛から飛び降りていて、栗毛は全幅の信頼を置いたのか更に加速する。
メアの小さな体が、更に小さくなる。
栗毛の加速に応じて、あんなに近かったメアの体が遠くなる。
少しでも動けるなら、メアも飛び降りる事が出来た筈だ。
それすらも出来ないくらいに体が傷ついている。
童子の取る手は、最早明白だった。
時間稼ぎのためにも。
詩桜里の命を守る為にも。
そして折角できた相棒たるメアに無駄死にをさせないために。
「残念だが、これしかたった一つの冴えたやりかたって奴がないらしい」
シャッターが上下左右から閉じる。
メアの色褪せた表情が、童子の不安げな笑顔が、遂に遮断される。
完全に停止したのは、運よく受け身が取れ、地面に何度も転がる形で叩きつけられた時だった。
「俺が、イフリートと戦う」
稼働は一瞬だった。何層からにも連なる材質の壁が、連鎖的に童子の前で結合されていく。
鈍重な衝撃が響いて安心した。相当重く、強固な材質でシャッターは出来ている。
オムニバスの技術が結集されているのだろう。たとえ相手が神であろうとも、一瞬で溶かされるという事はなさそうだ。
沈黙が一瞬した直後、童子は振り返る。
イフリートが、曲がり角を溶かしながら、右手に武装した遺体を引きずっていた。
獲物を見つけた、と言わんばかりの表情。
童子は冷や汗をかきながらも、低く看破した。
「異世界の事なんて知らないけど、お前は神じゃねえ。だから召喚“獣”なんて名前がついてたんだろう」
灼熱に揺らぎ、火の粉を巻き散らす魔神に不敬にも童子は言い放つ。
童子の言葉は理解しているのか、イフリートはいらついた。
じゅわっ、と。右手に携えていた遺体が骨も含めて蒸発した。
確かに、怖い。
だって童子は、メアのように聖剣使いとしての教育も受けていなければ、戦士の何たるかなんて英雄的常套句を知らない。
それでも、今の童子の表情を視れば、あの“
『死にたいのなら是非もない』
『なら怖気づかない様、一瞬で殺してやるよ』
……彼らと戦った時は、自分が死んだところで、詩桜里に害が及ぶ恐れはなかった。
だから心のどこかで、一番大事なものを失わずに済むと、どこか諦観の感情が合ったのだろう。
さりとて、今回は違う。
イフリート通せばそこに詩桜里がいるかもしれない。
そうなったら、詩桜里はどうなるだろう。
ジェラルドに髪を鷲掴みにされているよりも、少なくとも酷い事だろう。
詩桜里がいなくなってしまう。
メアは、確実にこの先にいる。
果敢に童子と詩桜里の為に戦い、傷ついた少女がいる。
イフリートを通せば、為す術無くメアは特攻するだろう。
そして悔いなく死ぬだろう。
折角友達になった栗毛だって、いる。
林もいるかもしれない。
自分が死ぬ事よりも、誰かが死ぬ事が怖かった。
そういう思考に至った時、イフリートの前に立つという選択肢以外は脳裏になかった。
死ぬ気はない。
勿論、腹案は頭の中に構えている。
だけど、ちゃんと死んだ後の詫び文句も考えつつある。
死ぬなと言って頭を撫でてくれた母親に対してと、遺した家族や相棒に対しての謝罪を考えつつある。
「死ぬのが、怖くない訳ないだろ。それより怖い事が、俺の後ろにあるかもしれないだけだ」
誰に呟いたかもわからない言葉をぼやいた後で、迫りくる炎の巨人を見上げた。
「だから、アンタが誰であれ、別にどうでもいいんだ。イフリート」
しかし迫りくるよりも早く、発動していた。
“曇天帰し”。
数条の光が天井をすり抜けて到達し、心を通わせた異端達の歴史を書き記していく。
更に童子そのものに“全焼アパート”を描写する。
心がかき乱されていく。熱い。熱い。熱い。熱い。
「あんたがゲームやフィクションに出てくるような定番の神様だとか、本当にいるかもしれない
一瞬意識がブレるが支障はない。脳裏に命を焼かれていくメアや詩桜里を思い浮かべる。
あれを想像したら、背筋が凍る様な気分になる。その氷点下で、アパートの住民たちの悲劇を冷ましている。
加えてもう一体。
――愛すべき母である、一匹の狐が童子を包む様に描写される。
「神様だろうと、獣だろうと――アンタは、降りかかる火の粉。それだけだ」
イフリートに合わせるように、童子の背中から灼熱の翼が吹き荒れ始めた。
そして、眼前には童子に味方してくれる異端の歴史達が、恐れも知らずイフリートと相対する。
「俺は安倍晴明じゃないし、あまりこの言葉の意味を知らないけれど、多分この状況にピッタリだろうな」
イフリートが腕を上げる。小さな太陽を作り始める。
童子“達”が一斉に攻撃を始める。
ここは廊下。この密度では、互いに逃げ場はない。
「
安倍童子。
異世界の朱炎の魔神――イフリート。
喰い合いの火蓋は切って落とされた。
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